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30代看護師。まさか自分が適応障害になるとは。

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30代看護師。まさか自分が適応障害になるとは。

最近の記事

退職しました

Xで「noteを読んだ」とコメントしてくれた方がいて(ありがとうございます!!)すっかり忘れていたnoteの存在を思い出しました。 適応障害を患い、休職し、復職し、数ヶ月働いたところで記事は終わっていますが、その後のことをまた書いてみようかと思います。 2023年6月、復職して11ヶ月目 勤務時間は休職前と同じフルタイムに戻り、毎日数時間の残業の日々を過ごしていました(夜勤は免除)。 不妊治療の方は結果が出ないままで、❝そろそろ転院も考えるかぁ~❞と思いつつ、通院時間

    • 覚書 復職4ヶ月目の私

      8ヶ月間の休職後、復職した私。 4ヶ月目に入りました。 (公開が遅くなり明日から5ヶ月目!) 最初の1ヶ月が終わろうとしている頃、熱を出して数日欠勤しました。このころ、勤務時間を徐々に延ばしている最中だったのですが(目標は常勤フルタイムの17時まで)、たぶん疲れが出たのだろうということでひとまず14時までの勤務でやっていくことにしました。 そしてそのまま現在も8時半から14時までの勤務を続けています。 私の職場には常勤でこのような勤務形態はありません。これは、復職後の「

      • 部長面談②

        1回目の部長面談から約1ヶ月後。心療内科の医師から復職OKの診断書をもらい、再度看護部長面談&産業医面談をしました。 会うなり、部長が私にかけた言葉は。 「あら、今日は顔色が良いわね。前回の時は顔色が悪くて、今にも消えて失くなりそうだったわよ。」 だとしたら。そんなに調子が悪そうに見えていたなら。よくもお金の話ばかりしてくれましたね… 直属上司との面会を経て、退職はせずにもう少し頑張ってみようという気持ちになっていたので、結果から言うと8月から復職(この面談から約2週

        • 適応障害になってから⑤

          【直属の上司と会う】看護部長との面談の翌週、ようやく直属の上司と会うことができました。お互いに「この場はオフレコ」という認識で、職場ではなく外のカフェで会いました。 この上司は、私が新人の頃からお世話になっている人で、信頼できると感じている人です。 まずは看護部長との面談の内容と、辛い思いをしたことを話しました。しかし、上司の反応は 「えー!そうだったんだ!意外だなぁ」 といった感じでした。 どうやら、新しい部長になってから、不要な会議や集まりを減らしたり、管理者にと

        退職しました

          部長面談①

          まず、面談の主旨としては 「休職期間が長くなっているから」 とのことでした。 看護部長は数ヶ月前、私が休職に入った以降に代わっており、この部長さんは初めましての人。 会って早々に、体調の確認もなく、 「お休みが長くなっているけど、これからどうしたいの?」 8月頃の復職を考えている、と答えました。ただ、前と同じように働くつもりはなく、プライベートを優先したいことは絶対言おう!と決めていたので、下記のようにいろいろと付け足し。 復職にあたり ・同じ部署に戻りたい ・役職

          部長面談①

          適応障害になってから④

          【7〜8ヶ月目】この頃、ようやく「働きたい!」という気持ちが出てきた感じです。もともと出不精なので、家に居すぎて暇になったというのもありますが。 もちろん「働かねば…」という焦りもありましたし、自分はこんなに休んで怠けすぎだ…という気持ちもありました。 なにもしないことを頑張る。 今は休むことが仕事。 頭では分かっていても、休んでいる罪悪感を感じずにはいられない性格なので、おそらく完全に仕事を辞めない限りはこの罪悪感は付き纏うだろうと思います。 そろそろ直属の上司と

          適応障害になってから④

          適応障害になってから③

          【5~6ヶ月目】医師からリワークを勧められました。 自分の中でぼんやりと❝夏くらいには復職しなきゃなぁ❞と考えていたので、リワークに行くことで復職が更に先延ばしになることが怖い気持ちがありました。 また、私が通っているクリニックで行われているリワークには短期間のプログラムはなく、1年〜2年くらい通っている方が多いとのこと。そして初回面談をするだけでもかなりの順番待ちであることもネックになりました。 結局、医師にはリワークは利用せずに夏頃の復職を目指すと伝えました。 体調

          適応障害になってから③

          適応障害になってから②

          【3〜4ヶ月目】この頃は、とにかく無気力。 やりたいこともないし、最低限の家事をして過ごしていました。相変わらず昼寝もするし夜も寝るし、よく寝ていました。朝目覚めたら既に旦那は出勤して居ない、なんてことも時々ありました。 あとは、周りが見えるようになってきたのでしょうか。旦那と衝突したり、旦那に対してイライラすることが増えました。復職を急かされていたわけではなく、むしろ普通に接してくれていたとは思いますが、「私に興味ないのかな?」ってくらい、調子はどうかとか心療内科の受診は

          適応障害になってから②

          適応障害になってから①

          【1〜2ヶ月目】休職に入りいちばん最初に感じていたことは、休む連絡をしなくていいんだ、というほっとした気持ちでした。ズル休みをしたくても職場に連絡することの方が嫌で、しぶしぶ仕事に行くことを選ぶ、私はそんな人間です。もともと電話は苦手ですし、どんなに具合が悪くても(ズル休みでなくても)職場への欠勤連絡は本当に苦痛でした。 休職期間が過ぎていくにつれて、だんだんといろいろな気持ちが湧き出てきました。 休んでいる罪悪感 何もせず過ぎていく日々への焦り 休職期間なんてあっという

          適応障害になってから①

          適応障害になるまで⑩

          【まさか、私が適応障害になるなんて】2021年4月に昇進してからは、ずっと忙しい日々でした。まぁ、正確に言うと、就職してからずっと忙しい現場で働いてきたのですが、違った意味の忙しさでした。 幸い、私の部署には役職者が既に2人いたので、色々教えてもらいながら管理業務をすることができました。でも、私には他にもやらないといけないことがありました。学生指導、新人指導、プリセプターフォロー、認定看護師としての活動・・・もちろん他2人の役職者もそれぞれ抱えている仕事があり、忙しいのは分

          適応障害になるまで⑩

          適応障害になるまで⑨

          【副主任になった私】看護師13年目が終わろうとしている3月末。 入籍して約1ヶ月後のことでした。 出勤して早々に、直属の上司から 「9時に看護部長室に行ってね。絶対遅れないで。」 と言われました。 理由を聞いても「分からない」と。 何かやらかしたっけなー いや、怒られるようなことはしてない。 だとしたら・・・また何か仕事が増えるのか・・・ 看護部長室に行ってみると、私の他に他部署の看護師が2名いました。挨拶もそこそこに、現れた看護部長の口から出た言葉は。 「あなたたち

          適応障害になるまで⑨

          適応障害になるまで⑧

          【結婚した私】恥ずかしいので恋愛に関する話は書いてきませんでしたが、仕事が忙しくても恋愛はそれなりにしてきました。(ただ、男運は悪いと自負しております) 職場での出会いはなかったので、紹介、合コン、マッチングアプリ・・・これらを駆使していました。 若かりし頃、研修医に恋をしていた時は、職場に行くのが楽しくて、仕事が楽しくてしょうがなかったけれど、残念ながらそれ以降は恋愛が仕事の糧になることはなかったかなぁと思います。 夫と出会い 数年付き合い いろいろあって 別れて戻っ

          適応障害になるまで⑧

          適応障害になるまで⑦

          【認定看護師になった私】認定看護師養成学校に入学し、9ヶ月。 同級生とはあまりなじめなかったし、成績も良くなかったし、実践形式の演習は大嫌いだったし、病院での臨地実習はめちゃくちゃきつかったけど、なんとか卒業しました。 そして、ここでも発揮される❝やるからには精神❞ 卒業しただけでは認定看護師になれるわけではなく、認定試験というものがあります。試験勉強、頑張っちゃいますよね。 で、合格しますよね。 看護師12年目、7月。 私、まさかの、某分野の認定看護師になりました。

          適応障害になるまで⑦

          適応障害になるまで⑥

          【キャリアアップ問題】看護師って、働く場所はいろいろあるし、その中でも働き方はいろいろあると思うんです。 そんなこと分かってるんです。分かってるんですけど、自分のこととなるとどうにも動けず過ぎて行く日々。関東にいるのはとりあえず3年、頑張って5年…と思っていたのに、自分の病気のことや、役割が増えたこと等で、辞めるタイミングを逃していました。 実家の親も特に帰ってこいとは言わないし、結婚する予定はないし(願望はありあり)、転職活動も大変そうだし、 ってことで現状維持。

          適応障害になるまで⑥

          適応障害になるまで⑤

          【看護師中堅時代】まさかの癌患者となり、1ヶ月の療養期間を経て、無事に仕事復帰した私。 そこへまた試練がやってきました。 上司「うちの病棟、解散するから」 私の所属する病棟が解体され、スタッフが散り散りバラバラになるというのです。約3年、大変だったけど頑張ってきたのに。このメンバーだから頑張ってこれたのに。 一応、新しい配属先はどこが良いか聴取される面談があったのですが、小生意気だった私は 「どこにも行きたくありません。今のままが良いです。」 と言い放ちました。

          適応障害になるまで⑤

          甲状腺がんになった話②

          こちらの続きです。 手術した方が良いだろうとのことで、専門病院宛ての紹介状を書いてもらいました。うちの病院でもできなくはないけど、専門病院の方が良いだろうと。私も、自分の勤めている病院で手術・入院するのは嫌だったので、ありがたかったです。 紹介状を持って甲状腺の専門病院へ行きました。 しかし なんと まさかの 手術、半年待ちでした。 幸い、甲状腺がんは進行が遅いこと、他への転移があまりないことから、半年待っても大丈夫とのことでした。信じられませんでしたが、信じる

          甲状腺がんになった話②