なにゆえに愛の伝道師??

皆さんはじめまして!!

教育について様々な分野に興味を持って研究しているゆうき(愛の伝道師)と言います!!大学4年生で主な研究内容は数学教育についてです!そこから、教育を広い視野で見てみようということで、最近は教師のマインドセットやいじめ問題について様々な文献を読んで研究しています。

将来は教師になる気100%なんですが、もっと理論的なことを学んだり、落ちついて自分の教育観を磨いたりしたいと考えたんで、今は大学院進学を考えています!ただ、今年の受験はどうしようかと迷っています・・・。こうした社会情勢でこうした場で少しでも考えを共有出来たら嬉しいなと考えています。

さて、僕の名前の隣には「愛の伝道師」と書いていますが、なんでですか?と疑問に思われるかもしれません。「若輩者が愛の何を知っているんだ!」と思われるかもしれません。

しかし・・・考えてみてください!皆さんは突然、街で歩いていた時に小学生に「愛ってな~に?」と聞かれたとしたら、きちんと答えられる自信がありますか?

別に僕も今すぐに答えられるかというと、答えられません。ただ、教育者になる上で今、愛が非常に枯渇していると感じるのです。いじめ問題や不登校の問題で被害者や加害者だけの問題として処理されたり、我関せずという立場でそのことは知らんぷり、あるいは隠ぺいしようとする風習があるかと考えます。

 それは社会の風潮として利己主義が進行し、核家族化が進み、資本主義が世界のスタンダードとなり・・・、ということも原因でしょう。しかし、教育の上記の問題はこのことは一因でしかありません。それによって、情緒的な部分が発達することなく、育った子どもが大人になった時に、その子どもは次世代の子どもに何を伝えられるのでしょうか?

その子どもを育てるという社会においても大事な職業である教師がそうした情緒的なことに関してきちんと考えを持たなかったり、哲学的な問いに関して持論を持たずして、ただ世間で流布している意見を鵜呑みにして、子どもの指導に当たったり、子どもに伝えたりすることは怖いことだと感じるのです。

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愛するとは何か、そんなことを考える大学生はまずいないでしょう。そもそも、人間の問いとして考える人は少ないかもしれません。しかし、僕は教師になる上でそれを考える義務があるだろうと感じています。(ただし、ものすごいプレッシャーにさいなまれてこのテーマを考えているわけではありません。)そんな愛について考えていることを僕なりに皆さんにお伝えし、何かの一助になればいいかなと思いまして、「愛の伝道師」と書いた次第です。

今は愛の伝道師ではなく、最終的な目標として、愛について考えた自伝を残せると良いなと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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