自己紹介
基本情報
なすとうま
1996年生まれ
なんちゃってシステムエンジニア
小学校3年生〜中学3年生まで不登校→通信制高校→大学→会社員
大学4年から2年間ディズニー年間パスポート持ち、復活すれば買う
2024年ユニバ年間パスポート持ち、たぶん来年も継続
2023年秋文学フリマ東京37初出店、たぶん今後も出る→2024/5/19は落選
アバウトミー
15年くらい前からおしゃれっぽいHPで「about us」と見るようになった。徐々に一般化して、おしゃれかどうかに問わずお堅い所以外のエンドユーザ向けはだいたいこれになったような気がする。
それまではアバウト=おおざっぱ、いい加減とか、なんとなく雑で丁寧ではないことを表す言葉だったと思う。今ではカタカナのアバウトは「おおざっぱ」系として受け止めて、英語表記であれば「〜について」系として次の句を待つようになってきた。
いつからなのかはわからないけれど、中学一年生で英語のaboutを見たときには、まだ「おおざっぱ」優勢で「はえーなんで意味変わったんやろ」と思ったのを覚えている。きっとあと数年で逆転されるのでしょう。
それで、私について。noteを始めて1年経ったので自己紹介を作ることにしました。あばうとみー。タカラトミー。
私は文体がよく変わります。考え方もよく変わるし表現の仕方もよく変わる。過去の文章を読み直すと、その時の心理的な疲労とか興奮が見て取れます。今だって常体と敬体が揺れている。
ふだん文章を投稿しているのは2箇所。1つはこのnoteで、もう一つは不登校ラボというアカウントの【あれこれありましたが、】で月1回寄稿文が載っています。基本的に更新されたらこのアカウントでもマガジンにまとめているので、見ていただけるならばそこからどうぞ。
この個人アカウントと【あれこれ】では文体を分けています。
個人の方は常体で段落を作って、改行は多用しない。
【あれこれ】では敬体というか丁寧語を使って、改行を多用し文頭の1文字目を下げません。
独白のノリでまとめるか、それともラジオや手紙のように語りかけるとか誰かと話す感覚だとか、そういう違いから生まれていると思う。
これはその中間に位置していて、だからどちらも使いたくなっているのかもしれない。ただあくまでもベースは手記寄り。だからこんなに自分勝手に書いている。お客さんをお迎えする気持ちならもう少しわかりやすくぽーんと書きます。
「私はこんな人です」と言わずともわかるでしょうという気持ち。なんでもかんでも影響を受けてすぐに変わってしまうから、肩書きっぽいことを書くような自己紹介が私には難しいと思っています。
主張なんておもしろい人や頭いいーって人に会ったらすぐ歪んじゃいます。私の考えなんてそんなもんです。
だけど数年変わらないものもあるし、どういうことに引っ掛かるのかはきっと見てもらった方が早い。それが冒頭から続くこのめんどくささ。
コミット、アップデート、アジェンダ、コンセンサス。
ぱっと思い付いた、私が使いたがらない言葉リストである。英語があんまりできないからかもしれないけど、自分の中で確固たる地位が築けていない。だから使いたくない。
結果にコミットするってなんだよ、と。
大学に入って、いきなり「レジュメ取って」と言われた時にびっくりしませんでしたか?
私はいやいやプリントでええやん、と思ってましたよ。
そういう言葉って、段階を踏まないと普通に使えないのです。
①元の意味を調べる
②一般的な用例を探す
③他の言葉に置き換えられる場面、置き換えられない場面を考える
④これに近いけどもうちょっとこっちより、と似た言葉の中でポジションを見つける
③④はそれほど意識してないけど、無意識下でもこの辺まで来ないとなかなか自分では使わない。
エモいとか推しとかもね。まずエモーショナルがわからん。推しは微妙な関係を表現したいのはわかるのだけどそこ止まり。これはたぶん自分に推しがいないからかな。無関心か重たい愛の二択が大抵だから。
ともかく、新しい言葉はいろんな人に違う意味付けをされ過ぎていて真意がぼやける気がするのですね。めんどくさくてごめん。
ちょこっと調べたらこんなのもあった。これとても良い。きっとたまに眺めるのが習慣になる。
私の文章というか、生き方はだいたいそんな感じです。自覚している範囲ではそう。
わからんものを調べて取り入れようとしたり、仮置きしたり遠ざけたり。何かにひっかかること、それを調べること、整理して仮説を立てること。それが私の性質で得意分野だと思っています。同時に自分を社会から追い出す1番の原因だとも思っているけれど。
手記っぽい文章では、何か落ち込んで発散して「よし、こうしてみよう」と宣言するようなものが多い。きっと性質が影響しているのでしょう。
それから文学フリマというものに出たことがあって、今後も出ようとしています。
作る本のだいたいの系統は2つ。
1つはエッセイ集、noteにぽんぽん置いていく文章を一貫したコンセプトのもと集めて並べて組んでいくような冊子。
2つ目はディズニー本。1作目は「ディズニーストーリービヨンド ホーンテッドマンション」というイベントの、LINE友だち数を調査して仮説を唱えたものになった。
どちらも第二弾が控えているし、さらに別のものを作る気でいる。
2024年9月の大阪、2024年11月の東京に予定しているものは、
・エッセイ集『choose me』
・ディズニー本『ホーンテッドマンションのお友だち2』
・ディズニーとユニバ本
・元不登校の親子インタビュー自主企画本
この4つ。
エッセイ集とディズニー本は出したいものが無限に湧くから、きっと作り続けてどこかに出続ける。
そういうもので自分が何を表現したいのか。何を得たいのか。何を提供できるのか。初めて文学フリマに出た時になんとなく気づきました。
私がやりたいのは、人の心を揺さぶることと、揺さぶられてるような人と認知し合うことです。
ぼーっと生きてんじゃねえってこと。
人生ってそんなぺらっぺらで終わらなくないですか?
たくさんしんどいしそれなりにおもしろくしたい。人生が一冊の本を作る工程なのであれば、分厚くておもしろい本に仕上げたい。さらさらと日常を受け流すよりも、流れる人と時間の中で引っかかる何かを探していたい。
それを探して検証して遊ぶのが私の使命で、それを見て反応を返してもらうのが私の喜びなんじゃないかと思っています。
noteやエッセイ集は比較的わかりやすくその類、ディズニー本も根底はそういうところにある。別にディズニーじゃなくても良くて、自分の興味に、感情の揺れに機敏に反応して誠実に向き合ってあげたら何が見えるのか。
決して効率的な周り方を提案したいのではなくて、あなたのクレイジーな部分を引っ張り出してみたい。それが根っこなのです。
死んでしまった時におもしろい人がいたなあと思ってくれる人がいてほしい。
私の要素を誰かが取り入れて生きていてほしい。
突き詰めたら今の野望はこの2つに集約されている気がする。
今いる環境が窮屈だとしても、それでも社会的動物としては自分の居場所があるんだって安心したい。
生き物としては自分の遺伝子を残したい。そしてきっと、社会的動物にとっては自分の成果物で影響を与えていくこともその枠に入るのだと思う。
だからもし、もし私の文章を読んで「自分も何かを作り始めました」という人がいるならば、それが1番の喜びになる。「次はこんなものを作ってください」「楽しみにしています」と言われるよりもずっとずっと嬉しい。
それは文章を書くのでも良いし映像作品を作るのでも良い。音楽でも良いし、なんなら全自動卵割り機でも良い。あなたを作り手に回らせたというその事実が、きっと私の熱が届いて誰かを点火できたのだという実感がただただ嬉しい。
そういう人が現れるまで、私は何かを作り続ける。現れなくても続けるし現れても続けるけど。
自己紹介はこんなところです。ばいばい。
影響を受けた人、ものをここに書いておきます。
敬称が付いているのは作品より先にその方を知った場合、敬称が無い場合は「太宰治」みたいな感覚。
載せる基準は検索して見つかるかどうか。
リアルな知り合いは一旦書くのをやめました。
・UNISON SQUARE GARDEN
→自分の冊子を「アルバム」と呼ぼうとするくらい根幹にいる
・東京ディズニーランド、シー
→結局自分はテーマパークが作りたいんだなというところに落ち着いた
・佐藤哲也さん(元イマジニア)
→何かを作る明確なきっかけ。『シンドバッドの歩き方』が最高で、「さとてつさんの影響で作り始めました」と冊子をお渡ししにいきたい
・はやみねかおるさん
→初めて取材に同行した時のインタビュイー
「私なりの冒険をしてきました」と冊子をお渡ししにいきたい
・堀井憲一郎
→ディズニーへの偏愛のベース。あとたぶん適当な文章書く時のベース。『東京ディズニーリゾート便利帖 第2版』は小学生〜中学生時のバイブル
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