小さな私と脳サンゴ

 我が家の机の上にずっと居座り続けているものといえば、真っ白な脳サンゴのかけらである。

 ちょうど、卵のサイズぐらいだろうか。ひんやりと、心地よい丸みを帯びて、手のひらにすっぽりと収まってくれる。

 私がまだ独身で、しがない芸能記者をしていたある時は、原稿やカフェのレシートを溜めておくためのペーパーウエイト代わりとなり、ある時は赤ちゃんだった息子のおもちゃとなり、またある時は、埃をかぶって部屋の隅に忘れられ……

 それでもなお、私の手元から離れなかった(もしかしたら、一生涯私のそばにあり続けるのかもしれない)その愛しいカケラは、19年前、実に幼くて無鉄砲だった大学生の私と共に、日本最南端の波照間島からやってきたのだった。

 何をどう間違ったのか、第一希望にしていた武蔵野美術大学に合格した二十歳の私は、毎日毎日挫折感たっぷりな大学生活を送っていた。現代美術やCGアニメーション、デジタル映像が全盛期を迎えようとしていた頃である。何しろ同級生や先輩の制作物がハイレベルで(今冷静に見たらそうでもないのかもしれないけれども、劣等感たっぷりだった当時の私にとっては、そう見えた)。

 毎日毎日、巨大な時代の台風に巻き込まれ、もがいているような学生生活を送っていた私は、ある日「プチン」と、緊張の糸が切れてしまったのだ。 

 不安ではち切れそうだっただった私に、何を思ったのか。心の中に住み着いているもう一人の自分が囁いたのだった。

 『逃げられるところまで、逃げてみたら?』

 沖縄本島から、石垣島、遠くは波照間島までの旅程を実行したのは、決心からそれほどかからなかった。成人したばかりの、まだまだ半分子供のような小娘が約一ヶ月、南の果ての島にトランクひとつ抱えて帰ってこなかったのだ。私の両親はどれだけ心配しただろうかと考えると、今になっても身がすくむ思いであるが。

 なぜ私は、逃亡先に波照間島を選んだのか全く思い出せないのだけれども、理由としては英語に自信がなくて海外に行く勇気が出ないとか、その程度だったのかもしれない。単純に、日本の端っこはどうなっているのか、この目で確かめてみたかったのかもしれない。逃げられる限界まで逃げ切った自分自身が、何をどう思うのか、知りたかったのかもしれない。若い頃特有の、自分自身に対する凶暴かつ無尽蔵な好奇心が、私の胸の中に燻り続けていた時代である。

 石垣島から、波照間へは(お金もなかったからかもしれないが)船旅を選んだ。グラグラ揺れる狭い部屋に耐えられなくて、船酔いで朦朧とした頭で甲板へ出ると、海上を天使のように飛ぶトビウオと、雪のように白いカモメが舞い狂う、なんだかこの世とは思えない光景が広がっていた。勢い余って船に飛び込んだトビウオが一匹、甲板でビチビチと断末魔の悲鳴を上げていた。沖縄の美しい海をそのまま身に纏ったような、生きているトビウオの強烈なエメラルドグリーンと、みずみずしい透明な羽色が私をとらえて離さなくなった。いまだに、あの時の魚を超えるほど美しい生き物をみた覚えがないのである。

 三週間を超える旅に疲れ切っていたのもあるだろうけれど、実を言うと、波照間島でどんな宿に泊まって、どこを観光したのかなど、ほとんど覚えていない。そもそも、その当時の波照間島に観光するところなどほとんどなかったのだ。

 ただただ、刻一刻と表情を変える強烈な海と、南の強い陽光に燃え、轟々と渦を巻くサトウキビ畑の、深い深いグリーンに染まった島だった。東京のような、緩く柔らかい日没などない。夜になったら街灯もほとんど灯らないこの島は、太陽が落ちたらズドンと真っ暗になる。その後程なくして、ガラスのように輝く天の川と、どこまでも透明な光線を放つ信じられないほど大きな星々が、狂おしい勢いで襲い掛かるのだ。沖縄の濃密なグリーンと透明な光に侵食された私は、熱に浮かされたような足取りで、島でも最南端の浜辺に訪れた。

 島の中で最南端ということは、日本の果ての果てとも言える場所である。私はその時、本当の意味での「外海」というものを目の当たりにした。ブラックホールのごとく空気を吸収していく渦巻きが荒ぶり、空中にいた海鳥一匹が、怪物のように襲い掛かる高波に絡め取られて消えていく。観光のための整備など一度もされたことがないであろう、荒れ放題の岸辺である。中国語やフィリピン語であろうか、ありとあらゆる言語の書かれた漂流物が転がって波に揉まれている。この世の終わりのように荒れ果てた光景の中、砂に埋もれたマネキンの腕に思わず息を飲んだ。

 

 慣れ親しんだ東京湾や湘南の海、パステルカラーの情緒漂う瀬戸内海、先日みたばかりの石垣島で出会った波たちの優しさなどどこにもない。想像を超える厳しい、原始的な外海と対峙した二十歳の私は、その時思い知らされたのだった。こんなに未熟で、幼い自分に、この猛烈な荒海を越えて逃げるエネルギーなど、振り絞ったってありはしないのだと。

 つい先ほど、モンスターのような高波にさらわれた海鳥のことを思う。甲高い悲鳴を最後に二度と上がってこなかったあの鳥は、一体どこへ向かおうとしていたのか。

 「ねえ、そろそろ、帰ろうか」

 胸の中にいるもう一人の自分自身につぶやいて、ジーンズに張り付いた砂を払って立ち上がった。なぜだかわからないけれども、この時、この瞬間に味わった恐怖を、絶対に忘れてはいけないと思った私は……浜辺に転がっている漂流物で、一番自分にふさわしいアイテムを物色し始めた。よくわからない言語が書かれている空き瓶?淡い色のガラス玉?いや、そんなに美しいものじゃなくて…。ふと目に止まったのは、まるで脳みそが抉り出されて転がっているような、脳サンゴのかけらだった。

 胸の中にいる、もう一人の小さな私のために、ぴったりなサイズ。

 いく年もたった今も、テーブルの上で密かに主を観察している、小さき私の分身のための記録話である。


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