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愛について大学生が考えてみた!②

※昨日の投稿からの続きなので、読んでいない方は①を読んでから以下を読んでください。

前回は「愛の手段化」という話をしました。愛することが手段で、自分の評価を上げることを目的としているのではないかということでした。

さて、2つ目の理由ですが、僕の中でいろいろな葛藤があったからです。

大学での決意と当時の友人関係

僕は大学に入り、それなりの学生生活を送り、彼女が欲しいな~と漠然と考えていました。高校までは真面目な性格とよく言われ、周囲の人間とそこまで打ち解けていなかった感覚がありました。大学に入れば、環境も変わるし、自分の新たな一面みたいなものを発揮できるんじゃないか、と考えていました。新たな一面、それは自分が知らなかったというよりは、みんなにそれまで伝えていなかった一面を伝えられるということです。「真面目」と言われ続けて苦しかった自分が、そうではない一面を見てもらえる、そんな期待を抱いていました。

大学で環境が変わるので、積極的に話しかけていこう!ということで、授業で一緒になった子や大学の部活やサークルで知り合った子にどんどん話しかけていきました。これで、僕は自分の新たな一面を見せられる、そう思っていました。しかし、距離が縮まったなと感じる友人がたくさんできたわけではなかったのです。

(まあ、世の中全員と仲良くなることはできんから、自分の気が合う人とだけ一緒にいればいいか~と気付いたのはこれよりかなり後のことです)

僕ががっついていたんです。「ガツガツ行き過ぎてしんどい」離れていった友人からそんな雰囲気を感じました。ある方(仮名:Aさん,女性の方)との関わりでかなりショックを受けたことがありました。Aさんとは大学入学時のバドミントン部の体験入部で知り合い、ごはんを食べに行き、LINEでいろいろとしゃべるほどの仲でした。僕としても「仲良いからいい感じ?」とは思っていましたが、大学1年生の夏ごろに、Aさんと僕の共通の知り合いの同じ大学のB君(仮名,当時は同じバドミントン部の友人でした)からこんなことを言われたんです。

(ある部活の大会帰りの電車の中で)

―男子だけしかいなくて、部活で恋バナになり、「ゆうきは好きな人いるん?」という話しから―

B:「ゆうき、お前、AとLINEやってるやろ?」

自分:「うん、やってるよ」

B:「Aからさ、「助けて」ってLINE来たわ」

自分:「ん?「助けて」ってどういうこと?」

B:「お前、Aにさ、どうでもいい話送ったり、LINE続けようとして余計なこと送ってたやろ?俺、全部見たけど、気持ち悪って思ったで!」

自分:「は…?そんなことないけど」(必死の抵抗)

B:「(近くにいた先輩方に対し)こんなLINE送ってたみたいなんですよ。これどう思います?」

先輩:「いや~これはないな…」「ゆうき、どんまい」

Bとはその後、これをきっかけにかなり仲が悪くなり、口を一切聞かなくなりました。同時にAに対しても、怒りの感情であふれ、二度と顔を見たくない気持ちになりました。今でもたまに、大学で見かけますが、そのたびに怒りの感情がわいてきます。

ですが、この出来事を僕なりに冷静に最近考えたときに、「何のために友達を作ろうとしていたんだろ…」と疑問に思ったのです。自分とそりの合わない人はたくさんいるはずなのに、「自分にはそりの合わない人なんているわけない!」と心の中で確信しており、「人間みんな友達」のような気持だったんです。だからこそ、僕という人間は誰もが好きで、興味を持ってくれるみたいな理想を抱いていたんです。(下の写真みたいなイメージ)

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ただ、AさんとB君のエピソードを通して、「人間みんなそうじゃないんだ」ということを思い知られたのです。

「みんなと仲良くなりたい!」(特に自分が遠くから大学に通っていることもあり、高校時代から気軽に話せる仲間みたいな人がいなかったんです)

「でも、みんなの中には自分を裏切る人あるいはそりの合わない人もいるし…あんまりみんなとは仲良くなりたくないな…

そういった葛藤が大学1年生のときから僕の心の中に目覚め始めたんです。

「真面目」と言われ続けた自分

さらに、それに拍車をかけたのが「真面目」という性格でした。

僕は昔から適当にすることが大嫌いで、なんでも完璧に、一生懸命に取り組まないと気が済まない性格でした。それは勉強に対しても同じことで、課題もきちんとこなして、様々な知識を得たい、と考えていました。大学入学時から教育に対してひろ~く興味を持っており、大学生だからみんなと「教育」について熱く語りたい!と思っていました。

ただ、現実を見たときに、そこまで熱を持っている人がいなかったんです。それが僕の中ではショックだったんです。僕がそこまで熱いからなのでしょうか、同学年なのに、「ゆうきさん」と敬意をこめて(あるいはちょっとしたからかいの意味も込めて)呼ばれることがあり、みんなとの距離を感じるようになっていたのです。距離を感じているんですが、僕の友人に聞いてみると…

「ゆうきは、教育に熱いね!俺なんかそこまで考えられへんもん。だからいっつもすごいな~って感心しちゃう。」

と教えてくれました。

尊敬されているから嬉しいんですが、この友人と埋まらない距離感は何だ?と不思議でたまりませんでした。それが僕を悩ませることになりました。

真面目だし、熱い男(?)だから、「ちょっと話とかについていけへん」とか、「真面目やからおもんないな~」と露骨に距離を取られたこともありました。だからこそ、僕の心の中ではどんどん人が離れていく気がして、孤立している感覚になったんです。

「あ…どうせ、誰も俺のことを理解してくれる人なんていないんやろな…」「高校生の時から何も変わってないやん。誰かこの悩みを聞いてよ」

それが、より一層、みんなと仲良くなりたい!という気持ちを強くしていったんです。

大学2年生の時に思い悩み日記のように書いたものにはこんなことを書いていました。

もう自分は限界なのである。誰からも承認されず、誰からも評価されず、それが精神的に苦しませてきた。だからそんな悩みを聞いてくれる友人が欲しいと考える。一人で強くないことを知っているからこそ、人の温かみを欲し、人とのつながりを大事にする。でも、自分に見合う人間がこの大学には誰もいない…

これは、色々な予定がかぶりすぎて精神的にも肉体的にも疲労がたまっていた時にかいたものです。しんどすぎて、部活を休もうとしたときに、何人かから「なまけてるな」「さぼりやな」と揶揄されたんです。それがこの日記なるものを書くきっかけになったんですが、同時に2年間のつもりに積もった思いをここに書いていたんです。(ざっと4ページ)

価値を下げてまで友達を作りたくないわがままな自分

その時にも、孤立している感覚を抱いたんです。ただ、この時に、もう一つ考えていたのは、「自分のステイタスを下げてまで友人関係を持ちたくない」ということです。

仲良くはなりたいけど、惰性で友達にはなりたくないし、居心地の良い人と友達になりたい、と考えていたんです。僕の中では、教育について熱く語りたいから、教育について持論がある人と仲良くなって、酒でも酌み交わして語りたい!みたいな理想を持っていたんです。

要は、自分が付き合う人によって、自分の価値を下げたくなかったんです。

それがよりみんなとの距離を作ることにもなったのかなと思いました。

(もちろん、僕は話せる友人は今、たくさんいます。なので、本当に大学の中で「ひとりぼっち」というわけではありませんよ!!)

色々な葛藤が混ざっていますが、

「仲良くなりたい!」けど「自分をきちんと評価してくれる人じゃないと嫌」「価値を下げてまで友達付き合いしたくない」という気持ちが結果的に「孤立」のような感覚を抱かせることになったのです。

これは僕の心持ちの問題なのかもしれません。過去、そこそこにできるタイプだったので、きちんと褒められた経験がなく育ってきたのかもしれません。

「ゆうきならこれくらいできて当然やろ」

この感じを僕はなんとなく察知していたから、そうした自分でいないといけなかったし、それに抵抗しようものなら、どんな仕打ちが待っているのか、怖くて仕方ありませんでした。

それが「バカ真面目」みたいな自分をつくり、頑固な自分を創ることになったのかもしれません。


先ほどの日記にはこんなことも書いていました。

休むと周囲は「怠け者」「さぼり」と誤解する。休むべき時に休めない。休むとそんな風に評価されるからである。だからこそ予定を入れたのである。また、体調不良で休むことは「悪」であるというほどの雰囲気である。休みたいのに休めないのである。トップスピードで駆けてきた自分に励ましの言葉をかけて休ませてほしい。その点からいうとC先輩やD先輩(どちらも仮名)は本当にうれしかった。「休むことも大事やで」「えぐいな」この言葉がボロボロの自分にどれだけの恵みとなったことか…

本当にこのときの先輩の多くを語らない言葉が僕をどれだけ救ってくれたか、どれだけ気持ちが楽になったか。今でもはっきりと覚えています。

人間に必要なものって多くを語らずとも、共感したり、共有できる仲間が必要なんだなって感じた瞬間でした。

そこから何とか頑張ろうとはするのですが…まだまだ認められない環境に苦しめられていったのです。


少し長くなりましたが、ここまで僕の葛藤について2021年12月31日までの試行錯誤も込みで、できるだけ当時の様子を想像できるように書きました。

愛の概念からみると、これは「友愛」もしくは「母性愛」だなと感じます。大学に入ってからの長い葛藤が「愛」を考えるきっかけになりました。来年は、もう少し「愛」についての知識を深められるようになれば、過去の葛藤からもう少し多くのことを学べるかもしれません。

年明けに3つ目も書きますので、ぜひお楽しみに。

では皆様よい2022年を迎えてください。

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