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適応障害になるまで⑤

【看護師中堅時代】

まさかの癌患者となり、1ヶ月の療養期間を経て、無事に仕事復帰した私。

そこへまた試練がやってきました。

上司「うちの病棟、解散するから」

私の所属する病棟が解体され、スタッフが散り散りバラバラになるというのです。約3年、大変だったけど頑張ってきたのに。このメンバーだから頑張ってこれたのに。

一応、新しい配属先はどこが良いか聴取される面談があったのですが、小生意気だった私は

「どこにも行きたくありません。今のままが良いです。」

と言い放ちました。


しかし、そんな抵抗もどうにもならず、看護師4年目を目前にして、私は消化器外科の病棟に異動になりました。当時、その病棟は〈行きたくない病棟NO.1〉として有名であり、恐怖でしかありませんでした。

異動初日からオリエンテーションもそこそこに、受け持ちが割り当てられ、なにがなんだか分からない日々が始まりました。


そして、まさかの

1.学生実習担当
2.教育委員会(新人指導)
3.ストーマ外来

この3つの役割が一気に回ってきたのです。1と2はまだしも、それまで呼吸器科にいた私はストーマ(人工肛門)なんて見たことも触ったこともなかったし、なぜ私がしなければいけないのか、意味が分かりませんでした。

新しい部署の上司に無理だと訴えましたが、返ってきた言葉は

「押し付けられたと思ってるんでしょ?だけどね、なにも1人で全部やれって言ってるんじゃないの。あなたの経験、勉強のためにもなるんだから。」

断る権利はなさそうでした。
やるしかありませんでした。

人間関係は、前の所よりはドライな感じ。良くもなく悪くもなく。いわゆる外科っぽい、サバサバした人が多かった印象です。


日々、がむしゃらに働きました。

何が原動力になっていたかは分かりません。年に数回、推しのライブや舞台に行くのが楽しみでした。

とある日、仕事が終わった後に1人残って学生さんの記録物に目を通しコメントを書いていました。そこへ上司がやってきて「そんなのちゃんと見なくていいから!ハンコ押しときゃいいのよー!」と言って帰っていきました。

はらわたが煮え繰り返る、とはこのことかと思いました。私は与えられた役割をきちんとやろうとしていただけなのに。なんなの!私はどうすればいいの!上司が帰ったあと、泣きました。

こんなことが多々あり、辛すぎて、看護部長の部屋に乗り込んだこともあります。当時の副看護部長がめちゃくちゃ話を聞いてくれる方で、よく泣きついていました。


気付いたら看護師として5年が過ぎ、10年にさしかかろうとしていました…

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