私、雑草の生き方好きなんですよ。
私はただのアルバイトである。それ以上でもそれ以下でもない。理由は単純、フルで働く体力がないからだ。だったら、体力をつければいい、と誰もが思うだろうが、そんな簡単な話ではない。ジムに行ったり食事を工夫したりしたが、体重は増えもしないし減りもしない。身長が178センチあるのに対し体重は50キロに満たないほどである。これでは持久力がないのも当然だ。
さらに言えば、能力もそんなにない。プログラムができるわけでも、ずば抜けて教養があるわけでも、何か別の言語を習得しているわけでもない。モチベーションが保てない。娯楽も少なく、酒もタバコも女もやらない。ストイックな性格というわけじゃない。単純に、好きじゃないからというだけの話だ。一般的に見れば、成功者とはとても言えないだろう。ところが、圧倒的に私よりも優秀で、体力もあるような人間が社会に出て身体を壊したり、精神を病んだり、最終的には自殺してしまう事だってある。
私より強いはずなのに。
このシリーズは、弱者である私が巧みに世を渡り歩いて来た過去と、これまで出会った「世渡りの巧者」たち、巧みに人を使うことができた偉人など、「人」をテーマに文章を組み立てていこうというものだ。世の渡り方は一つではない。昆虫を詳しく調べる時、植物を調べる時、人は必ずそれらをじっくりと「見る」。同じことだ。人だって、じっくりみていると癖がわかってくる。
突然ではあるが、皆さんは野草、いわゆる雑草を必ず一度は見たことがおありだと思う。雑草は一見して、「どこにでも生えてくる」と鬱陶しがられる。ところが、植物学の本によれば、それは大きな間違いだ。雑草はどこにでも生えてくるのではない。
自分が生きていけると思ったところにだけ生える
というのだ。理にかなっている。食物連鎖の頂点にある人類が厄介だと感じる植物たちには、それだけの生存戦略がある。私は植物学の専門ではないのでこのぐらいにしておくが、このことは、私のこれまでの生き方と共通する部分がある。学校では就職や大学への進学がゴールになるが、社会人としてはそれがスタート地点であるに過ぎない。競争が激しく高度に工業化され人々がせわしく動き回る今、「また一つ別の生き方」を投げかけてみることが、このシリーズの目的でもある。
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