ミーハーと時代の流れ ep7
いよいよオープン 2000年秋…
やはり場所的に
知り合いともかくなかなかお客さんが足を運ばない立地…最初はなかなか大変なスタート
まだEC、SNSもないなか雑誌、フライヤーなんかの地道な活動
事務所でボチボチデザイン、OEMなんかの仕事しつつ…10坪、家賃経費考えると月売り300は欲しいところこの頃のストリートブランドなどは60%の買取、ミニマムなんかもあり納期も遅れて当たり前…消化85%でもなかなか商品仕入れないとまずい感じ TM◯に関してはキャッシュオン
まぁあまり考えずやってたので…
今考えるとこの手の物仕入れるショップは相当売らないと儲からないですね ブランドの賞味期限もありますし…前にいた某ブランドのオンリーショップで月売り2000万とか売ってましたが…20坪ほどで セレクトの場合売れたらオンリーにして一気にいかないと駄目ですね
今の時代だとECもあるのでやり方はあるでしょうが大手セレクト、直営店、海外店も同じ土俵なので大変でしょうねリアル店舗は足を運ばす仕掛け、どれだけ顧客を持てるか…うん難しい今なら絶対やらないです。
2〜3カ月で店も認知されつつ周りにも同業店舗なんかも出来てきた感じで、ただ全く最低ラインにも及ばず苦戦
周りの知り合いショップとの付き合いを深め宣伝かねて。一緒にやってる連れが昔からの裏原フリークでその時の後輩達がいろんな店のスタッフになってたのでよくつるんでました。NH.NOS.UC.ape.sup.など皆FCが運営してる感じでした。SUP、NHあたりが当時も入荷すれば大行列でした。当時から転バイヤーは沢山いましたね。
その当時はスタッフがクラブのイベントしたりが流行ってましたね、毎日誰かがやってる感じで顔出しに行くのが大変でした。
取扱いブランドも認知されて行き雑誌なんかでもよく掲載されお客さんも調べて来てくれるようになりました。異質なのがTM◯でTVなどでキムタ◯が着るようになりそれ目当てのお客さんが増え
更にドラマ、ヒー◯で協賛し、寄せたお客さんだらけになって行き、初めてオープン前に並びが出来た時は嬉しかったです。(当時はキムさんのファッションへの影響力は絶大でした。今は?…)
それでも入荷量、単価安、客の絶対数的にギリギリで運営してました。
その時は取扱ブランドと周りの店のブランド着てました。当時は関係者に人気の物を回してくれてたのでwここだけの話…
前のブランドにいた子も退社して大阪にもどりアクセサリーのブランドとお店をオープンしました。今もブランド運営してますが独学で彫金を勉強し大手セレクトに卸すまでに〜すごいです。
当時からの付き合いあるハジメさんはUCのオンリーショップで成功し、南船場の草◯さんはNo.9のオンリーショップで大当たり
この頃はコレクションとか全く興味無くなってました。クラブ行くか先輩のBARで朝まで毎日のような暮らしである意味病んでましたね。
何となく鳴かず飛ばず2〜3年徐々に資金繰りも苦しく、友達同士のなぁなぁもあり
そんな中、保証人的なところをやって貰った会社が倒産しこのままだとまずい話になり、個人で店舗だけならなんとか食べていける感じでしたが、ここは3人でスタートしたのでキッパリ畳もうと言うことになりました。
教訓は店舗運営を甘くみ、連れ通しでなぁなぁでやってしまった事につきます。途中オリジナル商品なんかもやりましたが中途で買い付け商品だけの店舗だと相当売らないとビジネスとして成立しないなと!後、友達同士はおすすめできません
そしてバラバラの道へ進んでいきました。
ただ虚しさだけ残りしばらく死んでました…
展開してたブランドも数年後には全てなくなったかなTM◯は何処かに身売りし全然ちがう形でやってるかな?他は違うブランドだったりやってる噂は聞きます。
次のフェーズサラリーマン編はまたの機会に…
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