入祭唱 "Invocabit me" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ30)

 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX pp. 71-72; GRADUALE NOVUM I p. 60.
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更新履歴

2022年2月13日 (日本時間14日)

  •  下記 "glorificabo" の解釈について補足した。

2022年2月9日 (日本時間10日)

  •   「教会の典礼における使用機会」の部中,中世の典礼用聖歌書で聖人の記念の部に出現する "natale (誕生)" という語の意味について書いた部分について,本稿で扱う意味がほとんどない上に長すぎると判断し,すべて削除した。そのうち独立した記事にして投稿するかもしれない。

  •  "glorificabo" の旋律に読み取りうる重要な意味についての解説を書き加えた (「対訳」の部)。

2019年10月18日

  •   「教会の典礼における使用機会」の部において,中世の典礼用聖歌書で聖人の記念の部に出現する "natale (誕生)" という語の本当の意味を追記し,これを知らずに見当違いなことを書いていたのを訂正した。

2019年3月9日

  •  投稿


【教会の典礼における使用機会】

 昔も今も,四旬節第1主日に歌われる。

 9世紀後半の聖歌書の中には,司教 (教皇?) であった聖人の祝日の前晩ミサ (IN VIGILIA PONTIFICIS) のところにもこの入祭唱を記しているものがある (Antiphonale Missalum Sextuplex, p. 169, 第170番)。また,教皇グレゴリウス1世の名を冠した聖歌書 (Sancti Gregorii Papae Liber Antiphonarius. 実際には誰が編纂したものか,少なくとも私は知らない) では,「司教の叙階にあたって」(In Ordinatione Pontificis) というところにこの入祭唱が載っている。これらのことからは,今回の入祭唱が昔の人にとって,何らかの意味で高位聖職者の位階・職務と関連づけられるものでもあったことがうかがえる。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Invocabit me, et ego exaudiam eum: eripiam eum, et glorificabo eum: longitudine dierum adimplebo eum.
Ps. Qui habitat in adiutorio Altissimi, in protectione Dei caeli commorabitur.
【アンティフォナ】彼は私を (助けを求めて) 呼ぶであろう,そうしたら私は彼 (の願い) を聞こう。彼を救出し,彼を栄光ある者としよう。日々の長さ (長命) をもって彼を満たそう。
【詩篇唱】至高者の助けのうちに住む者は,天の神の守りのうちにとどまるであろう。

 アンティフォナの出典は詩篇第90 (一般的な聖書では91) 篇第15–16節であり,詩篇唱にも同じ詩篇が用いられている (ここに掲げられているのは第1節)今回は,Vulgata=ガリア詩篇書 (Psalterium Gallicanum) ではなく,ローマ詩篇書 (Psalterium Romanum) がもとになっていることが明白である。(「Vulgata=ガリア詩篇書」「ローマ詩篇書」とは何であるかについてはこちら)
 元テキストでは "et ego exaudiam eum" の後に "cum ipso sum in tribulatione (憂愁に沈むとき,わたしは彼とともにある)" と,また "longitudine dierum adimplebo eum" の後に "et ostendam illi salutare meum (そして彼に私の救いを示そう)"とある。それ以外は,この入祭唱のテキストはローマ詩篇書のそれと完全に一致している。

 ……と,詩篇書との比較は簡単に済むのだが,グレゴリオ聖歌が記された昔のさまざまな聖歌書自体において,実はテキストの異同がある。それも最初の語 "invocabit" についてである。これは未来時制をとっている動詞だが,多くの昔の聖歌書で "invocavit" (完了時制) となっているのである。まずAMSにまとめられた8~9世紀の6つの聖歌書のうち,入祭唱に関係ある5聖歌書ですべてそうなっているし,GRADUALE TRIPLEXがこの入祭唱のネウマを書き写すもとにしているLaon 239 (9~10世紀) とEinsiedeln 121 (10世紀) の両聖歌書においても "-vit" となっている (にもかかわらず,そのことはG. T. には特に記されていない)今回はほかの聖歌書はいちいち調べないが,少しだけ見たところでは,"-bit" としているものも "-vit" としているものもあるようである。
 

【対訳】

【アンティフォナ】

Invocabit me,
彼は私を (助けを求めて) 呼ぶであろう,

  「彼」がどんな人を指すかは,詩篇唱で示される。「至高者の助けのうちに住」み,「天の神の守りのうちにとどまる」者である。
  「私」は神。神が語り手となっているグレゴリオ聖歌 (あるいは入祭唱) はあまりない,ということをどこかで読んだと思うのだが,どこでだったか残念ながら忘れた。

et ego exaudiam eum:
そうしたら私は彼 (の願い) を聞こう。

eripiam eum,
私は彼を救出しよう,

et glorificabo eum:
そして私は彼を栄光ある者としよう。

  •  ここの "glorificabo" の旋律の一部 (Si-re-mi-do-do-La-do) は,復活徹夜祭のGloria前の7つの聖書朗読において,各朗読の後に歌われる聖歌の中に繰り返し現れる。これにより「栄光ある者とする」という語は来る日の「復活」を暗示するものとなり,したがって,この入祭唱で神を呼ぶ人というのは実はイエス・キリストあるいは彼のように歩もうとする人のことだ,と考えることも可能になる。

  •  ただし,このようにグレゴリオ聖歌に隠された意味を読み解くときに重要な文献の一つであるアウグスティヌス『詩篇講解』は,この箇所をイエス・キリストその人に関連づけてはいない。

longitudine dierum adimplebo eum.
日々の長さをもって彼を満たそう。

  •   「日々の長さ」とは長い寿命のこと。前の文についての解説で述べたようなことから,この「長い寿命」というのは復活の生命のことだと考えることもできる。

【詩篇唱】

Qui habitat in adiutorio Altissimi, in protectione Dei caeli commorabitur.
至高者の助けのうちに住む者は,天の神の守りのうちにとどまるであろう。

  •  コンマまでを従属節 (関係代名詞quiを主語とする文) として,コンマより後を主節として訳したが,実はもとの聖書に戻れば,全体を従属節として訳すことも可能である。「至高者の助けのうちに住み,天の神の守りのうちにとどまる者は」というわけである。「至高者の助けのうちに住」むことと「天の神の守りのうちにとどまる」こととが同じことの言い換えとみられる以上,そのほうが自然でもあると思う (さもないとほとんどトートロジーになるから。「織田に仕える者は,信長のために働くであろう」のように)。しかし,今回はこの文に続きがない以上,この文だけで完結させざるを得ず,したがって主節がなくてはならないので,前半を従属節,後半を主節として訳すしかない。
     

【逐語訳】

【アンティフォナ】

invocabit 彼が (助けを求めて) 呼ぶであろう (動詞invoco, invocareの直説法・能動態・未来時制・3人称・単数の形)

  •   「テキスト,全体訳,元テキストとの比較」の部で触れたように,少なからぬ昔の聖歌書では "invocavit" (完了時制) となっており,その場合は「彼が (助けを求めて) 呼んだ」。

me 私を

et (英:and)

ego 私が

exaudiam 私がよく聞こう,聞き入れよう (動詞exaudio, exaudireの直説法・能動態・未来時制・1人称・単数の形)

eum 彼を

  •  ラテン語に限らない話だが,「彼の言葉を聞く」ことが単に「彼を聞く」と表現されることがある。

eripiam 私が救出しよう,(困難な状況から) 引き剥がそう (動詞eripio, eripereの直説法・能動態・未来時制・1人称・単数の形)

eum 彼を

et (英:and)

glorificabo 私が栄光ある者としよう (動詞glorifico, glorificareの直説法・能動態・未来時制・1人称・単数の形)

eum 彼を

longitudine dierum 日々の長さで (longitudine:長さで [奪格],dierum:日々の)

  •  次の "adimplebo" にかかり,「なにで」満たすのかを示す。手段などを表す格である「奪格」があるおかげで,ラテン語ではこういうときに前置詞が必要ない。

adimplebo 私が満たそう (動詞adimpleo, adimplereの直説法・能動態・未来時制・1人称・単数の形)

eum 彼を

【詩篇唱】

qui (英:he who)

  •  関係代名詞の男性・単数・主格だが,英語ならば先行詞が必要になるところ,ラテン語では省略できる (あるいは,関係代名詞が先行詞をも含んでしまうことができる,と言うべきか)。「~である人」「~する人」。

habitat 住む (動詞habito, habitareの直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)

in adiutorio Altissimi 至高者の助けのうちに (adiutorio:助け [奪格],Altissimi:至高者の)

  •  "adiutorium" (>adiutorio) は,支えること,困難な状況において味方であること,といった意味合いであるようである。

in protectione Dei caeli 天の神の守りのうちに (protectione:守り [奪格],Dei:神の,caeli:天の)

commorabitur とどまるであろう (動詞commoror, commorariの直説法・受動態の顔をした能動態・未来時制・3人称・単数の形)

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