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SEE Learningは生徒の救世主となるのか


はじめに

みなさん、こんばんは。さて、本日のテーマは「感情」です。2024年3月9日、10日とSEE Learning Japan主催の2日間ワークショップに参加してまいりました。

約18時間にも及ぶ濃密な勉強会を80名の参加者と共に実施してきました。

イベントでは様々なワークショップ体験を通じて、そこから得られる感情や身体感覚についてを一つ一つ認識していくものでした。

どのアクティビティも非常に示唆深く、学びが大変多かったので、記憶が鮮明なうちに整理をしたいと思い、イベント後の夜から早速書き連ねております。(しかしなんだかんだ振り返りを丁寧にしていたら、数日が経過してしまいました。。)

学んだことは本当に多岐にわたります。参加者の方も全国から本当に素敵な方々でした。

学んだ全てを羅列するととんでもなく散乱してしまうので、本ブログでは、主に「SEE Learningが日本の学校教育にどの場面で実装されうるか」という点を主題に私見を述べていきたいと思います。

まず主題に入る前に、そもそも"SEE Learning"とは一体何なのか、初めて聞いた方のために少し述べたいと思います。

Social, Emotional and Ethical(SEE) Learningとは?

今回参加させてもらったワークショップの主催団体である、SEE Learning Japanさんは以下のような定義を記載しています。

SEEラーニングは "Social, Emotional and Ethical Learning" の略にあたり、"社会的・情動的・倫理的知性の学び" と訳されます。その特徴のひとつには、体験を通して「身体で感じて、ふり返り、修得していく学び」であることが挙げられます。

出典: SEE Learningの学びとは?, SEE Learning Japan

近年では、Social Emotional Learning (SEL)が日本の教育でも注目を浴びていますよね。SEE LearningはSEL2.0なんて表現も使われたりします。

こちらの記事を読んでいただくとだいぶ理解が進むとは思いますが、抜粋すると、

SEE Learningは、SELとシステム思考を両方含んだものという捉え方もあります。SELには、自分(自己)と他者に対する観点はありましたが、そこに社会(システム)という観点が加わったと捉えられています。

出典:https://education.newspicks.com/education-magazine/seelearning-basic

また、SEE Learningは、Emory Universityとチベット仏教の師であるDalai Lamaとの共同開発で作られたものです。1998年ごろから開発がスタートしたと言われ、2019年に教育現場での実践が始まって以降、世界各国で広がりを見せているそうです。

以下に英文でのSEE Learningの定義についても引用しておきます。

Social, Emotional, and Ethical (SEE) Learning is an innovative K-12 education program developed by Emory University.

SEE Learning™ provides educators with the tools they need to foster the development of emotional, social, and ethical intelligence for students and themselves.

出典:https://101.seelearning.emory.edu/

英文を読んでみるとわかるとおり、SEE Learningは"概念"というよりもかなり体系化されたプログラムとなっており、感情面や社会性、倫理的な知性を開発するものです。

そして、SEE Learningは以下のような要素で構成されていると表現されています。

SEE Learning™ represents the state of the art in education by enhancing SEL programming with key additional components, including:
- attention training
- compassion and ethical discernment
- systems thinking
- resilience and trauma-informed practice

https://seelearning.emory.edu/en/about

日本語で表現するならば、以下のようなニュアンスになりますが、業界で使われている言葉や表現ではない可能性があるのと、どうしても英語 to 日本語への変換時に失われてしまう意味や文脈があるため、100%正しいというわけではありませんので、その点はご留意を。

  1. 気づきのトレーニング

  2. 思いやりと倫理的な識別

  3. システム思考

  4. レジリエンスとトラウマインフォームドケア

この4つの要素をさらに整理したものとしてSEE Learningで非常に重要なものとなる9つの要素があります。

出典:https://www.seelearningjapan.com/about

どうでしょうか。

みなさんは、どの要素が必要だと考えますか?

自分自身に必要なこと、初等教育において必要なこと、中等教育において必要なこと、など、それぞれの対象や置かれている状況によって優先順位が変わるのではないでしょうか。

また、その優先順位は時代や社会の動きとともに変化していくことでしょう。

ここまで読んでさらに知りたいという方は、ぜひSEE Learning JapanさんのWebサイトや本家のサイトを見ていただくと良いかと思います。

さて、ある程度SEE Learningの実態がわかったところで、ここから大きく分けて「SEE Learningのワークショップを体験してのハイライト」「SEE Learningは学校教育の具体的にどの対象に、どのような効果があるだろうか」について述べていきたいと思います。

SEE Learningのワークショップを体験してのハイライト

まずは1点目のイベントハイライトについて。ここでは、小項目として以下を挙げていきます。

小項目①:Kindness (優しさ) vs Compassion (思いやり) vs Consideration (考慮)

一点目の印象的だったのは、この3つのワードの差異についてです。

みなさんは、これらの違いをどのように考えますか。

辞書で引けば色々とわかるかとは思いますが、あくまでイベントの中での情報をもとに今回は書いていきたいので、イベントで取り扱った内容で書いていきます。

ざっと表現するならば、以下のように言われていました。

・Kindness = 幸せを願ったりする際の行為
・Compassion =  最終的に幸せや相手への優しさを願うが、その手前にその人の苦しみを和らげたり、防いだりしたいと願う気持ち
・Consideration = 深く相手のことと考えてあげる行為

イベント内に出てきた内容より

特にSEE Learningでは"Compassion"という言葉は大切にしています。

Compassionは「思いやり」という日本語訳ですが、思いやりという言葉では描写しきれない意味として、Compassionは優しさというよりも、幸せな状況を達成するために、苦しみに寄り添うということについては非常に印象的な内容でした。

小項目②:文化による感情のカテゴライゼーションの仕方、他言語化することの挑戦

続いて、2点目です。端的にいうと、感情の表現の仕方が日本語は多様であるということです。

以前以下の今井むつみ先生の本『言語の本質』には日本語の様々なオノマトペについての言及があります。

ドキドキ、ワクワク、ふわふわ、もやもや、など、日本語には様々なコンテキストに応じて多様な感情表現のできる言葉が存在します。

日本人にとって当たり前ですが、他の国の方々からすると当たり前ではありません。

何が言いたいのかというと、国によって、感情を描写する語彙の数や意味を示す範囲が異なるということです。

特に日本語の場合は、先にあげた『言語の本質』で述べられているように、擬音語や擬態語が日本語という言語に与えた影響は非常に大きいです。

であるならば、SEE Learningはアメリカに位置するEmory Universityを中心に提唱する考え方ですが、これを日本にローカライズ(現地実装)しようとすると、かなり正確に同じ意味を日本に持ってくるのは難しい作業であるということです。

今回は、Emory Universityから3名の先生が来ていただけましたが、彼らから説明される意味を正確に理解するには、その言語をその言語のまま理解する必要を感じ、日本語訳など他言語訳された瞬間に大事な意味が落ちてしまう可能性があるということをしばしば感じました。

改めて、他国で提唱された概念を適切に理解することの難しさを実感しました。

小項目③:相手と自分についての相互依存性の理解

続いて、相手と自分についての相互依存性の理解についてです。パッとみた感じ、どういう意味なのかわからないかもしれません。

本イベントの最後に、教授たちはこんなことを言っていました。

I am because you are.

イベントの内容より

直訳すると、「私はいる。なぜならあなたがいるから」という意味になります。

そんなの当たり前だよなんて思うかもしれませんが、確かに私という存在は、他者がいなければ存在しえない概念です。

こうしてそれぞれの存在を認識し、関係しあっているからこそ世界が成り立っているというようなワークショップも行いました。

この辺りは日本の文教でも最澄空海が中国から学んできた「密教」の考え方や唯識論的な考え方に基づく考え方だなと思いながら聞いていました。

自己を意識化するには、他者の認識が必要である、ということです。

小項目④:感情のニュートラル性の許容

また、「感情のニュートラル性」については、意外と重要な考え方としてハイライトに残しています。ニュートラル、とは、何でもない、という意味になります。2日間のワークショップの中で、個人の感情の選択肢として、「満足した」「ニュートラル」「満足ではない」など3段階での評価をすることがありました。

教授たちはこう言います。

必ずしも「High」でも「Low」でもある必要はない。

イベントの内容より

こんなことの経験はないでしょうか。

付き合っているパートナーがいるときに、沈黙があるとします。

その際にあなたはどんな気持ちになりますか。

こんなことを問うと、大抵は「何か話しかけなきゃ」「何か面白いことをしなければ」と思いますと答えたりするでしょう。

しかし、ニュートラルであるという選択肢も存在するのだなとこの時思いました。

つまり、沈黙になっているのであれば、そのまま沈黙で良いということです。精神的な変化を加えずに自然体に気持ちのたかぶりや変化を待っても良いということです。

このようにすることで、お互いのペースが守られるということが言えます。

小項目⑤:Emotion (感情) とSensation (感覚)の結びつき

続いて、「感情と感覚の結びつき」についてです。イベント内では、以下のような図が表されていました。

イベントの内容をもとに筆者が作成

感覚、感情、思考のいずれかに何らかの刺激が生じた場合、それ以外の2つの要素にも影響し合うということです。

例えば、ジェットコースターに乗った時に、上から落ちる瞬間の重力は、大きな身体的感覚を感じます。その感覚とほぼ同時に「楽しい」や「怖い」などの感情も生じます。そして、また乗りたい、やっぱりジェットコースターは楽しい。などと頭の中では考えるようになります。

このようにして、一つの刺激からそれぞれが連動し合い、私たちは感情を揺れ動かしたり、思考の巡りを変えたり、違う感覚を得たりする、ということです。

これまで私自身もSensation ≒ 身体性的な部分について非常に注目している領域であります。

こちらのブログでも記載していたのですが、テクノロジーが発達してきた現代社会において、身体感覚の軽視があげられます。

そして、身体感覚が軽視されることによって、感情の軽視がされてしまうのではないか、ということも感じました。もちろんゼロにすることは不可能です。

例えば、動画を視聴するなんていう時には、スマホを持つ感覚、目で動画を見るや音を聞く感覚があるかとは思います。その刺激によって感情を揺さぶったりするかとは思います。しかし、それぞれの影響の度合いは、少なくなるのではないかと考えます。

反対に、ジェットコースターに乗る、キャンプで焚き火をする、花火を見る、ライブに行く、など五感をフルに使って得る感覚を刺激する場合は、より大きな感情の変化や思考の変化を促すのではないかと思います。

この辺りは仮説で個人的に考えたことですが、少なくとも感情と感覚が影響しあうということ、そして私たちはそれらを無意識のうちに生じさせていることを認識しました。

小項目⑥:感情の感度が上がることの功罪

最後の、「感情の感度が上がることの功罪」についてです。
どういうことかというと、感情を認識する精度が上がると、いろんな感情に気づくようになり、自分の気持ちを落ち着かせるための術を身につけることができるようになる場合もあれば、反対に些細なことでも感情の変化に気づくようになり、これまで気にしていなかったことでも気になったり、傷ついたりしてしまう場合もあるのではないか、ということです。

感情の機微が人と比べて大きい人にとっては、その感情がどのようなものであるのかを言語化したり、整理したり、別の感覚を知覚させる行為をすることによって、気持ちを落ち着かせることにつながります。

これ自体は非常に意味のあることであると感じます。

他方で、より感情の機微を認識できるようになることで、本来考えなくても良いことについて考えるようになったり、それによって苦しんでしまったりする場合もあるのではないかと思いました。

もちろんSEE Learningでは感情への対処方法を体系的に学ぶものではありますが、本来もっと鈍感でそんなことをしなくても結果的に乗り越えられていたことでも、感じるようになったことで、都度対処しなければならない、ということにもつながったりする可能性があるなと感じました。

つまり、SEE Learningがその瞬間に必要な人もいれば、今は必要ない、という場合もあるのではないかと考えました。

SEE Learningの学校教育への実装

さて、ここまでSEE Learning Japanのワークショップで学んできたことを述べてきましたが、じゃあ結局SEE Learningって学校にどのように実装すると良いの、と思うかもしれません。

実際にSEE Learningを実践されている先生方もいらっしゃると思いますので、ここからは完全に今回私がワークショップを通じて考えたことを中心に述べていきたいと思います。

まず、先述しましたがSEE Learningを実施するにあたって、それぞれに適した対象者がいると考えました。

SEE Learningの要素としては、以下ですが、これに対応する対象者がいると考えられます。

1. 気づきのトレーニング
2. 思いやりと倫理的な識別
3. システム思考
4. レジリエンスとトラウマインフォームドケア

出典:https://seelearning.emory.edu/en/aboutから日本語訳したもの
森が独自で作成

もちろんSEE Learningのワークをするとそれぞれが複合的に混ざっていくことではあるかとは思いますが、"何を主にするのか"は考えても良いかと思いました。

例えば、高校2年生の総合的な探究の時間を想定する場合、今後の進路を決めていく年代に差し掛かるタイミングですので、「気づきのトレーニング(Attention Training)」という部分を重視するべきかもしれません。

あるいは、学級経営的に少し大変な思いをしている、すなわち生徒同士が不仲であったり、問題を起こしてしまった時には、「思いやりと倫理的な識別(Compassion and Ethical discernment)」をメインに据えたワークを展開するべきでしょう。

SEE Learningのアクティビティどれもがとても素晴らしいものではありましたが、対象者や属性、彼らの置かれている状況を鑑みて、「主」として置くべき要素は何かを明確にすることによって、SEE Learningの価値を最大化できるのではないだろうかと思いました。

まとめ

いかがだったでしょうか。私自身はSEE Learningについて初めて触れた領域でもありますし、SEL(Social Emotional Learning)についても特に文献を読んだことはありません。

だからこそ今回はその純粋に感じたままを、主観的に赴くまま記録として残してみました。ベラルーシ出身のソビエト連邦の心理学者のヴィゴツキーがいう生活的概念の部分で捉えている状態かと思います。

感覚ではわかっているけれども、それが理論と結びつかない、という点で。

生活的概念:対象についての概念をもってはいても、その概念そのものを、あるいはその対象を思い浮かべるときの自分の思考活動を自覚していないもの ≒ 「自然発生的概念」と呼ぶこともある

出典:『ヴィゴツキー入門』p94, 柴田義松 著

今回の振り返り、そしてこれからいくつかの論文や文献を漁ることによって、「科学的概念」との結びつき、そして実際の学校現場とかにもお伺いさせてもらいながら、SEE Learningが生徒へもたらすパワーについて引き続き検証していきたいと思います。

是非是非この辺り一緒に振り返りしていただける方募集していますー!

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