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Herford旅行記など (2022年7月10日)

 土曜と日曜の2日間だけ休暇を取り (私は教会音楽家なので,土曜や日曜は働く日である),そのうち日曜に小さな旅に出た。たまにはきちんと記録してみることにする (初めのほうはこの日のミサの話なので,旅の記録だけお読みになりたい方は飛ばしてください)。

  *  *  *

 休暇中の日曜にはいつもするように,まずMünsterミュンスターSt.ザンクト Aegidiiエギディイー教会で9時15分から行われる特別形式ミサ (伝統的なミサ,いわゆるトリエント・ミサ) に与りに行った。開始時刻のころになると侍者の一人が出てきてマイクの前に立った。これ自体はいつものことで,その週のお知らせがなされるのだが,この日はそうではなく,「司式司祭が30分ほど遅れる。だからロザリオを祈ります」というアナウンスだった。おそらく寝坊などではなくて,どこかよそからいらしているので (特別形式ミサは限られた人々によって担われているので,遠くから司祭が来ることは比較的多い) 交通事情のせいでこうなったのだろう。それにしてもロザリオを祈ることを即断するのはさすがである。なおロザリオはラテン語ではなくドイツ語だった。3連終わって第4連のはじめの主の祈りまで祈ったところで中断して灌水式 (ミサ前に司祭が聖堂を回って聖水を会衆に振りかける式) が始まったので,実際には20分も遅れなかったものと思われる。

 私はこの灌水式が,というよりその際歌われる聖歌 "Asperges me" が好きである。これは通常形式ミサでも行えるはずなので,もっと広く見られるようになればよいのにと思う。なお今どきこういうことを言うと変な人扱いされるのかもしれないが,ある本によればこの灌水式が行われると悪魔・悪霊はその場に留まることができなくなるらしいので,その意味でも重要だと思う。

 このSt. Aegidii教会の特別形式ミサは,いつもは音楽的にも質が高いのだが,この日はどうやらオルガニストも聖歌隊 (スコラ) もいつもの人たちの大半がいなかったようで (夏休みだろう),その点はやや残念だった。しかし代理のオルガニストは,独奏曲はともかく,通常文 (Kyrie, Gloriaなど) の伴奏は実によくこなしていた。グレゴリオ聖歌の会衆伴奏は私には難しく感じられるのだが,これも慣れの問題なのだろうか。

 福音書は山上の垂訓の一部,「あなたがたの義が律法学者やファリサイ人の義に優っていなければ,あなたがたは天の国に入ることはできない」「決して怒ってはならない」「兄弟を罵る者は最高法院に引き渡される」という箇所。「昔の人はこう言っている。しかし私はこう言う」というイエスの言い方について,「第2バチカン公会議以降,『イエスはこう言っている。しかし私はこう言う』が横行している」と説教で言われたのはいかにも特別形式ミサだった。「イエスの要求は厳しい。多く与えられた者は多く要求されるのである」(ここが最も印象的だった,というか反省を促された)。「聖母と連絡を取っているなら,その厳しい道も聖母がともに歩んでくださる」「秘跡が受けられるとき,この2022年にあっても教会は生き生きとする」といったメッセージで説教は締め括られた。

 ミサの終了時刻はなんといつもと同じくらいだった。聖変化の前の (我々には聞こえない) 祈りがいつもよりはるかに短かったためというのが大きいかと思うが,あれは (声に出さないゆえに) 時間調整可能だということなのだろうか。

  *  *  *

 この日はHerfordヘルフォルトというBielefeldビーレフェルト近くの小都市 (私の住むEmsdettenエムスデッテンから東に80kmほどのところ) で18時から行われるオルガンコンサートを聴くことにしており,早めに行って街を見物しようと思っていた。Münster中央駅に旨いカレーを食べられる店があるのでそこで食べて行こうかと思っていたが,開店がやや遅れていたのでパン屋でサンドイッチ (といっても厚く硬めのパンで挟んだもの) とコーヒーを買って食べた。結局そのおかげで胃が重くならずこの後よく歩き回ることができたのだろうから,これでよかったのだろう。

 たしか11時半くらいの電車で発つ。Osnabrückオスナブリュック中央駅で乗り換え。最後のBielefeld–Herford間の5分余りを除いて立ち通しだった。車中で読んだのは岡倉覚三 (天心) の『茶の本』。「読んだほうがよい」とだけ書いてFacebookでシェアしようかと思った。

 Herfordに着く。駅からは比較的豊かな緑とやや古そうな家々が見え,それが曇天の下にあるのだが,寂しさというよりは高雅な落ち着きを感じさせ,その点どこか日本のようだとも思った (『茶の本』を読んでいたから出た感想かもしれない)。スマートフォンの電池残量が40%を切っており,充電コードも持ってきていなかったので,Google Mapsなどなるべく用いずに行くことにし,何のあてもなく駅を出たが,中心街はこちらという案内板がしっかり設置されていたので実際何も要らなかった。

 街に入るとやはり落ち着いていて,今度はWeimarヴァイマルのようだとも思った (風景そのものが似ているかというとそうでもないが)。日曜だからというのももちろんあるだろうが,人々もゆっくり歩いている。紙の地図を入手すべくTourist Informationに一応向かうが,それほど本気で行こうと思ったわけでもなく,歩いていて目に入った並木道がゆかしくそちらに入ってしまい,そのままどこまでも進んでいった。

 だいぶ進んだところで一度Google Mapsを開く。この街にある教会音楽大学 (廣野嗣雄氏など多くの日本のオルガニストが留学したと聞くHochschule für Kirchenmusik der Evangelischen Kirche von Westfalen,そのまま訳すと「ヴェストファーレン福音主義教会の教会音楽大学」) だけは見ておきたいと思っていたので,もし今進んでいる方向にあるならこのまま行ってしまおうと思ったのである。果たして私はまさにその方向に向かっていた。川を越えて進んでゆくと,教会音楽大学は小さな山の公園の中 (入口近く) というなんとも素敵なところに立っており,それだけでもうここで勉強してみたい気分になるくらいだった (これはプロテスタントの学校だが)。奥にはアパートのような一棟があり,おそらく学生寮であろう。外から見た限りでは,HfKM Regensburgレーゲンスブルク (私の母校,やはり教会音楽を中心とする音大) よりさらに小規模校と思われた (後で調べたところ,学生は全学年合わせて50人ほどらしい)。

 そのまま山を登ってゆき,何のあてもなくひたすら進む。20歳前後のころ,時々利根川の辺りに徒歩 (さすがに家からではなく駅から) または自転車で行って,道を見失わないか,帰り道がどれくらい長くなるかなど考慮せずずいぶん無茶な散歩・サイクリングをしていたことを思い出した。公園内の残りの景色はどうということはなかった。そのうち下りに転じ,普通の道に出,来た道を戻ってもよかったのだがどうせならこの街を歩きつくそうと,特に美しいわけでもない別の道を敢えて行く。途中Bildungscampusなる複数の大きな建物があり,大学かと思って近づいてみたがそうではない何かだった。何だったのかはよく分からない。

 体の左右のバランスが悪い (左側,特に左脚がかなり弱い) ので疲れやすく,この時も既に限界が近かったにもかかわらず,中心街に戻るのはだいたいこちらの方角,たぶん少なくとも正反対に向かって歩いてはいないだろうという程度の確かさ (不確かさ) で歩き続けた愚かさは,まさに利根川の辺りを無茶苦茶に歩いていたときのそれであった。程度は今回のほうが小さかったにしても。

 しばらくしてVisionstraßeヴィズィオーンシュトラーセなる通りに出くわす。そういえば,Herfordでは昔聖母の出現 (Herforder Vision) があったという (教会が公認しているかどうかは知らない)。出現の場所がこの辺りなのだろうかと,左に折れてその通りに入ってみる。しかし教会も祠も見当たらず,どうやらそういうわけではないようだった。さすがにもう確実に戻ろうとGoogle Mapsを開くと,Visionstraßeに入ったのはまさに正解ルートだったことが分かった。

 中心街に戻り,開いている教会 (St. Johannesヨハンネスというプロテスタント教会) があったので入ると,現代絵画の展示が行われていた。絵には特に興味を惹かれなかったが,歴史を感じる木の建物の中は,20歳から4年間通った某所のような香りがした (RegensburgのDreieinigkeitskircheドライアイニヒカイツキルヒェ――これもプロテスタント教会――もそのような香りがする)。

 時刻は15時半,ここでコーヒーを飲み食事 (私にとっては夕食) をとればちょうどよいと判断して新旧のマルクト広場 (Neuerノイアー Marktマルクト / Alterアルター Markt) を歩き回るが,屋外席に着くには風がやや強すぎ (この時の気温は20度ほどだったはずである),店内に入ればBGMが耐え難い。さてどうしたものかと思ったが,そういえば駅からこの辺りまで来る途中でアジア・レストラン (細かく言えばおそらくタイ・レストラン) を見たのを思い出した。ああいう店ならばBGMはないかもしれない。それで行ってみると,素晴らしいことに本当に無音である。牛肉カレーを注文,その際「ライスは少しだけで」と言ったらごく普通に対応してくれた (お子様ランチのような量と盛り方になっていた)。あと,メニューになかったがコーヒーはあるかと聞いたら出してくれた。窓からの景色が素敵な席に着いてようやく足を休める。当たり前のことだがそうしているとまた歩けそうになってゆくのを感じ,長距離を歩くときは時々その辺のベンチで休憩するということを覚えればもっとたくさん散歩できるのだろうと思った。

 17時すぎまでそこに留まってから出て,まだ時間があるので適当に歩いていると,木組み模様の家ばかりが並んだ一角 (Brüderstraßeブリューダーシュトラーセ) に出会い,しばらく眺めた。ここに限らずこの街にはこの模様の家がよく見られた。

 17時40分ごろコンサート会場であるSt. Johannes Baptist教会 (カトリック) に入る。教会内でも人々はよく喋っており,この点Münsterの聴衆ほど行儀はよくない。最初の曲の直前までオルガンのほうからガタガタいう音やらいくつかのパイプが鳴るのやらが聞こえたので故障でもしているのかと思ったが,曲が始まってみるとどうやら大丈夫なようだった。開演に先立って若い男性が出てきて挨拶したのだが,「多くの方が私の顔を見慣れないと思いますので」と彼が自己紹介したところによると,29歳,音大での勉強を終えて7月1日付でここHerfordに着任したばかりの教会音楽家だとのこと。コンサート自体は,なんだか弾きづらそうだなという印象を受けたが,それにもかかわらず生き生きとした演奏でもあり楽しめた。ポーランドのオルガニストで,自国の曲をいくつか弾いていた。

 帰りはまずIbbenbürenイッベンビューレン行きの電車に乗ってOsnabrück中央駅で乗り換え,Münster回りでEmsdettenに着くという経路になっていた。が,Herford駅に定刻に来た電車にはIbbenbürenではなくHengeloヘンゲロー行きと書いてある。Hengeloというのはオランダの街で,つまりIbbenbürenより先であり,それならRheineライネ駅を通るはずであり,そこで乗り換えればMünster経由より早いはずである。検札に来た車掌にこの電車はRheineに止まるかと聞くと,確認してくると言って去っていった。すると隣に座っていたムスリムと思しき若い女性が,スマートフォンで調べた情報を私に見せながら,Rheineに行くにはIbbenbürenで (代行バスに) 乗り換える必要がある旨教えてくれた。礼を言うと,彼女自身Rheineに行くとのこと。ともかくこの情報を得てやっと悟ったが,Ibbenbürenから先が工事中なのでこの列車はそこ止まりだが,本来の行先はHengeloであり,その表示がそのままになっている,ということだったのだろう。さて,私が帰るのはRheineではなくEmsdettenなので改めて調べてみたが,Rheineに行くならたしかにIbbenbürenからバスが早いものの,そこでの乗り継ぎが悪く,EmsdettenへはやはりMünster経由のほうが早いということが分かった。そこで予定通りOsnabrück中央駅で降りたが,そういう会話をした後だった (私の目的地がEmsdettenであることは言っていなかった) ので隣の女性が戸惑わないか気になったものの,特に何とも思っていない様子だったので改めて声をかけることはなく列車を後にした。

 結果的にはOsnabrückからの電車がしばらく止まってしまい,Rheine経由と大して変わらない到着時刻になった。動かない電車でずっと立っていたので,Rheine経由にしていたら座れて楽だったかもしれないなと少し思った (いつまで電車が止まっているかも分からなかったので,下手をすれば到着時刻の点でもRheine経由に負けていたかもしれなかったのだ) が,こればかりは仕方ない。結果がどうなろうと,その時点での最善の判断をしたのであれば悔いるべきことは何もないはずである。

 22時ごろ帰宅,スマートフォンの歩数計は22,023という数字を示していた。

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