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GDPってなんだ

お金に執着する本業と、お金を手放すプライベート。そのはざまにいて悩むなか、ふと思うところがあり、かなり無責任なエッセイが思い浮かんでしまったので書いてしまいました。

売上と利益と格差

売上はどんどんあげたらいい。循環を測る数字だから。1万円を1万社で回したら総売上1億円だ。すごい。

でもそれじゃ会社の社員は食べていけない。だから利益をあげる必要がある。1万円で仕入れたものを、ごにょごにょして、1.5万円にして売って、5千円の利益を得る。その5千円の積み重ねで社員は生きていくことができる。

一方買う側は、同じ製品・サービスを買えるなら、少しでも安い方から買いたい。だから売る側も、少しでも安くできるように、あらゆる努力をする。

その努力のなかで「格差」は大きな武器になる。他と比べて同じ製品やサービスを安く提供できるのは、他と比べて情報や能力や時間や権益などをより多く持っているから。

その5千円は、情報格差だったり、能力格差だったり、時間格差だったり、権益格差だったり、あらゆる機会の格差の結果から生まれている。

極論すれば、格差を持ったところが勝つ。

厳しいけれども、それが現実なのだと思う。各社その格差を得るため相当な努力をする。その競争に負けたところは買う側から選ばれず、この経済圏から爪弾きにされる運命が待っている。

請求書を発行しない「自然」

一方で、「自然」は価値を与えるだけ与え、お金を一切請求しない。

サプライチェーンの一番最初は、自然。相当に大きな価値を提供している。けれども、太陽や土や水や空気はお金を請求しない。自然という組織が一番利益を上げるべきなのに、売上ゼロ。その利益は人間様の組織に搾取されてしまっている。

GDP、それは「自然の搾取」と「格差」の総和ということになるのだろうか? もしそんな数字なのだとしたら、GDPなんてゼロにしてしまいたい。

…いやいや、利益は必ずしも格差から生まれるわけではない、効率性やイノベーションから生まれるのだ。と頭をかすめる。自然を搾取しているわけではない。人類のために有効に利活用しているのだ。そして環境保護、サステナビリティのために社会全体で大きなコストを支払っているのだ、とも。そもそも自然を擬人化するとか、頭おかしいんじゃないのとか。

…では、その効率性やイノベーションはどこから生まれるのだろう。技術や仕組みに頼っているところが大きいのでは。そしてその技術や仕組みはどうやって生まれたのか。特許で守られているのではないか。社外秘の秘伝の仕組みがあるからなのではないか。技術者などの労働者を抱え込んでいるからなのではないか。

他人には使わせない。他人に教えない。自分の中に抱え込む。その結果から生まれたのではないか。なぜそれをしなければならなかったか。それはそうでもしなければ顧客から選ばれないし、社員も養えないから。生きていけないから仕方なくそうしている。

それに、自然を擬人化したっていいじゃないか。人間はそういう想像力をもてる存在。その能力を捨てるなんて勿体無い。人は自然のなかで自然と会話しながら生きている。自然の痛みや嬉しさを感じ取り、共に持続的な繁栄を遂げられるよう行動していく。その接点を失ってしまったら、人はどこまでも自然を搾取し使い尽くし、そして一緒に滅んでいく、がん細胞のような存在になってしまう。

で、GDPって?

経済を回し続けていても(どれだけ大きなお金を動かしていても)、溜め込まず他人に共有し利益を追求しなければ(それは自然がやっているのと同じこと)、定義上の付加価値はゼロに向かい(と共に実はGDPでは計測していない別の価値が大きくなり)、GDPは下がり続ける。

そんなやり方で生きていける方法なんてあるの?

ある。それが未来の経済だ。

…という答えがYesだったとしたら、そしてそれが現在進行形で進んでいるのだとしたら。

GDPが下がり続けるって、もしかして先進的なことなのでは?

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