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今の中にある幸せをみつけて生きてくために「見る」

「見る」がひとつのキーワードの11月だった。

見えにくさを感じる方たちの集まりに行った。

そこで教えてもらったドラマ『恋です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜』を観るようになった。

そして、前から読みたかった本『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』をついに読んだ。

「見る」って、「見えない」って、何なんだろう。

そんなことを考え続ける11月だった。



これ! と断定できる答えは見つかっていないけれど、ひとつは、見えないものを見ようとすること・その気持ちが「見る」ではないかと思っている。

今月、親子向けのアート思考のワークショップも行った。参加してくれた3組の親子と一緒に、1枚の絵を見て、感じたことを自由に話す。ある程度意見交換をして、最後に、絵から感じ取ったことを1枚のカードに落とし込むというのがメインの活動だった。

最初は何が何だかわからないカラフルで、いろんな形の、いろんな物体が描かれている絵でしかなかった。

それが、大人も子供も、自分にはこう見えるという話をしていったところその絵は、時間の流れや都市、世界、多様性を表しているのではないかという方向に話が進んでいった。

正解はないけれど、わたしは最後、その絵に「東京」というタイトルをつけた。色使いや、今と昔を描いているような構成、未来っぽさもあって入り混じっているところから、今と過去の東京オリンピックを一枚に描いたらこんな感じかな、と思ったの。

一人ではこの答えは出なかったし、だからといって、みんなと意見を出し合うだけでも出なかったタイトル。自分で見て、みんなと見て、全部踏まえてもう一度自分でじっくり見て。そうして、やっと「見えた」ものだった。


視界に入っているかどうか、目に映っているかどうかは、広い意味での「見る」にはあまり関係ないのではないかと思う。

本の中の白鳥さんは、全盲だけれど美術館では絵を「見て」いるし、散歩のときには写真を撮ってその場を「見て」いたとわたしは思う。

逆に、わたしが家から駅までの道を歩くとき、実は「見て」いないことが多いなと気が付いた。


「見る」とはきっと、奥にあるものに気がつくことだ。

よく「見る」ためには、言葉にする・形にするのが役に立つ。

本の中で、見ることは、今の自分の確かめる方法だという話があった。

日記を書く、SNSに投稿する、電話する、「今」とつぶやく、美術館にいく、コンサートに行く、好きなアイドルに会いに行く、目が見えなくても写真を撮る……こうして並べて書いているすべてはわたしたちが「見る」ためしていることなのかもしれない。なんだか、谷川俊太郎さんの「生きる」を思い出してしまう。

「今」を感じて、流れて消えて行ってしまう瞬間を何かしらの形にして残す。それってすごく豊かなことだし、そういうことの連続が「生きる」を実感することなんだと思う。

なんとなく視界に入ったものを見たつもりになって、なんとなく毎日を終えていく。そんなのすごくもったいない!

美術館に行かなくたってわたしたちは、毎日をもっとよく「見て」、今を感じて味わって、「生きている」って実感していくべきなんじゃないか。



白鳥さんは、言っていた。

幸せは時間の中にある

幸せになりたいって思うけど、幸せは、なるものじゃなくて思い出すものなのかもしれない。


未来の幸せのために、今をがまんしたり犠牲にしたりするなんて悲しい。

本当に楽しいときは、「今」なんて感じていられない。

するとやっぱり、白鳥さんのいうように幸せは過去の、時間の中にあると考えるのが一番しっくりきてすとんと落ちた。



この『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』という本は、目の見えない人について知るとか、アートって何なのかとか、そんなことだけを知るための本では全然なくて。

「今」をよく見て、自分にしか感じられないことを味わっていく楽しさ・素晴らしさ・面白さを教えてくれる本なんだと思う。

わたし自身、まだまだ「見る」修業が足りないなと感じている。より多くのことを感じたいし、それを言葉や形にして共有できるようになりたい。

そうして、見えたものを伝えあって楽しみながら、「今」の連続を楽しんで生きていけたらいい。

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