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ますますついてるラッキーガール、運について考える

周りの人から言われるくらいにはラッキーガールなんです。

どんな状況で何が起こっても、大事にはならずにどうにかなる。これがベストだったなと思えるところに落ち着く。ついてる!と感じることが、ちょこちょこ起きる。

改めて並べてみるとそれだけ⁉︎と思うのだけれど、そういうことの、頻度が高い。そういう事が起こるたびに「すごい!やっぱりわたしラッキーガールだなぁ」と思い、それが更新され続けているんです。

そしてここ最近、このラッキーガール度が増しているなって思ってます。

タイミングよく電車が来たり、信号が変わったり。出先で入った本屋さんで、ほしかった情報に出会えたり。周りの人たちが、好意でわたしが喜ぶことをしてくださることも続いています。ありがたい。

そうなるように何か変えたの?と聞かれても、何か特別なことをした訳ではなくて。もし1つだけ挙げるとしたら、以前より少しだけ“タイミング”を意識するようになったくらいです。

「今、これができて良かったな」
「今、これが手に入るなんてすごいなぁ」

偶然といえばそこで終わってしまうことに目を留めて、喜ぶ。味わう。楽しませてもらう。つまりは、上手に受け取ってしまう。

同じようなレベルのことはきっとすべての人に起こっていて、結局はそれをどう受け取るか。自分次第で、ラッキーガールにも、アンラッキーパーソンにもなれるんだなってことだと理解しています。

この三連休だと、開催されていた九州観光・物産フェアに訪れた時はとても顕著。食べ物のブースを出している方が購入する先々でみなさん優しくしてくれて、ちょっとずつおまけをしてくれて、ということの連続でした。

一番は、焼き牡蠣を出しているお店。1皿2ピースで販売しているところを、牡蠣大好きなので2皿分お願いしました。が、出てきたのがその2倍、3倍の量。さすがに間違いでは⁉︎と思う量にびっくりしたけれど、ご厚意をありがたく、そしておいしくいただきました。牡蠣、あんなに食べられたの久しぶり…

全部食べて、トレイをお店に返しながらお礼をしに行った時の、牡蠣焼きながら返してくれた店員のお兄さんの笑顔が心に残っています。なぜ私たちにだけそうしてくれたのかは分からないままだけれど、トレイが出たままだったらなかったはずだし、やはりタイミングだなぁと思うんです。


毎日毎日いいことしか起きないのかというとそんな事はもちろんなくて、「今日はとにっかくタイミングがあわない!」という日だってもちろんあります。

ネイルサロンを予約したら、逆の電車に乗る。
乗ろうとしていた電車を見送ってしまう。
遅刻したのにも関わらずサロンが対応してくださったのはよかったけれど、普段の2倍くらいの施術時間。余裕を持って組んだ仕事にも遅刻しそう…
電車•バスは諦めて、タクシーで間に合わせることを決意。
にも関わらず、雨が強い日だったからかタクシー出払っていてまったく捕まらず…

やばい!あせる!どうしよう!と何度も思ったけれど、最終的にタクシーが来て、オンタイムでお約束の建物に到着。タクシーの車内で再確認したかったことも終えて、事なきを得ました。

この日だってわたしは「あせることがたくさんあったけれど、最終的にはすべてうまくいった1日」ってラベルで記憶しているんですよね。不運だったら、もっとたいへんなことになったはずだもん。帰りも雨がひどかったから、駅までタクシーで送ってもらえたからほとんど濡れずに済んだしね。


運がいい人というと、宝くじが当たった!とか、ネットニュースで取り上げられるレベルのことが起きた!みたいなものをイメージしてしまいがち。確かに大きな出来事の方がインパクトはあります。

それでも、さまざまな大きさのラッキーがたくさんおきて、それをきちんと見つけて、喜んでいける。それが続く日常の方が、ずっと豊かだなあって思うんですよね。

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