見出し画像

藤井聡太と内田梨瑚と世代論

きょう、藤井聡太七冠が誕生日を迎えて22歳になった。そういえば、ココイチFC社長に就任した諸沢莉乃も22歳だな。そういえばそういえば、旭川・女子高生殺人事件の内田梨瑚被告は同世代の21歳。ここいらの世代は、コロナ世代と隠語で呼ばれ「コミュニケーションに不安のある世代」とされる。でも、藤井くんも諸沢さんも内田被告も、コミュニケーションが苦手という印象はない。並べちゃ失礼か。

団塊、バブル、氷河期、Zとか、世代で切りたがる風潮がいまだに根強いが、飛び抜けた人には世代論が通じない。世代論で語られる人物ってのは、まだまだその程度のレベルだってことだ。コロナ禍の世代だからなあ、と言われた若い人は、まだまだ実力不足だと言われているくらいに思っておいた方がいい。そして、上司が世代論を持ち出して説教してきたら、その上司はその程度のレベルだと思ってくれていい。

世代論とは、レッテル貼りなんだと思う。

いやいや悪気はないんだよ、世代ごとにさ「傾向」が確かにあるだろ、と言われるが、人と人が向き合うときの先入観になっていることは確かだ。この世代論を「傾向」として使う傾向に飽き飽きしてる。コンサルや代理店が企画書で使ったり、ニュースを報じるときに便利だから存在しているだけで。目の前の一個人と向き合うときに使うのは失礼じゃないかな、と口にしないまでも、いつも思ってる。

そろそろ「世代論をやめようぜ」というカウンターが生まれてきてもいいもんだが、老害が使いたがるんだな。んで、コロナ世代の中には「コロナ世代ですから」と開き直って「コミュニケーションが苦手な理由」として、言い訳に使ったりするからタチが悪い。世代論を持ち出して、いいことなんてない。思いつかないよ。

世代論が意味を持つケースをムリヤリ探すと、「学問としてのマーケティング」あたりかな。「マクロ的なデモグラフィック」とやらは、研究としては好きにつづけてくれりゃいい。でも、実社会ではワイドショーでしか使えないかなりのガバガバのポンコツ論。愛知県で暮らすZ世代と、旭川市で暮らすZ世代には大きな違いがある。もうちょっと別の指標ないのかね。Z世代にターゲティングされた広告戦略とか、薄っぺらいことこの上ないよ。

ダメなマーケのひとは、「⚪︎⚪︎世代」のような最新の用語を作ったり勉強するのが、マーケの仕事だと思っているフシがある。打ち合わせで「この言葉、知らなきゃヤバいぞ」というオーラを全身に纏って、最新カタカナ外来語用語を必殺技のように何発も繰り出してくるんだけど、何を言ってるのかわからない。と、この前同席したアメリカ人が笑ってた。

マーケターにはなぜか、おれの仕事はAIに奪われない、と豪語する人が多い。おれらは仕事を奪われない、という結論をもとに逆算して理屈立てた記事やブログも意外に多い。そう力強くいい切る人ほど、仕事が奪われると予想する。危機感なさすぎなんだよね、この界隈。「マーケティングは顧客からスタートする」というドラッカーの言葉が正しいのなら、顧客抜きでマーケターの未来について自信を持って語れることが自体がおかしい。詭弁かな。

さて、きょうの音楽は、「virtual insanity」。ジャミロクワイは、「おれらは無益でねじくれた新技術への執着に支配されてる、宗教でもやろうかな」と歌ってる。この歌詞はまだまだ古びることはない。いつの時代も、科学技術が進化すると、取り残された人はスピリチュアルに逃げていく。

マーケターを名のるなら、せめて、統計データではなく実例を元に未来を予測してくれないかなあ。顧客起点こそマーケの本領だと思うのに。アメリカの企業ではこういう例があって、とかさ、他人や他国の実例を借りてくるのは顧客起点でもなんでもないんじゃないかな。

AIさま、はやく、エセマーケターの仕事を奪ってください。お願いします。
ちゃんとしたマーケターは、そう思ってると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?