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友達の作り方が、わかりません。

「突然電話してすみません。実は、バイト辞めようと思ってて」

23時を回った頃、アルバイト先の後輩からそういう連絡を受けた。
後輩を仮に、「浜田君(仮名)」とする。
彼は大学2年生になる子だ。なぜ覚えているかと言えば、私の弟のひとつ年上だったということでよく覚えているからだ。だから、まだ就活が激しくなったわけでもない。やめる理由を聞けば、「合わない」からだという。

私はやりたいことをやって生きているバイトリーダー風情だ。だが、語っていないだけで見る人が見れば壮絶な過去があったりする。だから、社会のレールから敢えて外れたのだが、若いくせにまあまあ経験を積んでしまったために色々な知見を持ってしまった。馬鹿みたいにお酒を飲んで楽しみたいし、女の子と飲み歩きたいところではあるのだが、それで失敗した人間、その人間に泣かされる人間を見てきた。そのため、強い理性が働いて多くの事柄を楽しめなくなった。

そうした経験値もあってか、私は仕事における現場指揮官というだけにとどまらず、彼の実生活における相談にも結構乗っていた。仕事が終わって近くのコンビニに寄り、1時間以上話をしたことだってある。恋愛経験の乏しい私に、好きな人とどう接すればいいかということも相談してきた。一般論しか述べられないが、可能な限り協力するようにした。
ところが急転直下、突然の退職宣言に私は驚いた。

「合わない。年上の人が多く、同年代の人が少ない。それに職場の女性率が高くて男が少ない(要約)」

彼は友達の作り方がわからないということをとても悩んでいた。なんでも中学高校の頃に友人関係をうまく築けたことがなかったらしい。それでインターネットで「友達ができない理由」みたいなのを調べては落ち込み、負のスパイラルに入り込んでしまっているという具合だった。

友達ってなんだろう。

私は浜田君と話しながらふと考えた。もともとそんなに友達といえる人物が多くない私からすれば、固執する問題でなかったので考える機会がなかった。嫌われることを恐れずにズバズバ物を言う私は好感度とは無縁の世界に生きている。それはさておき。浜田君はこうも言った。

「くろうさぎさんに失礼なのはわかっているのですが・・・(要約)」

合わないとか友達ができないというのは、仕事の悩みじゃない。人間関係の悩みだ。現実世界で所属しているコミュニティが少なく、そこでいまひとつ合わないので環境を変えるというのは別におかしな判断じゃないかもしれない。が、年上だからという理由で友達認定されていないように私は感じた。私は一度、彼と話している時に、「こうやってやりとりが気軽にできるのが友達なんじゃないの」と言って励ましたこともあった。だから私からすれば浜田君は十分友達だったのだが、どうやら彼は私のような友達は求めていなかったらしい。少なくとも満足はしていない様子だ。

たくさん時間を過ごしたから友達と言えるかと言えばそうとは限らないし、一緒に遊んだから友達と言えるかと言えばそれもまた人それぞれだ。そもそも定義なんてものを考える時点で、間違ってるのではないか?とさえ思う。とはいえひとつも定義を提示せずに文章を綴るのも主張がなさすぎると思うので、私なりの友達の定義をひとつ挙げる。それは、

「会いたいと思えるかどうか」

だ。これぐらいしか思いつかない。たまにでもいいから顔が見たいな、声が聞きたいな、と思えたら私はその人を友達だと思っている。向こうはそう思っていないかもしれないが(笑えない冗談である)。そう思える人は私の場合、一緒にいた時間は長い事もあれば短い事もある。つまりこれという正解なんてないのだ。少なくとも私の中では。

浜田君がいわゆる「友達」に何を求めているかに全てはかかっている。気軽に遊びに行ったり、ゲームをしたりすることなのか、恋バナがやりたいのか。私はやめるなとは言わなかった。が、今の私たちの職場は端的に言って待遇がいい。この近辺では随一といってもいいくらいだ。人間関係も、私のようにメンタルが弱くてもやっていける程度には常識人が揃っていていい職場だ。同僚の女子たちは軒並み優秀で個性はあっても主張しすぎず調和を重んじる良い人しかいない。上司は優秀ではないが人間くさくて、よく気にかけてくれる優しい人が多い。浜田君も、同じ職場の皆を悪く言っているわけではないし、トラブルがあったというわけでもない。

しかし恐らく浜田君はこのアルバイト先に「お金」ではない何かを求め始めたのだろう。同年代の男の子だったり、飲み会の機会だったりするかもしれない。となると、単純に働いている人が多い場所に移動したり、そういうのが比較的軽い感覚で行われるような職種に飛び込むのが手っ取り早い(具体的な職種は伏せるが)。だが、友達ができない理由をインターネットで調べて落ち込む程度には彼は自信がない。そのような人が別の職場という未知の領域に飛び込んでうまくやれるのか甚だ疑問ではあるが、応援するしかないといったところだ。

友達を求めてバイトをするって結構コミュ力がいる気がするし、ハードルが高いとは思うのだが・・・。

これを読んでくださっている方は、友達をどう定義しているのだろうか。そしてその友達はどうやって作ったのだろうか。何かしら意見を述べてくだされば、それが一意見として私から浜田君に伝えられるかもしれない。余談だが、時々見る「男女間の友情は可能なのか」という問題についても、人それぞれの「友達観」がある以上コメントしづらい。私は会いたいと思えるかどうかが友達の基準なので、それでいえば女子の友達もたくさんいることになる。向こうは会いたいと思っていない可能性は十分あるが

したいこととできることは違う。浜田君が、できないのにパリピの仲間になろうとしていたりするのであれば全力で止めたいところだ。しかし恐らくもう彼は私の意見には耳を貸さないだろう。彼は相談もなく突然決断を下してしまった。もしかすると精神的に不安定だったかもしれない。
身もふたもないことをいうが、友達がいなくたって生きていける。友達がいなければいけないというのはある意味思い込みであり呪いですらあると私は感じている。

ただ、ある精神科医の方に曰く、
「集団で過ごすことがメインフィールド」の人と、
「個人で過ごすことがメインフィールド」の人がいるらしい。

前者はたまに一人になったほうがいいし、後者はたまにたくさんの人と過ごしたほうがバランスがとれるという。自分がどっちタイプかくらいは知っておいて損はないかもしれない。

最後に爆弾のような逸話を投下するが、私は小学1年生の時に、何人かに

ねえ、友達になろう?

と声をかけたことがある。われながら割と勇気がある。
そのとき、記憶がはっきりしているわけではないが、似たような答えを全員からもらった覚えがある。

「もう友達じゃん」

私は純粋無垢な子どもの感性は強く信頼している。子供がそういうのだ、間違いない。友達とは「そういうもの」だ。頑張れ浜田君。友達ができるその日まで。

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