全ては居残り回避のために

今、これを書いている2020年3月は、コロナウイルスの報道で持ち切りだ。
学校が休みになったりと日常に巨大なイレギュラーが発生している。
「学校なんて行かなくていい」と声高に叫ぶ人達もおられる。これも、私は別に否定するつもりはない。最初の頃はそんな馬鹿な事を、と思っていた時期もあったが、自分が大概変人なのだから、人様の意見を否定してどうする、と反省した。

学校については色々語りたいことはあるのだが、全てを語ると脱線するので部分的に語ろう。
私は小学生の頃から居残りが大嫌いだった。だから、小学生の頃給食を食べきるまで帰らされなかった経験は未だに嫌な思い出として残っている。そういうことを今やったら、裁判でもできそうなものだ。もっとも、その先生は後に教師の世界から「干され」、ほとんど生徒に関わることができなくなったが。もう既に脱線しかかっているので、路線を戻そう。みなさんはどういう学生時代を送られてきただろうか。真面目な人と評価されていただろうか。それとも、アウトローな存在として認知されていただろうか。私は前者だった。真面目な子だった。しかし、先生は一体私のどこを見てそう思っていたかはわからない。恐らく、テストの点数をそれなりにとること、黙って授業を聞いていること、そんな要素でそう思ったのではないだろうか。上述したように私は居残りが嫌いだった。宿題をやらなかったりテストで悪い点をとったら居残りになったから、ただやっていただけだった。真面目な人と思われたいからやっていたというわけではない。だが、周囲の評価は本心とは違い「真面目な子」だった。人の評価などまるであてにならない。だが、うまく利用すればすごくオイシイことに気づいた。騙しているわけでもないのに、勝手に向こうが良い評判を立ててくれるなら、それに越したことはない。私は小中高と12年間、

「居残りにならないための勉強」

をやった。結果、12年で居残りになった回数は10回もあったかどうか、という程度のものだ(時々ヘマをした)。具体的にどんな勉強かといえば、例えば「平均点の半分以下の人間が居残り」とされた場合、平均点が大体傾向としていつもどれくらいかを探る。私が行っていた高校では、60点くらいが相場だった。その半分以下、つまり30点以下をとらなければいいという事だ。

100点を目指す勉強は苦しいが、30点をとる勉強は簡単だ。

だから、嫌いな科目の点数は30点とか40点とかそこら辺をうろうろしていて、好きな授業(世界史)の勉強だけ面白いからやる、というやり方をやっていた。そうすると、好きこそものの上手なれで、こっちでは学年首位をたたき出すこともあった。一度こういうことがあると、先生の評価もそうだが他の生徒も単純なので、「あいつは勉強のできるやつだ」と思う。だが、他の授業ができていないのを見て、「あいつ勉強ができると思ったけどそうでもないな」とギャップを感じさせることもできる。「エリート」の評価がほしければ、どの授業も頑張ったらいいと思うが、私は居残りがしたくないだけだったので、周りの評価はどうでもよかった。因みに古典の授業では頑張って短編小説を考えていた。何か一生懸命書いてると先生は真面目にやってると勝手に思ってくれるので、イージーモードのステージだった。

中学時代もそれなりに「優等生評価」だったので、生徒会執行部に先生の推挙を受けて入った。もっともこれも布石であり、「高校受験をやりたくない」という目線で、推薦入試をするために有利な経験を一つ持っておきたかったというのがある。執行部ではそれなりに暴れまわった。やりたくないことに反発し、敵対する派閥の落ち度を野党みたいに批判して遊んだ。

この国は、民主主義だから

と意味不明な理屈で、”目安箱”と称してアンケートボックスを当時側近だった男の子と一緒に作ったりもした。今でもその箱は母校にある。だが、流石に執行部ではちょっとやりすぎたらしく、相当数の友人から嫌われたようである。もっとも、嫌われたところで居残りにはならないので、どうでもよかったのだが。

そんな具合で、のらりくらりと煮ても焼いても食えない存在として学生生活を生き抜いてきた。そうやってると、マニアックな友達ができて面白かったし、友達がいなくてもそれなりに一人でやっていけるので、特に不足はなかった。たまに親切にしたり、過度に不潔でなかったり、言葉遣いに配慮してれば嫌われたとしても嫌われすぎることはない。それに、学校での関係なんて卒業してしまえば大して人生に影響を与えるものでもないのが多くの場合の現実だと思う。それくらい、肩を抜いてやったほうが、楽だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?