見出し画像

読書感想文『計算する生命』(森田真生)


本書を読んだ理由


お慕いしている生命科学者・経営者の高橋祥子さんという方が以前にNewsPicksの番組『彼女たちの本棚』で紹介されていたので興味を持った。

「学ぶことっていうのが本当に『楽しい』し、学ぶことの素晴らしさを改めて認識させられた本でした」

と、お話されるキラキラとした瞳に心を打たれた記憶がある。

本屋で探して手に取ってみて、数学が苦手な私には難しそうな本かなと思った。これまでの自分と無縁の本だ。

私は0~5歳の頃は算数が大好きな子供だったらしいが、色々事情があって、人並み以上に算数と数学がトラウマになったまま大人になった。

身体の事情で学校に行けなかった時期が何度もあり、途中の工程が抜け始めたら「わからない」と思うようになった。自分が今何の工程をしているのか「わからない」し、何のためにこれをするのかも「わからない」。
「わからない」から前に進むことができなくなった。

「わかりたい」ので何度も教科書を読んだがイライラし、家の天井に投げつけて消えない黒いシミを作ったこともあった。

しかし不思議なことに、大人になった現在の職業は、なぜだか絵描きを経て後にWebシステムエンジニア(コーダ/プログラマ)となった。プログラミングは数学という学問の恩恵を多大に受けた上に成り立っている。

職業柄、数学を「わかる」ようにならなくてはという使命感、「わかりたい」という想いは強くあり、ひそかに大人になってから小中学校の算数・数学をやり直していた。
高校数学についてはそもそも美術系の学校だったので数Iしか履修していないが、常々心にわだかまっており、大学数学までの学び直しの機会をうかがっていた。

そんな背景も手伝って、「自分と無縁」と感じつつも本屋のレジへ持っていったのだと思う。

概要

本作では、古代からヒトが指をつかったり粘土をつかったりしながらどんな風に数を数えて、記録したりモノを管理したりし始めたか、さらには高度な計算を行うために認識や表現手段をどんな風に拡張してきたのかが描かれている。

時代背景を俯瞰したり、一人の人物や理論にフォーカスしたりして視点を巧みに切り替えながら、「計算」という営みについて、網羅的にでなく読者の理解を促すよう編集的に、しかしまっすぐに事実を伝えてくれる作品であると思う。

目次

目次は以下のとおりだ。

※読書が好きな諸兄姉であれば理解いただけるかもしれないが、この目次を「読む」必要はないので、サッと眺める程度で

  • はじめに

  • 第一章 「わかる」と「操る」

    • 「わかる」と「操る」/物から記号へ/算用数字が広がる/図から式へ/0から4を引くと?/数直線の発見/「虚数」の登場/不可解の訪問

  • 第二章 ユークリッド、デカルト、リーマン

    • I 演繹の形成

      • 古代ギリシア数学の「原作」に迫る/演繹の代償

    • II 幾何学の解放

      • 『原論』とイエズス会/デカルトの企図

    • III 概念の時代

      • 直観に訴えない/リーマンの「多様体」/仮説の創造

  • 第三章 数がつくった言語

    • 『純粋理性批判』/なぜ「確実」な知識が「増える」のか?/フレーゲの人工言語/概念の形成/心から言語へ/緻密な誤謬/人工知能

  • 第四章 計算する生命

    • 純粋計算批判としての認知科学/フレーゲとウィトゲンシュタイン/「純粋な言語」の外へ/規則に従う/人工知能の身体/計算から生命へ/人工生命/耳の力学/go with the flow

  • 終章 計算と生命の雑種ハイブリッド

    • 計算される未来/「大加速」の時代/ハイパーオブジェクト/生命の自律性/responsibility

  • あとがき

  • 註・参考文献

感想

私は本書のすべては「理解」できなかった。読書に要される前提知識はすこし足りていなかったと思う。

しかし、本書を読んだことによって私の頭の中の認知や歴史は大きく書き換えられ、強烈な刺激を受けた。

その感動を誰かに伝えたくて、一人にでも届いたら嬉しいと思って、つらつらと「主観的に感じた・考えたこと」のみを書く。

本書では「わかる」と「操作する」の間には隔たりがあると伝えている。

ヒトの子供が数を1、2、3…と順に数えられるようになってから、数の原理原則の体得をし、数を操作する──足したり引いたりできるように至るようになるまでには、意外と長い時間がかかるそうだ。

そもそもヒトが、数を正確に扱う能力を生得的に持ち合わせていないことについては、前著『数学する身体』にも書いた通りである。私たちは、生まれついた認知メカニズムだけによっては、7と8の区別すらおぼつかないのだ。

p12

まずこの言葉に驚いた。
そうか、ヒトは数を扱う能力を生得的に持ち合わせてないのか…と。

幼いころから正確に暗算を行う子供たちを学校やテレビで目にしていたので、得意な人はきっと生まれつき得意なのだろうという思い込みがどこかにあったが、一切の教育をなくして四則演算を体得することはできないのだ。

当たり前ながら数学という学問自体が長い歴史を積み重ねて、商人たちの必要性に迫られたり、天才や秀才たちの苦労や熱い想いがあったりして大きく押し上げられ、ようやく現在の状態へ辿り着いたのだ、と。

計算において、自分が何をやっているかを「わかる」にこしたことはない。だが、まだ意味が「わからないまま」でも、人は物や記号を「操る」ことができる。まだ意味のない方へと認識を伸ばしていくためには、あえて「操る」ための規則に身を委ねてみることが、ときに必要になる。このとき、「わかる」という経験は、後から遅れてやってくるのだ。

p20

私はなにか説明しがたい安堵感が心の底からこみあげてくるのを感じた。

わからなくてもいいのか、ただまずは操ることを楽しんで、楽しみながら訓練して、次のステップに進んでいれば良かったのか、と。

ふと、幼い頃にただ数を「操る」ことが楽しいと強烈に感じて、おもちゃで遊ぶように何時間も夢中で数と戯れていた記憶と、プログラミングを学んだ時に感じた楽しさが全く同じ種類のものであることに気が付いて、涙が出そうになった。

やはり仕事をする上でも基礎の習得が大事だと思い、アルゴリズムの学び直しをしたり、試験勉強をしたり必死でしていたが、それらの学び直しもひたすら頑張るのではなく、もともと楽しいことなので楽しもう、と思った。

もし私のように「数学が苦手だと思っていたけど、それほど嫌いでもなかった……」という人たちがもしいるなら、届いたら良いなと思う。

これからプログラマやエンジニアの人口は爆発的に増えていくと思うので、本書はプログラミングは好きだけど数学は苦手という若い方たちの希望の星になるのではないかと思う。

私も今後の人生でも何度も読み返し、徐々に解像感をあげていきたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?