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家仕事「お父さんのガウンを洗う」

1月30日(日)

くもり 時々 晴れ

・ゴミ袋の取り替え
アルコールスプレーとキッチンペーパーで汚れを拭き取って一緒にゴミ袋に入れて捨てる。昔から唯一の我が家のアルコール除菌グッズ。でも、ゴミ箱は10年物であちこち汚れがあるが、汚くなる物なので私がまぁいいなら良い。

・掃除機をかける
居間と寝室と縁側

・自分のヘアブラシを洗う
竹ピンのブラシ。ずっと愛用している。
歯ブラシで洗って、髪とホコリを取って干している。乾いたら、なんでもいいので、オイルを塗り込んでおく。

・ノンアルコールビールの荷ほどき
最近お酒を飲まない方が体調がいいと気づいている。でも、たまに飲む。頭を体も全身緩みたいからだ。この画像のノンアルを気に入っている。よかったら調べてみてね。段ボールを外に出して、ついでにスーパーに持っていくトレーなどを車に移動させる。

・メダカの交換用の水をバケツにいれて太陽で温める
2年前に息子たちがプレゼントしてくれたメダカの生き残りが2匹。
この時期、外に出しておくと水に氷が張ってしまうので、玄関の水槽に移して2匹いる。別々の水瓶にいたのだけど、玄関に持ってくるときに2匹は出会った。気が合わなかったらどうしよう・・・と、そっと気にかけていたが、よく近くで仲良さそうに泳いでいる。ひとりぼっちだと思っていたのに、仲間に会えてうれしいのかもしれない。

(買い物メモ:メダカの水草)

・プランターに水やり

・セーター2枚を繕う
1枚は、OFF HOUSEで昔買った、柄あみのセーターの胸元の糸が切れた。
1枚は、ウールの無印のタートルネックで肩のあたりを何かでひっかけたらしい。両方とも小さいながらも目立つほつれだったが、きれいに直った。
こげ茶ととグレーのセーターだったけど、両方ともあえて黒い綿の糸を選んで繕った。うまくいって、うれしい。

・プリン(ウサギ)のマットを洗う
プリンがトイレではなく、マットの上でおしっこをするようになってしまった。陣地拡大計画だとおもう。こちらも負けずと、角に(ウサギは陣地の角でトイレをする習性がある)プリンの好きなトトロのぬいぐるみを置いてみたり、木を置いてみたりしているが。今朝は新しい作戦として、マットの上に洗えるタイルマットを敷いてみたけど、彼女はそれをよけ、角ではなく真ん中でおしっこをした。私の上をいくプリンちゃん。

それにしても「おしっこどこでしようかな?」とソワソワして、おしっこをするときに嬉しそうなのが可愛い。

毎日負け戦。

・プリンのおやつを作る
プリンのおやつに、干し編みでシワシワになったりんごをスライサーでスライスして干した。おやつが欲しくて人参を干したりもするが、大体がへたってきた人参やりんごを目にすると思い出してシュッシュとスライスをする。

・洗濯を3回まわす

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「お父さんのガウン」

去年亡くなった義父の使っていた柔らかいブルーグレー色のガウンを息子が欲しいと義母に言ったらしく(しかも本人は言った記憶がない上に実際に見てみて、着るきもないらしい)、我が家にやってきた。それと一緒に、新品のタオル類もやってきたし、厚手の服も洗いたくて、今朝は3回まわした。

うちは縁側も広いし、庭にも盛大なる物干しざおがあるからいいけど、都心暮らしで、乾燥機が必要になるのはわかる。何もないと大人4人分の冬の衣類を日々世話するのは大変だ。

それで、当たり前だけど、義理の父のガウンを見ると、義父(お父さん)を思い出す。このガウンを着ているパジャマ姿を思い出す。

実際に洗ってみて初めて手にとってまじまじと見たのだけれども、たっぷりとしたキメの細かい密な艶々としたフリースみたいな物でできていた。ブランドタグから察するに、まぁまぁ質のいい物だなとおもう。

それで、息子が着ないというならば、私がガウンを使ってみようとおもう。色は比較的好きな色。私は体が大きいのでメンズのMサイズなら、問題もない。

古民家とガウン。

私とガウン。

要はいわゆる形見という物だろう。息子はすでに時計をもらっていた。
私も何か欲しいなと実は小さく小さく思っていた。

私は生前お父さんに、随分気をかけてもらったし、大事にしてもらった。

小さく小さくそのことを思ってたくらいなものだから、物としても小さくてささやかなイメージでいたので、このたっぷりとしたガウンは私の気持ちに比べると大きすぎる。

私は、仕事でフリーマーケットをやっていた位で、誰かのお下がりを着るのも(差し上げるのも)抵抗がない方なはずだった。というか、そのやりとりが好きだった。若いときには、港にあるアンティークの家具の倉庫に足を運んだり、古道具屋さん巡りをしていた。

でも、最近メルカリで買い物をしたのだけど、どうも以前と違う感覚になるようになったのに、実は気づいていた。

前使っていた人と繋がったままのような感覚が出てきた。それが古本に至ってもそうで、前は状態の良い古本があれば、それを買ったりしていたのだけど、最近は新しい本を買うようになった。

正直その感性は面倒だなと思っている。

そして、以前はその誰かが使っていた気配さえも、面白がっていたはずだったのに、もしかしたら、これも年のせいかもしれないなとおもう。

誰かと見えない何かで繋がったことさえも、体力がいるのではないか?と仮説を立てている。そして、面倒だし、まだ50才すぎだし、そんなことも言ってられないので、適当に付き合う。

(そして新品だって、作った人や輸送してくれた人やたくさんの人がいるのだし。)

ちゃーちゃん(義母)用に買ってある、食器棚の箸をたまに使う時も、何か申し訳ないような気持ちになる。私が用意したものなのに少し不思議だ。その申し訳なさは、ちゃーちゃんにたいしてというよりも、その物に対して感じる。主人ではない人に使われるのを寂しく思ったりしてるかのような、勝手なイメージを私がかんじてしまうようになった。

洗って干して、ハード的には、もう主人と繋がりなどなくても、見えない何かで繋がっている気がする。そのうち、その繋がった気持ちまでが自分に馴染むのかもしれないし、馴染まないままかもしれない。

ともかく、今夜からパジャマになったら、私はお父さんのガウンを着て過ごしてみようと思っている。

人生で初めてのガウン。

形見とはよくいったものだ。

まだ亡くなって半年も経ってない。毎朝、寝る前の時間に、お父さんのことを思い出すのも悪くないとおもう。

ちょっと私の気持ちには大きいけど、お父さんは悪くないような顔をしているような気がするから、そうしようと思う。

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