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「それを言っちゃぁ、おしめぇよ」は笑いの原点である

「男はつらいよ」の映画で、私が好きなシーンがある

久しぶりにとらや(老舗のお菓子屋)に返って来た寅次郎。寅次郎の身勝手な言動が、おいちゃんと騒動起こす。

「お前がいると迷惑だ。もう出ていけ」

「それを言っちゃあ、おしめぇよ」
「もう永遠におさらばよ」


「おにいちゃん、本当にそれでいいの」と涙を浮かべる妹のさくら

「何でこんなことになるんだろうね」と泣き崩れるおばちゃん。

寅次郎が出て行こうとすると、旅先で出会ったマドンナがとらやを訪れる。

「ごめん。寅さん来ちゃった」

「こんなむさ苦しいところですが、好きなだけいて下さい」「おばちゃん、お茶出して」「さくら、挨拶しなさい」「おいちゃん 紹介するよ」とマドンナと一緒に、とらやに戻ってくる笑顔の寅次郎。

今まで涙ぐんでいた家族は呆れ顔

家族との哀しい訣別のシーンとは何だったのか。

家族の絆が切れた瞬間に回復してしまう。

売り言葉に買い言葉で、暗黙の了解を破ってしまい、お互いに引っ込みがつかなくなる。社会生活においては、修復は不可能となる場面だ。

しかし、家族の間には深い愛情があり、断ち切れない絆であるとわかると、ほっとして笑みがこぼれます。

「それを言っちゃあ、おしめぇよ」の名シーンはユーモアとシリアスを巧みに織り交ぜることで、複雑な感情や、温かい人情を表現しており、笑いは哀しみの中にあると気付かせてくれている。


笑いと哀しみ:相反する感情の深い関係

私が目指す文章の笑いとは「男はつらいよ」の「それを言っちゃあ、おしまいよ」に集約されています。

吉本新喜劇も個々のネタが話題になることも多いが、演劇の根底が家族の絆、社会風刺、温かい人情をテーマにしているから面白い。

ヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』では、主人公ジャン・ヴァルジャンが様々な苦難を経験しながらも、ユーモアのセンスを失わず、周囲の人々を励まし続けます。

シェイクスピアの戯曲「ハムレット」では、主人公ハムレットのユーモラスな言葉遣いと、深刻な内面描写が対比されることで、彼の葛藤や苦悩がより深く表現されています。

笑いと哀しみは、相反する感情でありながらも、互いに深く影響し合い、人間の心を豊かに彩る重要な役割を果たしているのです


現代は「悲しみの笑い」が乱用されている

「悲しみ」と「哀しみ」は違います。

「悲しみ」と「哀しみ」は、どちらも心の痛みを表す言葉ですが、悲しみはより強い、直接的な感情であり、哀しみは静かで内向的な感情であると言えるでしょう。

また、悲しみは個人的な感情を表現する場合によく用いられるのに対し、哀しみは自分自身の感情だけでなく、他人の感情にも共感して使うことがあります。

YouTubeやTV番組はドッキリで溢れている

個人の感情の高低差だけを利用した「緊張の緩和」が乱立されている。

それが一番簡単だからだ。

先輩後輩、立場の違いの上下関係を利用した パワハラ、セクハラまがいの行為で、恐怖を煽り相手のリアクションを面白がる

その結末とは「騙された ~テッテレー」でしかない。

笑いに優劣をつけるつもりはないが、私はあまり好きではない

私は自分の考える笑いの原点を追求していく


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