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奴隷の君と支配者の私。

それは突然に始まった。


蒸し暑い体育館。

紺色のセーラー服と、白いセーラー服と
白いワイシャツと、黒い学ランと。

「パンツ見えてるー」
「3組静かにして!」
「ウゼー」
「お前ら校長先生のお話ちゃんと聞けよー」

ギャルと真面目クンと、
ヤンキーと地味子ちゃんと、
思春期の私たちと、くたびれた教師。

そのどれにもなりたくないけれど、
そのどれも欠けていたら、私の毎日はきっとひどく味気ない。

主役にはならなくていいけれど、
脇役には存在していてほしい。


4列先、斜め前方でちっちゃく体操座りする男子と一瞬目が合った。

最近の私の物語の主人公は、もっぱらこの人だ。

勉強も運動もカーストも普通、いや、それより少し下くらいだと思う。
周りから見れば「イマイチ」な彼と私は、少し前から付き合っている。


私は彼とできるだけ一緒にいたいし、
もし彼に「何か」があったら助けたいと思う。


それを「好き」というのだろうか。

逡巡していると、舞台の上に校長が現れた。


ひょろっとした体にくたびれたスーツ、禿げ上がった頭。
威厳などかけらも感じられない男だ。

それからこの男、「え〜」と「ね」がやたらと多い。

『え〜、ね。みなさん…、ね。おはようございます。
え〜、今日から…ね、6月ということでですね、え〜…』

校長はいつものように話し出す。

この男の話を真面目に聞いているのなんて、私の彼氏くらいなものだろう。
ちらっと斜め前を見ると、きれいな体操座りを崩さず、真剣に校長の話を聞き取ろうとしている彼が見えた。

私はくだらないと思いつつも、周りの生徒たちと同じように、今日も「ね」の数を数える。

先月は過去最多の127回だった。
今月もなかなかのハイペースだ。
記録更新するかもしれない。


『今から君たちを奴隷と支配者に分ける』


27回目の「ね」を数えた直後だった。

今まで聞いたことのない、淀みのない声で校長は言った。

体育館は一瞬だけ静まった後、元のざわめきが波のように戻ってきた。


『もう一度だけ言う。
今から君たちを奴隷と支配者に分ける。
君たちは奴隷か、支配者か、そのどちらかだ』


「校長先生も奴隷になるんすかー?」
「なになに?ドッキリ?テレビ?芸能人とか来るんじゃない?」
「奴隷になら何してもいいんですかー?」

戸惑う者、
笑う者、
茶化す者、
まるで話を聞いていない者

反応は様々だったが、校長は微動だにせず次の言葉を発した。

『1年1組 青木太一。2年3組 斉藤佳奈の奴隷』

体育館はまた一瞬だけ静かになった。
呼ばれたらしい生徒の周りだけが騒がしい。

『1年1組 伊藤涼介。3年1組 田所翔太の奴隷』

校長は私たちの反応なんてまるで見えていないかのように、次々と名前を呼んでいく。

名前を呼ばれたら奴隷。
支配者も同時に発表される。

私たちが理解したのはそれだけだ。
奴隷になるとどうなるのか、支配者になるとどうなるのかはわからない。

けれど「奴隷になるのが良くないこと」なのは容易に想像できる。

今では私たちは、奴隷と支配者に分けられることを当然の事実として受け入れている。
そして、できれば支配者でありたいと願いながら
舞台上に立つ男の一言一言に耳を傾けているのだ。

名前を呼ばれるたびに、
小さな悲鳴や歓声が一瞬だけ上がる。


気づくといつの間にか、全校生徒の「仕分け」が終了していた。


私は支配者だった。
私の奴隷は、顔もわからない、2年4組の男子生徒だ。

斜め前方を見る。
彼は、怯えのような、悲しみのような感情をたたえた顔で、私の顔をまっすぐ見ていた。


彼は、奴隷になった。


『これで全校集会を終了する。
君たちは、奴隷か、支配者か、そのどちらかだ』


校長が言い終えると同時に、数人の生徒が体育館の出口に走っていく。
それにつられるように、奴隷らしき生徒たちが逃げるように次々と体育館を出ていく。

しばらくすると、支配者の生徒もそれを追うように立ち上がる。
まるで狩りに出かけるライオンのような鋭い目で。


彼は、最後まで私の顔を見ていた。


奴隷も、支配者も、ごちゃ混ぜになって怒号が飛び交うようになってようやく、
彼も走り出した。

そして、私も走り出した。


私は彼を追う。
なんのために?


『奴隷は支配者の命令に絶対に従わなければならない』
『奴隷は他の支配者の奴隷でもある』


彼を追いながら、校長の言葉を反芻する。

違う。私は彼を奴隷にしたりしない。


『支配者は奴隷を助けてはならない』


そう、私は彼を助けたい。
だから私は彼を追うのだ。


『支配者は奴隷を助けてはならない。
決まりを破れば、その瞬間に奴隷になる』


どれだけ走っただろうか。
もう学校からはだいぶ離れてしまった。


道中、
自分の奴隷をいたぶる支配者、
奴隷なら誰彼構わず支配しようとする生徒をそこかしこで見かけた。
息絶えた奴隷の生徒も少なくなかった。

彼は無事なのだろうか。


不安になったその時、
公園の向こう側に、学ランを着た小さな後ろ姿が見えた。


近づいてみようか、
声をかけてみようか、

逡巡していると、男子生徒が振り返った。

彼だった。


こんなにもホッとして、愛おしいと思う気持ちは初めてだった。


「ねえ…私…」

君を助けたいよ。


言葉になる前に、彼は走り出した。

「待って!
どうして逃げるの?」

訳が分からないまま、私はただ彼を追いかけた。


もうどれだけ走っただろう。

喉の奥が熱くて痛くて、
足はもつれそうだ。


彼が急に立ち止まった。

そして、振り向かずにこう言った。


「僕を、支配してもいいよ」


「…え?」


「君になら、支配されてもいいと思ったんだ」


長い長い沈黙だった。
音は、一つも聞こえなかった。


そうだ、あの学校だけじゃない。
この世界にはもう、奴隷と支配者しかいないのだ。


奴隷は息を潜めて身を隠し、
支配者もまた息を殺して彼らの奴隷を探しているのだろう。


「支配って、なんなんだろう」


走りながら、私はずっと疑問だったのだ。

私たちが支配者と奴隷に「仕分け」されたあの時、
皆スイッチを押されたかのように
奴隷は奴隷に
支配者は支配者になったように見えた。

皆、自分の役割を無意識に受け入れているようだった。

けれども私は、走っても走っても支配者になんてなれないのだ。

それなのに目の前の最愛の人を奴隷にして、自分が支配者になるなんて、
到底できっこない。


「支配って、なんなんだろう」


自分に言い聞かせるように、もう一度声に出してみた。


彼はやっと振り向いて言った。

「僕は君が好きだ。
今わかるのは、それだけ」

そして、笑顔を作って私を見据えた。


長い長い沈黙の後、私は決意した。


「それなら、私の奴隷になって欲しいの。
そして、私の命令を聞いて欲しいの」


彼は笑顔を崩さないまま頷いた。


「この世界の全ての支配者から、私と一緒に逃げて欲しい」



私たちの世界に音が戻ってきた。
遠くから、誰かが近づいてくる音がする。
きっと、私たちを探して。






私の世界に音が戻ってきた。
この音は、聞きなれた目覚まし時計の音だ。

お母さんが階段を上ってくる音がする。


今日も、蒸し暑い1日が始まりそうだ。

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