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見えない夕陽

心の中に夕陽を飼っている。

小さい頃、祖父が持ってきた大量のビー玉の中に初めてそれを見つけた。

オレンジ色と水色が混ざり合ったビー玉。

他人から見ればなんでもないそれは僕にとって、まるで海を照らす夕日のようで、長い時間をそのビー玉を覗いて過ごした。

目の前が知らない景色でいっぱいになるのが好きだった。
今、自分が居る乱雑におもちゃが広がった部屋から、知らない世界に飛んで行ける気がして。

幼少の僕にとってはテレビゲームよりも、ビー玉を眺める事の方が遥かに気分が高揚した。

朝よりも、夜よりも、夕方が好きだ。
大人になっても変わらない。

仕事をひと段落終えて玄関の扉を開けると、夕陽が迎えてくれることが多い。

廊下を飛び越えてお世辞にも綺麗とは言えない手すりをグッと掴む。

少しだけ背伸びをすると奴は綺麗に見えたりするのだ。背が伸びた。あの頃じゃあ見えないだろうなぁ。

きっと、朝と夜が混ざり合う様子にあの頃のビー玉を重ねてる。

そして何か嫌なことがあった日は、決まって心の中から夕陽を取り出してみるのだ。

嫌な世界から飛んで行くために夕陽を思い描く。

瞼の裏側でも、天井でも、あの非常識な態度の店員さんの顔の上にだって夕陽は映し出せる。

不思議なもので、生まれてから何千回と見てきた筈の夕陽は未だに僕を魅了し、知らない世界に連れて行ってくれるのだ。

朝も夜もなく仕事をしていると1日の感覚は無くなり心が摩耗し続ける。
毎日は急速に過ぎ行き、カレンダーをめくるスピードが上がる。

そんな日々の中でも僕は夕陽に心を寄せ続けるのだと思う。見える日も見えない日も。

浮かせた踵を落ち着ける。ふと考える。
いつか齢80まで夕陽を見た自分はあそこで溶けて混ざり合えたりしないだろうか。

そんなことを考えると少しだけ体温が上がる気もするが、これも夕陽のせいにしてみよう。

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