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AI・5Gの時代だからこそ"サバイバル能力"が価値を発揮する時代へ
ここ3~4年くらい思っていることですが、テクノロジーの進化と共に「サバイバル能力」の重要性は高まっていると考えています。「あなたは自分で火を起こすことはできますか?」「あなたは野菜を育てることはできますか?」、ここでいう"サバイバルスキル"とは、このような自らの力で自らの生命を維持できる意味でのことを指します。
では、具体的になぜそのように考えるかみていきましょう。
今から6年前、カンボジアで英語教育の活動をしていました。今まで本格的に新興国に身をおいたことのなかった私にとって、この経験は活動から得られる経験はもちろん勉強になりましたが、同時に自分のサバイバル能力の低さを痛感したことは副次的な発見でした。いかに自分が普段"用意された世界"を生きているのかを実感したのです。
(こちらは、サトウキビ畑でサトウキビをとっている写真です)
サトウキビの刈り方、サトウキビのどこが甘いのかなど全くわかりませんでした。他にも、ココナッツを鉈で切って、ココナッツの果実を取ることすらできませんでした。
そのとき私は、カンボジアで何かが起こったときに真っ先に生きていけない人間の一人だと痛感しました。
一般的には、日本人とカンボジア人の印象を思い浮かべたときに、経済的には日本の方がGDPも圧倒しているし、日本人の方がなんかすごそうと思うかもしれませんが、実際そんなことは全くありません。正直生命力の違いをまじまじと見せつけられたようでした。日本人にももちろんそのようなサバイバル能力をもっている人もいるとは思いますが、シンプルにカンボジア人の明日を生きる力はすごいなと感じました。
正直当時の私は(今もたいして変わりませんが)、加工された社会でなければ生きていけないのだなと思いました。
(こちらはカエルや昆虫のからあげ)
社会がCivilizedされるほど、人間の生命力の価値が上がる
近年AIやVR、5Gといった新しい技術が次から次へと実用化に向けてリリースされ、人々の生活はより便利になっています。少々皮肉じみた言い方をすれば、より「何も考えずに、面倒をかけなくても」生きられるような世界になっています。一方で、全てがAutomatic化されることで、人々の行動が均一になってきています。車のAutomatic車とManual車を想像するとわかりやすいのですが、自動的にギアを変えてくれるAutomatic車は、どんな運転手が運転しても、同じタイミングでギアが変わります。そして、普段我々は車を運転するときに、その事実すら意識せずに運転をします。このようにあらゆるものがAutomatic化され、人々は考えなくなる、という事象が至る所で起きているのです。
当たり前なのですが、私たちは、生命体として、明日を生きています。そして、実は明日を生きられるということがどれだけ大変なことなのかを意識しなければいけません。
考えてみてください。普段あなたの触るあらゆるものの中で、誰かの手によって加工されていないものを使うことはあるでしょうか。
先進国の日本ではほとんどないのではないでしょうか。私たちが触るもの、使うもの、全てが誰かの発明によってこの世に存在し、人々の生活の利便性を高めています。この状況がいかにすごいことなのかを自覚する必要がありそうです。そして、今回のコロナの一件もそうですが、万が一今後も自然災害や何らかの事態が発生した際に、私たちの身の回りにある資源やリソースが使えなくなったらと考えるとゾッとします。
そして、そうした事態は今後十分に起こりうると考えます。となると、大事なのは自分の力で"明日を生きる力"が必要だと思っています。
教育の現場において"サバイバル能力"を育む仕掛けを!
教育の話になりますが、今の世代の子どもたちは、スマホネイティブ世代と言われています。物心ついたときにはスマートフォンが既に存在し、あらゆることをインターネットを介せば、概ね解決できる世界を生きています。そして、その上の世代を生きる私たちもスマホの世界に慣れてきています。面倒なこと、自然が関わること、に対しての意識は薄れてきているのではないかと思っています。
今こそ、日々をサバイバルするための力を身につけることこそが、これからの社会を強く生きていく力の一つではないかと思っています。
では、どのようなステップでサバイバル能力を身につけていけばいいのでしょうか。個人的には以下の3段階が考えられます。
1. 当たり前を当たり前でないと自覚する
2. その当たり前がなくなった世界においてどう対処するかを考える
3. 実行する
大小あるとは思いますが、まずは本当に些細なことからでいいと思っています。例えば、洗濯であるとか、料理であるとか、身近なところから始めると始めやすいと思います。
あとは、今の時期は自粛中なので厳しいですが、思い切ってキャンプなどにいくこともいいのではないかと思います。私は、最近もっぱらキャンプ好きになっており、キャンプをしながら日々の便利さに感謝すると共に、自然を存分に楽しみ、生きることの喜びを感じることが幸福度に繋がっています。
また、他の国へ行く(今は難しいですが)というのも選択肢としてはありだと思います。
少々話は脱線しましたが、言いたいこととしては、まず私たちは全てが用意された世界に生きているのだ。ということを自覚する必要があると思います。普段目にする建物や道具は全て長い年月をかけて人間が発明してきたものです。そして、それを当たり前のように思考停止状態で私たちは不自由なく使って、明日を生きています。
未来の世界は、今よりもテクノロジーが発展し、私たちはさらに堕落し、快楽を求めるようになります。
一方で、その環境下で雑草のように生命力を強くもって生きられる人は必ず価値を発揮する人材になるでしょう。
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