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66年間、一度も山を降りていない尼僧さんを知ってほしい。世界と心が広がっていく。

昨日たまたま観たyoutubeの誰かが「最近、宜保愛子さんをyoutubeでよく見かけるようになった」と言っているのが、私の心に残った。

懐かしい。

多分20年以上前、、宜保さんのことをTVで観たのは覚えているけど、あの頃の私は上京したり出産や子育てだとかで、宜保さんや、あの頃のオカルト系の番組をゆっくり楽しむような時間も心の余裕もなかった(そういえば、あのブーム以降、物騒な事件のせいか、その手の番組やってない?)。だから、今更だけどyoutubeで見てみるか・・と検索かけて出てきたのが下記にある動画

番組的には<宜保さんの霊視が本当のことである>というのを前提に構成されていて今見ると新鮮で、また、当時は感じなかったけど、宜保さんのお人柄に惹かれる。事実かどうかはわからないとしても、人を悪く見ようとしない(霊だからと悪いとか怖いと決めつけないで生きている人みたいに扱う)からファンタジーみたいにあんまり怖がらず見ることができる。

本題は、ここから。

観ていただきたいのは、この動画の<1:08分>くらいから、中国の山奥の尼僧さんのこと。。。

この尼僧さんは小さい時に両親をなくし、大変な経験をしてその霊山に行って、それ以降66年間1度も山から下りたことがないと言う。

観ていただくとわかるが、自分で野菜を育てるなどして、とても簡素な生活をしている。

66年修行してきたけれども「もう年だし悟りをひらくことはないでしょう。」と言う。色々なことをすっかり受け入れている様子に、とても心が打たれた。

あぁ、私も、この人と同じように山奥で簡素に生きることを選んでもいいのか。。。と、ふと思った。いや、思い出した。


幸せな老後

かっこいい老後

素敵な暮らし


それは、今暮らしている社会の価値観に沿った考え方や感じ方であって、この広い世界、こんな山奥の神院もあるし、日本だって、尼僧さんの足元には及ばないにしても、簡素で人里から離れて暮らしをしている人もいる。


私は、あのようになろうともしないし、なれもしないけど、

あのように生きることもできるのだと思えたら、肩の力が抜けて、ほっとした。

幸せや、かっこよさや、素敵さは、自分なりに決めていい。当たり前だけど。


私にとっては

年を取ると言うのは
森に帰っていくこと


そう言うイメージが強い


広がっていた人の輪が
年を取るごとに
身の回りの人たちの小さい輪になっていって
どんどん静かになっていって
他人の評価から少しづつ自由になる


若い頃、思春期ど真ん中で純粋に「人生」について悩んでいた頃は、逆に、そういう世界をもっと意識しながら生きていた気がするが、子育てして、一生懸命仕事をしてきて、そう言う意識からすっかり遠のいていた。

それを思い出せて、本当によかった。

だから、私田舎で暮らしたかったんだな。
山に近いところで暮らしたかったのは、いつか森に帰るからだった。

久しぶりに、私にとって大事なことを思い出した気がする。



・・・

ちょうど、このことを考えながら都心の駅のホームを歩いていたら、ブランド物のバッグを2,3個持って、ちょっとバブル期を思い出すような、綺麗でスタイルもよく華やかな女性とすれ違った。彼女は、見られていることも含めて、その一連のことを楽しんでいる溌剌とした様子で、目を惹かれた。


感じたことは、次回の投稿に つ づ く。



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