私たちの生きる道は自然か、テクノロジーか
みなさんこんにちは。
6月2日-8日までインドネシア、バリにて一級建築士の奥田智恵子さんが立ち上げたNPOタビスキが企画する「行けば地球が良くなる旅」世界のソーシャルビジネスに学ぶ 究極のエコホテルに泊まる旅 in インドネシア バリ島に行ってきました。総勢23名の大所帯で回るツアーとなり、普段ツアーで回らない自由奔放な私が大丈夫なのかと心配しましたが、ツアーならではの価値を感じることができた期間となりました。(これはまた改めてブログにします)
様々な考えたこと、感じたことはあるのですが、今回一番メインに考えたいテーマは、表題にある「私たちの生きる道は自然か、テクノロジーか」という内容に焦点を置きながら振り返っていきたいと思います。
まずはツアーの内容を簡単に共有します。
ツアー基本情報
続いて、インドネシアの基本情報やバリ・ウブドについての紹介をします。
インドネシアの基本情報
バリ・ウブドについて
行く前のバリのイメージはリゾート地くらいにしか思っていなかったのですが、非常に素敵な街や村があり、素晴らしい自然と文化がありました。
利便性と人間の関係性
さて、ここからは本題ですが、東南アジアにいつも行くと感じてしまう私たち人間が持っている本能的な部分について書いていきたいと思います。
私は東南アジアでいえば、これまで大学時代にカンボジアへ5回渡航しEDUCAというプロジェクトを行っていました。プノンペンから車で2時間くらい走らせたコンポンスプー州のチャンボック村を中心に5つの村で遊休スマホを活用した英語映像授業を提供していました。
いつもカンボジアに行くと思うことは豊かさと便利さは必ずしもイコールでないことです。
そして、目の前の人とその瞬間を味わうことが豊かな人生につながるということも感じていました。
今回の渡航でそれらの感覚がフラッシュバックしながらも当時にも感じたこと、そして今回感じた新しいことについて書いていきます。
日本は物質的にも、経済的にも、非常に満たされた国です。一方で電車の中を見渡せばスマホを眺めています。道がわからなくてもGoogleマップで必死に探します。人は目の前にいるもののそこには交わりはほとんどありません。少なくとも都市部では。
カンボジアやインドネシアはそうではありません。と言いたいところですが、実は日本と似た現象が起こっています。
バリも観光中心地では人との交流は減り、貨幣社会に依存した社会システムになりつつあると言っていました。
貨幣社会には、合理性が重視され、新しいテクノロジーが積極的に導入されています。
今更なのですが、東南アジアで配車タクシーアプリのGrabを初めて使いまして、すぐにタクシーを適正な価格で呼べるようになっていることに便利さを覚えるとともに人間同士の関係性の希薄化が進むことへの実感をしました。
カンボジアで活動していたのは2015年ごろでその当時は移動手段を見つけるには自力でトゥクトゥクドライバーと価格交渉が必要でした。
これは非常に時間も労力もかかり、特に交渉慣れしていない観光客はぼったくられたりするのですが、ある意味そのリアルな駆け引きが人間同士の関係性を構築するうえで重要な役割を果たしていたりするわけです。
時に良いドライバーに出会って、そのドライバーの家に招いてもらったりする偶発的な体験はそこにはないのです。
利便性と人間の関係性のどちらを取るべきなのか、利便性を追求した先にどんな景色が待っているのか。
それは私たち日本人はすでに知っています。
先日以下のブログについても同様の内容について記述しているのでご興味のある方はご覧ください。
自然と人間の関わりについて
続いて、今回の1番の発見は自然と人間との関係性についてです。
先にもあげましたが、バリのウブドはアミニズム的なスピリットがまだまだ残っているエリアです。そしてヒンドゥー教も非常に信仰しています。街を歩いているとヨガ教室が至る所にあり、ローフードを食べることのできるレストランもたくさんあります。
補足的にアミニズムについて記述しておくと、以下の内容になります。
アミニズムは動物や自然物に宿る魂の信仰である。
霊的存在を謙虚に扱うことが大切。
要は木や森には精霊が宿っているので、人間と仲良くできる木や森があったり、反対に受け入れてくれない場所が存在していたりすることを信じているということです。一種のスピリチュアルな側面があります。
半ば信じがたいところもあるのですが、この考え方は非常に現代社会において、部分的に必要であったりするのかなと思ったりしています。
私たちは現在気候変動という深刻な環境問題に直面しています。これは間違いなく人間がもたらした害悪です。
そして、私たちはその現実に対してテクノロジーで自然の脅威を乗り越えようとしています。
津波や大雨による川の氾濫対策に防波堤を高くする。
地震に対応するために耐震性の高い建物を建てる。
土砂崩れに対応するために斜面をコンクリートで固める。
あらゆる手を尽くして自然からの脅威に人は備えます。しかし、自然はその想像をも超越して人間を覆い尽くしています。
あらためて宮崎駿を『もののけ姫』は偉大な作品だと感じています、、
やはり自然の偉大さには人間は敵わない存在であると思うわけです。それであれば、対立や抗うのではなく、うまく付き合っていく必要があると思っています。
何より人間が癒される、人間が人間的な営みをするには自然が必須です。
アミニズムを信じろ、というのが言いたいのではなく、改めて自然の威厳を尊重して、その自然と共生するための工夫が必要だと感じました。
その行為がおそらく昨今言われているサステナビリティであり、エコな取り組み、なんて言われることなのだろうと思います。
私たちの生きる道は自然か、テクノロジーか
さて、いよいよ表題にある内容についてですが、結論から言うと二項のどちらかに立つ、ということは全くの見当違いであるということです。
大事なのはバランスです。
テクノロジーは私たちに便利な暮らしをもたらしました。テクノロジーがあるから私たちは綺麗な服や画期的な移動手段やありえない距離の人と関わることで新しい発見などができるわけです。
一方で私たち自身の豊かさを考えると自然との戯れは非常に重要なファクターです。木に触れたり、大地を感じたり、畑や田んぼで収穫した食べ物を口に入れて私たちは満たされた感覚を享受しています。
どちらかというと最近はテクノロジーに比重が大きくなる傾向にありますが、やはり自然の厳かさを尊重したうえで初めて私たちは人間的な営みができるのであろうと思います。
そんなことを感じたインドネシア、バリの旅でした。
今回は教育の話はできてませんでしたので、次の機会には視察したGreen School Baliやイエナプランスクールについて触れていきたいと思います。
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