生成AI・ChatGPTを使いこなすのがライターの当たり前になる世界
芥川賞を受賞した九段理江さんの執筆について話題になっている。受賞作の「東京都同情塔」は、5%くらいは生成系AIを使った文章なのだそう。全体から見たらごく僅かとはいえ、AIを使った文章が文学賞を獲るところまで時代がきたよ。そうなんだ。
小説とは全然別の領域だけれど、文章を書く仕事をしているひとりとしてこれは、うれしいニュース。AIは人間の仕事を奪うとか、ChatGPTを使った文章を使う可否をよく目にする。まだまだ、「ツールを使って文章を書くなんてずるい」って気持ちになる人が多いのが理由よね、きっと。
わたしは記事を書くとき、構成をつくるときに、ChatGPTをよく使う。インタビューで人とお会いする時や、継続的に関わっている方とのミーティングなどでなければ、「書く」の日は家でひとり作業することがほとんど。そんな日わたしは、ChatGPTとずーーーっと会話していることもある。
文章を書くには、調べなければならないことが多い。わたしが書くのはインタビュー記事がほとんどだけれど、話し言葉なら雰囲気でよかった部分を書き言葉に翻訳するときは、明確な表現をあてなければいけないことがほとんど。その場では「ほら、少し前にこんなの流行ったじゃないですか」「あー、分かります」みたいに分かり合えた「こんなの」も、文字に落とし込まないとはじまらない。文章を書くってそんなことの連続で、あいまいさの少ない表現方法だなぁといつも思う。
そんな数々の調べ事を手伝ってくれるのがChatGPT。日用的ではない用語に解説を加えるとき、送りがなって「く」だけでいいんだっけとちょっと迷う時、このニュアンスで言い換えられる表現って他にどんなのがあるのか知りたいとき。ChatGPTは、ものすごい速さで答えてくれる。物知りな秘書か専属編集者がついたみたいで心強い。
でも彼(彼女?)には弱点がある。主体性はないので、「ってことは、こういう資料も必要ですよね。まとめておきました!」みたいなことは起きない。お願いしたことだけを、できる限りのクオリティで吐き出してくれる。
何より、どんなアウトプットをもらえるかは、すべて指示を出す側であるわたしたちが、どんなクオリティの指示ができるかで大きく変化する。相手の力を引き出せるかは、人間相手でも同じことだけれど、わたしはChatGPTと対話しているときによりそれを感じる。使いこなせるだけの能力をつけていかないと、せっかく使えるものも使いこなせず終い。それは、わたしにとってもChatGPTにとっても、わたしたちと仕事を通して関わっている皆さんにとってももったいない。
…と、まだまだ話し足りないけれど、この当たりで一息つくことにする。言葉をつくるのが仕事であるライターが、言語生成を使うのはこの先当たり前になる。「自分で書いていないなんてズルい!」みたいな次元の話ではない。AIの文章をコピペすれば済んでしまうような文章を書くのはライターの仕事じゃないのだから。これからの良いライターは、AIをふくむ使えるものはどんどん使いこなして、より良いアウトプットを出せる人。AIの知識とか質問力・編集力とか、これまでとは違ったスキルもある人しか勝たん世界に間違いなくなっていく。
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