教会暦,聖書朗読箇所の配分,グレゴリオ聖歌の配分について (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ・はじめに・2)


更新履歴

2022年2月23日 (日本時間24日)

  •  現行「通常形式」のローマ典礼について「第2バチカン公会議による改革後の典礼」と記していたが,この典礼がこのような形になったことは第2バチカン公会議自体には起因しない部分が大きいとの認識に至ったため,ほかの言い方に改めた。

2022年2月8日

  •   「公の典礼」という概念をどうやら誤った理解に基づいて用いてしまっていたため,これを用いるのをやめて別の言い方にした。

  •  教会における日曜日の位置づけについての説明を本文に組み込み,加筆 (「安息日」と日曜日との関係について)・修正も行なった。

  •  今さらながら,本稿が現行「通常形式」のローマ典礼についてのものであるという断り書きを追加した (「2.1. 降誕祭 (クリスマス) を中心とする時期」の冒頭)。

  •  四旬節について「悔悛・節制・慈善が促される」季節だと書いていたのだが,正確には「祈り・節制・慈善を通して悔悛が促される」ということらしいので修正した。

  •  その他細かい修正を行なった。

2019年8月25日

  •   「はじめに」に少し補足した。 

2019年3月4日

  •  個々の日のランク付けについての説明を追加した。

2018年11月16日

  •  教会における日曜日の位置づけについての説明を追加した。

2018年11月13日 (日本時間14日)

  •  投稿
      


はじめに

 ミサであれ聖務日課であれ,カトリック教会の典礼は常にその暦 (教会暦,典礼暦,典礼暦年などと呼ばれる) と結びついており (儀式ミサ, 「種々の機会のミサ」,随意ミサを除く),それに基づいたテーマを持っている。「主の降誕」(クリスマス),「主の復活」(イースター),「聖パウロの回心」などとテーマがはっきり示されている場合もあれば,読まれる聖書箇所などから何らかのメッセージが読み取れるだけのこともあるが,とにかく毎日異なるテーマになっている。
 そして,グレゴリオ聖歌はローマ・カトリックの典礼用の聖歌なので,当然,それぞれの日のテーマに関連する内容を持っている。(2019年8月25日追記:そう言いたいところなのだが,実際には,そもそも何をテーマとしたいのか分かりづらい日,あるいはそれは分かりやすくてもどうしてその日にそのグレゴリオ聖歌が充てられているのか分かりづらい日もある。)

 それぞれの日がテーマを持っているだけでなく,教会暦には大きな流れ・区切りもある。最も大きい区分としては,降誕祭 (クリスマス) を中心とする時期,復活祭 (イースター) を中心とする時期,それ以外,という3区分がある。前2者はそれぞれ,準備期間 (斎戒期),メインの大きな祭り,それに続く喜びの日々,という構成になっている。降誕祭と復活祭というところから分かるとおり,これはイエス・キリストの生涯に基づく暦である。
 以下,これら3つの時期それぞれについて解説し,それからさまざまな細かいことについても述べてゆくことにするが,その前にまず教会における日曜日の位置づけという最も大切ともいえることからご説明したいと思う。
 

1. 教会における日曜日の位置づけ

 近年は,1週間の始まりを月曜日,終わりを日曜日とするカレンダーがよく見られるようになってきたが,教会の暦においては,週のはじめの日はあくまでも日曜日である。たとえば「アドヴェント第3週」というとき,月曜からその週が始まって,「週末」の「アドヴェント第3日曜日」のミサに人々が集まる,のではないまずアドヴェント第3しゅじつ (主日=日曜日) があって,そこを源としてアドヴェント第3週が流れ出す,という形になっている。
  「主日」というのは読んで字のごとく「しゅの日」であり,この「主」はイエス・キリストを指す。ではなぜ日曜を「主の日」と呼ぶのかというと,イエス・キリストの復活が起こったのが日曜だからである。週の終わりの「安息日」ではなく,週のはじめに復活を祝い,復活の新しい力で新しい週を走り出すというイメージである。

 なお「安息日」というものについてだが,これは本来週の最後の日すなわち土曜日であり,ユダヤ教徒は今でもこれを守っている。それに対して「キリスト教の安息日は日曜日だ」(教会に集まるのは日曜日だから) という言い方も聞くし,実際古代においてユダヤ教との差別化のため聖なる日を意識的に土曜から日曜に移したという歴史的経緯もあったようだが,だからといって「安息日」が日曜になったのかというと,実は必ずしもそうではない
 少なくとも正教会 (東方正教会。日本ではお茶の水のニコライ堂こと東京復活大聖堂など) では「スボタ (安息日)」といえば間違いなく土曜日のことであるらしく,「金曜日はキリスト (日本正教会では「ハリストス」という) が受難した日,土曜日はキリストが墓で休んだ日,日曜日はキリストが復活した日」という捉え方をしているという (参考:高橋保行『知られていなかったキリスト教  正教の歴史と信仰』。手元にないのでページ番号は示せない)。
 カトリック教会がこの点どう考えているのかは,私は未だによく分かっていない。復活祭の前日 (聖土曜日) を「大安息日」と呼んでいることだけは確かだが,普段の土曜日を「安息日」と呼んでいるのは私はまだ聞いたことがない (教会ラテン語では土曜日をsabbatumといい,これは安息日を表すヘブライ語に由来する語ではあるが)。
 

2.1. 降誕祭 (クリスマス) を中心とする時期

 これ以降述べることはすべて,現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入されてゆき,現在のローマ・カトリック教会で最も一般的に行われている典礼) についてのものである。それより前の規定に基づく伝統的なローマ典礼も一部では続けられており (「特別形式」典礼として正式に認められている),グレゴリオ聖歌研究のためにはむしろそちらのほうが重要なのだが,本稿では扱わない。暦の大きな流れはどちらの典礼も同じである。(「特別形式」典礼での暦,すなわち1962年版ミサ典書での暦にご興味のある方は,こちらの記事の導入部に概要をまとめておいたのでご利用いただければ幸いである。)

 まず,11月27日~12月3日の間にくる日曜日に,クリスマスを待ち望む季節であるアドヴェント (たいこうせつが始まる。大きな祝いであるクリスマスをよい状態で迎えよう,ということで,悔い改めの期間である。教会暦上の1年は,このアドヴェントをもって始まることになっている。
 
アドヴェントの間にしゅじつ (日曜日) は4回来るが,そのうち第3の主日 (Gaudete ガウデーテ) はやがて神の子が来ることの「喜び」を強調しており,悔い改めの期間にありながら明るい性格を持っている。アドヴェント自体,(特に今どきは) 決して暗い性格の季節ではないが。
 12月17日からの1週間にはこの季節はいっそうの深まりを見せ,晩課 (聖務日課の一つ) でO-antiphonaeと呼ばれる特別な歌が歌われるなどする。

 12月24日の晩から「主の降誕」(クリスマス) が祝われ (ただし本来は,24日の晩のミサはまだ前夜祭的な感じで,25日午前0時ごろからの「夜半のミサ」でいよいよ本番である。しかし深夜に集まるのは難しいなどの理由で,この「夜半のミサ」を24日の晩に前倒しにすることがほとんどであるため,実際に教会に行く場合は24日の晩に行けばたいてい間違いない),そこから降誕せつが始まる。街では12月25日でクリスマス終了という傾向が強いと思うが,教会では逆にここからクリスマス・シーズンというわけである。
 この季節のもう一つの重要な祭りである「主のこうげん」 (エピファニー。1月6日,東方の三博士の来訪) を経て,その次の日曜日に「主の洗礼」(イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたこと) を祝ったところで降誕節は終わる。
 なお「主の公現」は特別重要な祭りなので,なるべく皆がミサに来ることができるようにと,1月6日が休日でない国の教会では1月2~8日の間にくる日曜日に移して祝う場合が多く,日本でもそうしている。この後もいくつか「日本では次の日曜日に移して祝う」と述べる箇所があるが,すべて同様の事情によるものである。
 

2.2. 復活祭 (イースター) を中心とする時期

 復活祭は,「春分の後最初に満月が出た後最初の日曜日」に行われることになっている。月の満ち欠けが関わるため,毎年日取りが大きく変わる (早ければ3月22日,遅ければ4月25日)。

 復活祭の46日前の水曜日を「灰の水曜日」といい,これが復活祭に向けた準備期間として祈り・節制・慈善を通した悔悛が促される「じゅんせつ (レント)」の始まりである。プロテスタント教会では「受難節」と呼ぶところも多いと思う。前述のアドヴェント第3主日 (Gaudete) とまさに同じような感じで,四旬節第4主日 (Laetare レターレ) は復活の喜びを少し先取りする性格を持っている。この日の入祭唱の旋律の中に,復活祭に歌われる旋律の一部を用いているものがあるのは面白い (なお,同様の現象は四旬節第1主日の入祭唱にも見られる)。
 四旬節の典礼の大きな特徴として,「ハレルヤ」の語が一切現れないということが挙げられる。

 復活祭の1週間前の「枝の主日 (しゅの主日)」から「聖週間」が始まる (なおこの日は「受難の主日」と呼ばれることもあるが,これは伝統的にはこの日ではなく一つ前の主日を指す言葉である点,注意を要する)。この日は本来イエスのエルサレム入城を記念する日なのだが,聖金曜日に教会に来る人ばかりではないことへの配慮もあってだろうか,ここで受難の記念まで行われることになっている (しかしそうしない司祭も少数だが知っている。本来許されるのかどうかは知らないが,私個人はわりと好きである)。

 本来のイエス・キリスト受難の日である聖金曜日,翌日の聖土曜日と復活の主日を合わせて「すぎこしの聖なる三日間」といい,これは1年で最も重要な3日間として祝われる。キリスト教の根幹が,イエス・キリストの (たとえば降誕ではなく) 受難と復活にあるためである。
 この「過越の聖なる三日間」は聖金曜日の午前0時に始まるのではなくて,旧約時代以来の伝統に従って前晩から始められる。そこで行われるのが「聖木曜日・主の晩餐の夕べのミサ」であり,イエスが弟子の足を洗ったことや最後の晩餐 (せいたいせきの制定) を記念し,最終的にイエスがゲツセマネで苦しみ祈る場面までを記念する。いつもはミサの最後には終了・解散宣言 ("Ite, missa est") があるのだが,ここではそれがなく,そのまま聖金曜日へと続くという形になっている (実際,そのまま教会に残ってゲツセマネのイエスとともにしばらく祈り続ける人々もいる)。個人的には,この聖木曜日の典礼は一年中で最も印象深いものの一つである。

 聖土曜日の日没から復活の主日の夜明けまでのどこかで,過越の聖なる三日間の頂点 (つまり全典礼の頂点) である復活徹夜祭が行われ,そこから「復活せつ」が始まる。四旬節と逆に,復活節にはありとあらゆる聖歌に「ハレルヤ」がつけられ,その量は四旬節に控えた分をはるかに上回ることになる。
 復活の主日を1日めとして数えると40日めに当たる復活節第6週の木曜日には,「主の昇天」(イエスが天に上げられたこと) が祝われる (日本では次の日曜日に移して祝う)。その後は聖霊降臨を待ち望む期間となり,昇天祭の10日後 (復活の主日の7週間後) の日曜日に聖霊降臨祭 (ペンテコステ) を迎え,これをもって復活節は終わる。
 ただし復活節の時期によって日取りが変わる祭日が3つあり,それは聖霊降臨祭の次の日曜にあたる「さん一体の主日」,その週の木曜の「キリストの聖体」(日本では次の日曜に移して祝う),そしてその次の週の金曜の「イエスの聖心」である。
 

2.3. それ以外の時期

 以上2つの時期のいずれにも属さない期間はまとめて「年間」と呼ばれ,全部で34週ある (たまに33週しかないこともある)。降誕節の終わりから四旬節の始まりまで間があるので,まずそこに「年間」のはじめ何週かがきて,残りは復活節のあとにきて,11月26日~12月2日の間にくる土曜日まで続く。その翌日 (厳密にはその前晩から,つまり土曜日の晩から) は,教会暦上の新しい一年のアドヴェントに入るというわけである。

  「年間」の終わりのほう,すなわち教会暦上の一年の終わりのほうでは,終末やキリストの再臨に思いを向けるようになっている。これは重要なテーマなので省略されることがないよう,「年間」が33週しかない年には,最後の1週 (年間第34週) をカットするのではなく途中の1週を省く決まりになっている。
 

3. 聖人の記念日など

 ここまでで説明した暦はイエス・キリストの生涯に基づくものといえるが,それに対していわば独立に,聖人や教会史上の重要なできごとなどを記念する一連の日々があり,おもに平日に祝われる (ただし,聖週間など重要な期間には,平日であってもそちらのほうが優先される)。しかし,日曜に当たっても優先的に祝われる日もある。洗礼者聖ヨハネの誕生 (6月24日),聖ペトロと聖パウロ (6月29日),聖母マリアの天への受け入れ (いわゆる「被昇天」。8月15日),諸聖人の日 (11月1日) などがそれである。
 

4.1. 祝いの荘厳さ・盛大さのランクづけ

 まず,主日かしゅうじつかをとりあえず考慮せずにいうと,上から順に「祭日」「祝日」「いずれでもない日 (記念日あるいは無印)」の3段階があり,どれに属するかによって,どのように祝うかが決定される。これらのうち祭日のみは,前晩から (晩といっても15時くらいから) もうその祭日に入ったものとされる。そのため,祭日の聖務日課の晩課 (Vesperae) と終課 (寝る前の祈り,Completorium) には前晩用と当日用との2つがあり,ミサ式文も日によっては前晩用のものが別個にある。
 ミサ自体の祝い方も上記の3段階によって異なる。具体的には,朗読の数 (祭日のみ2朗読+福音書,あとは1朗読+福音書),GloriaとCredoの有無 (祭日は両方あり,祝日はGloriaのみあり,あとは両方なし),音楽の華やかさなどが変わる。
 記念日には「義務の記念日」と「任意の記念日」とがあり,前者はより優先順位 (後述) が高いものがない限り必ず記念することになっている日,後者は読んで字のごとく,記念してもしなくてもよいことになっている日である。

 この3段階とは別に,もちろん主日 (日曜日) は一般に週日 (平日) よりも盛大に祝われる。上の3段階でいえば,前晩から祝われることといい,朗読の数といい,GloriaやCredoの有無といい,主日は基本的に祭日と同じ扱いだと言ってよい (が,季節などによって細かいことは変わる)。ただし,ややこしいのだが,たいていの主日がいわば無印の主日である一方,「祭日かつ主日」(復活の主日,聖霊降臨の主日など) である日や,「祝日かつ主日」(主の洗礼など) である日もある。後者の場合,祝日だからといってCredoが省略されたりはせず,あくまで少なくとも普通の主日並みには (あるいは,重要度を考えるとそれ以上に?) 盛大に祝われる。
 

4.2. 教会暦上の個々の日の優先順位

  「聖人の記念日など」の項で少し見たように,複数の祝い・記念が1つの日に重なってしまったときに,どれを優先するかという問題が生じる。そのために,日曜も平日も,イエス・キリストに関する日も聖人に関する日も,すべて重要度に従ってランク付けされている。どの日がどこに属するか,別記事にまとめた。
 

5.1. 聖書朗読箇所の配分

 それぞれの日には,その日に合った聖書箇所が朗読される。
 主日と祭日には福音書から1箇所とほかに2つの文書から1箇所ずつ,合計3箇所が朗読され,それ以外の日には福音書から1箇所とほか1箇所の合計2箇所が朗読される。

 ほとんどの主日には3種類の朗読箇所セットが用意されており,それを年替わりで読んでゆき,3年経ったらまた戻ってくるようになっている。3年の中のどの年にあたるかによって,それぞれの年をA年,B年,C年と呼ぶ。これを書いている2018年はB年にあたる。ただし前述のとおり教会暦はアドヴェントから始まるため,アドヴェント (2018年は12月2日から) に入ったらもうC年である。
  「年間」に属するしゅうじつ (平日) の聖書朗読は2年でひと回りするようになっている。こちらはアルファベットでなく数字で,第1年 (第1周年),第2年 (第2周年) という。早い話が,「第1年」は奇数年,「第2年」は偶数年である。
 毎年同じ聖書箇所が読まれる日もたくさんある。多くの祭日・祝日・記念日がそうであるほか,「年間」以外 (つまりアドヴェントや復活節など,特定の性格を持った期間) の週日もそうである。
 

5.2. どの日にどのグレゴリオ聖歌 (固有唱) が歌われるか

 ほとんどのグレゴリオ聖歌の成立は古く (1000年以上前),それらができたころの聖書朗読箇所の配分は今とは異なるところも多いので,現在の典礼書では,今の事情に合うように聖歌をうまく割り振り直している。なお「ほとんどのグレゴリオ聖歌」と書いたが,「すべての」でないのは,比較的新しくできた祭日 (1925年に導入された「王であるキリスト」など) のために新しい聖歌が作られるということもあったからである。

 実際どの日に何を歌うかだが,たいていはGRADUALE ROMANUM/TRIPLEX/NOVUMのその日のページに載っている聖歌を歌えばよい。しかし,上述のように3年周期または2年周期で異なる聖書箇所が読まれる日があるので,たとえば「C年の主日にはこれを歌え」というふうに,別のページに載っている聖歌が指示されていることがよくあり,注意を要する。
 週日のミサでは,聖人などの記念日は別として,基本的には主日に用いられた歌がそのまま用いられる (四旬節などを除く)。別の歌を用いるべき場合には,「火曜日にはこれを歌え」「第2年の金曜日にはこれを歌え」などと指示がある。あるいは逆に,主日だけ特別なテーマを持っているため別の歌が歌われるというケースもある (三位一体の主日,王であるキリストの主日など)。
 以上のような指示は,GRADUALE ROMANUM/TRIPLEX/NOVUMにはすべてラテン語で書かれている。それらを訳した記事 (GRADUALE ROMANUM/TRIPLEX準拠) を作成したので必要に応じてご利用いただきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?