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主観的な死はすでに始まり、これからしばらく続くのだろう。

目を開けると、見慣れない天井が目に入る。

広い広い和室だ。

薄っぺらい布団に、合わない枕。
寝心地の悪さを感じて姿勢を変えると、枕元に夫がいることに気が付いた。

夫はピシッとしたスーツを着て、背筋を伸ばして正座をしている。
けれど、表情はそれとは正反対に不安げだ。

夫の目は真っ赤だった。
それは、泣きはらした後のようにも見えたし、何か悪い病気にかかっているようにも見えた。


そして私はようやく思い出した。

自分が謎の伝染病にかかっていることに。
そして、夫もそれに感染してしまったことに。


夫はこの病にかかってから、人の死期が見えるようになったらしかった。


「ねえ、私、そんなに悪いの?」


絶対に聞くまいと思っていた一言が、ついに口からこぼれてしまった。

夫は困ったような、泣きそうな顔をしながら一度だけ小さくうなずいた。


私は初めて知った。
怖いのは「死」ではないことを。


そもそもどこからが「死」でどこまでが「生」なのかなんて、人間が勝手に決めた理屈だ。
それはどこまでいっても「客観的な死」でしかないのだ。


けれど私は今、主観的に死んでいるのだ。

ある日突然、心臓が停止したことを合図に客観的に「死」を判定されるのではなくて、
私の中の細胞が終わっていっていることが手に取るようにわかる、
そういう主観的な死をすでに迎えているのだ。


主観的な死。
それが怖くてたまらないのだ。


ページが次々に閉じられていく

「シャットダウンしています」の文字が現れる

画面が暗くなる

しばらく機械音が静かに響く

やがてそれすらも消える…。


パソコンがシャットダウンするように、
自分が終わっていくのがわかる。
それが怖くてたまらないのだ。


客観的な死を前にして、主観的な死はすでに始まり、この後しばらく続く。
それが怖くてたまらないのだ。

数分後、私の何が終わっているだろう。
数日後、私の何が終わっているだろう。

今生きているものが死んで
今できていることができなくなって
今感じない苦痛を感じるようになって

それが、怖くて怖くてたまらない。


主観的な死を現在進行形で迎えている今の私にとって、
客観的な死とは、
主観的な死による恐怖を取り去ってくれる最も幸せな出来事なのだ。


だから、
死ぬこと、つまり客観的な死は少しも怖くない。


しばらくそんなことを考えていたら、あの日のわがままを思い出した。


「私はあなたのことが大好きだから、
あなたがいない世界では生きていたくないと思うの。
だから、私より絶対に先に死なないでね」


いつか、夫にそんなことを言ったっけ。


あのわがままがもうすぐ実現するらしい。

けれど、喜ばしいことだとはこれっぽっちも思えなかった。


「私の方が先に死んでしまって、本当にごめんね。
辛い思いをさせて、本当にごめんね」


胸が苦しくて苦しくて、
涙が溢れて止まらない。


苦しい。
これも、主観的な死に伴う苦痛なのだろうか。
明日はもっと苦しくなるのだろうか。

怖い
怖い
ごめんね。




目を開けると、見慣れた天井が目に入る。

狭い狭い洋室だ。

薄っぺらい布団に、合わない枕。
寝心地の悪さを感じて姿勢を変えると、隣に夫がいることに気が付いた。


私の胸はまだ苦しいままだ。


私は笑って、
夫の重たい腕を無造作に払いのけた。

夫はまだしばらく夢の中にいるのだろう。

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