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多様な感性を受け入れられる風土が、持続可能な社会をつくる。issue+design代表と、教育の可能性を探究する

持続可能な社会と聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか。

自然豊かな地球?それとも、子どもがのびのびとしている社会や、戦争のない平和な世界?

思い浮かぶ言葉はさまざまだと思います。ではそんな答えのない世界を、私たちはこれからどのように創っていけば良いのでしょうか。

この問いを探究すべく、岐阜県飛騨市で中高生向けの探究塾「EdoNewSchool」の開校準備を進める株式会社Edoは、「持続可能な社会に、教育はなぜ必要なのか?」をテーマとしたトークイベントを開催しました。

ゲストは、『持続可能な地域のつくり方』の著者である、issue+design代表の筧裕介さん。Edo代表の関口祐太と副代表の盤所杏子が聞き手となり、持続可能な社会をつくっていくために、地域でできることを探究していきました。

登壇者は飛騨市のコワーキングスペースに集まり、Zoomにてリアルタイム配信。Zoomのチャットでは常に意見や感想が飛び交い、登壇者だけでなく参加者の皆さんとともに一つ一つのテーマを深堀りする時間となりました。

本記事は、イベントの様子をまとめたレポートです。持続可能な社会をつくっていくために、ご自身の身近なところで何ができるかを考えるきっかけとなれば嬉しいです。

分断を越え、人と経済の生態系を再生産する

ーー まずはゲストの筧さんから、持続可能な社会や教育に関して感じていることについて、ご自身の体験を振り返りながらお話いただきました。筧さんは「地域で起こっている課題を因数分解し、個別に対処していくことでは、持続可能な地域はつくれない」と言います。

筧:僕は、「人と経済の豊かな生態系が根付いた地域」のことを持続可能な地域だと言っています。地域とは、飛騨市をはじめとした小規模な自治体のこと。なぜ今、全国で地域おこしが上手くいっていないかというと、課題に対して工学的なアプローチをしているのが原因なんじゃないかと思っています。

工学的アプローチとは、例えば、テレビがつかないときにその原因を分析していくイメージです。リモコンが故障しているなら交換するし、電源が入らないなら電源コードに問題があると考える。町づくりでも、これと同じことをやってきたんです。地域経済が衰退していたら、若者を増やすような取り組みをする。それで移住者が増えたら成功しているように見えますよね。けれど、子育て環境が整っていなければすぐに出ていってしまいます。個別の問題を切り分けて、そこに対してだけアプローチしても、結果的には何も成果が出ないんです。これは持続可能な地域ではない。

ーー では、持続可能な地域をつくっていくために、必要なこととはなんでしょうか。原因を突き止めて、個別に対処するアプローチではなく、まずは地域の中にある分断を乗り越える必要があると筧さんは言います。

筧:人と経済の生態系が崩れてしまっているのが、地域が抱える大きな課題だと僕は思っています。ではなぜそうなるのかというと、地域にはいろんな立場や世代による分断があるからなんです。そんな分断を乗り越えて、人と経済の生態系を再生するのが、持続可能な地域づくりには大切だと思っています。

ーー ここからは、地域の話題から筧さんご自身の新卒時代の体験に話が展開していきました。出てきたのは、人間の感性の話。

筧:人生の転機は何度かあったなと思っていて、特に印象に残っているのは大学卒業後に就職した広告会社での上司との出会い。いろんなアイデアを出しては、上司から「面白くないね」とすべて否定される。アートディレクターには「美しくないね」と言われる。それまでは正しいかどうかの軸で生きてきたので、「面白いってなんだろう?」「美しいってなんだろう?」とひたすら考えました。そうやっていくうちに、広告の仕事にはまっていったんです。

「面白い」と感じるセンサーがあるから、人類は進化してきた

ーー 筧さんの話を受けて、代表の関口からは「その感性はなぜ人間に備わっているのか?さらにそれをどう伸ばすのか?」という問いが投げかけられます。

関口:「面白い」「美しい」という感覚って、なぜ人間に備わっているんでしょう?飛騨市長は「面白がり力が地域を救う」と言っていますが、そういう力ってどうやって育成するんだろうと考えることがあります。そのあたりを深掘りしていくと、EdoNewSchool で子ども達に対してできることが見えてきそうな感じがしました。

筧:新しい発見や変化って、必ず面白かったり美しかったりするんじゃないかな、という感覚はありますね。「面白い」や「美しい」と感じられるから、人類は進化する。どちらかというと、「面白い」は拡散系で、「美しい」は収束系だと思っています。面白いものは動的で心が踊る感じ。美しいものは静的で心が動く感じ。

関口:めちゃくちゃ面白いですね。心の動きが、静的か動的か。

筧:きっぱり分けられるものではないけど、心の動きを生み出せるような面白いものや美しいものは人間を進化させるものだと思います。

感性を磨くために必要なのは、人との関わりと言語化

ーー 面白いものは心が踊る。美しいものは心が動く。

筧さんのこの表現を受け、なるほどと頷く一同。では、その感性は、どう磨いていけば良いのでしょうか。大切なのは、高い基準を持った人と関わること。そして、「面白い」「美しい」と感じるものを言語化することだと筧さんは言います。

盤所:筧さんご自身は、広告会社で働いているときに上司から「面白くない」「美しくない」と繰り返し言われていたんですよね。今の筧さんのなかで、「面白い」「美しい」の基準ってあるんでしょうか?

筧:「面白い」や「美しい」は、絶対基準だと思っています。人によって違うものではない。そこに気づく力は、意外と簡単に身につくものなんです。

関口:その基準を高めていくためには、どんなコミュニケーションやアプローチがあるといいんでしょう?

筧:難しいアート作品を見たとき、それが美しいと感じられる人と感じられない人がいますよね。美しいと感じられる人が見ているポイントがわかると、その美しさに気づけるようになるんです。

街の中で面白いものを探し続けて、その面白さを言語化することでも磨くことができます。言語化する行為は、意識できていないものを意識化することだからです。そのレベルになると、自分の中で面白さや美しさに気づけるようになりますよ。

ーー ここまでのお話を聞いて、参加者のみなさんからは意見や感想が続々とチャットに届きました。

“強いられる「勉強」は面白くないし、美しくもないなと思います。”
“今の子どもは、美しさに出会う機会がなかなかない。”
“美しいとか、面白いって思ってもそれをしがらみなく言えないのが日本だなって思います。”

面白さや美しさを自然と感じられる環境であり、それを共有できる誰かがいることで感性は磨かれていくのかもしれません。さらに話題は、地域での教育へと広がります。

盤所:面白さや美しさを感じられる人が、持続可能な社会や地域をつくっていく人材なのかもしれませんね。学校教育に限らず、そういう人を増やしていくためにできることは何でしょう?

関口:教育に関わるステークホルダーとなる人が関係を深めることで、連鎖していくことがあるんじゃないかなと思っています。

最近は「社会に開かれた教育課程」という言葉を耳にすることが増えましたが、それって子ども達の教育を学校だけが担うのではなく、先生以外の人も教育に関わっていくことなのかなって。飛騨市では、そういう流れをつくろうとしているんです。

僕自身が「面白いな」と感じたのは、学校の先生と地域の大人が混ざって授業づくりをしたときでした。子ども達の興味を軸として、「これをやったら面白そうだよね」とアイデアを出し合う。

それまでは、学校の授業は学校の先生がやるべきだと当たり前のように思っていたんです。僕は前職で学校の教材を作る仕事をしていたけど、当時は学校には入りづらいと感じていました。でも、学校の先生が子ども達の成長を喜んでいる瞬間に立ち会えたりとか、一緒に授業づくりをしていく体験をして、そのイメージが覆ったんですよね。

ーー 過去の体験を振り返りながら、「さまざまな立場の大人が面白さを感じながら教育に関わっていくことも必要なのでは」と関口は言います。筧さんもこの意見に同意。子ども自身が感性を磨くきっかけにも繋がる、と続けます。

筧:誰にでも面白いと思えるものはあると思います。でも、大人になるにつれ、面白いと思える基準が狭くなっていくんですよね。先生が1人だと、その先生が面白いと思えるものに限定されてしまう。いろんな大人が教育に関わることで、子どもが面白いと思うものを受け入れる幅が広がるんじゃないかと思います。

「規模の小ささ」は、地方の強み

ーー いろんな大人が教育に関わるのが良いとは言え、都市と地方では人的資源の格差があるのではないでしょうか。しかし、「その差は縮まった」と言う筧さん。さらに、さまざまな取り組みをしていきやすいのは地方だと言います。

盤所:外部講師の方が学校に来て話をしてもらう機会は全国で増えていると思います。ただ、地方だと人が少なく、いろんな情報を得たり学校外の人に深く関わってもらうことに難しさを感じることがあって。地方と都市の差はいまだにあると思うのですが、その辺りはどう思いますか?

筧:以前よりは相当縮まったんじゃないかなと思います。面白い人が地方へ移住することは増えているし、オンラインでのコミュニケーションが日常化したことも影響しているはず。地域間の格差よりも、都市部の中での格差が広がったなと思いますね。誰でも情報が得られるようになったからこそ、そういうものを求める親はいくらでも得られるけど、そうではない親だと全く得られない。公的な教育は誰もが参加できる場として設定されていることが多いので、地方のように狭いコミュニティの方が情報が届きやすい。その情報格差は、都市の方が深刻だと思います。

盤所:公的な教育であれば、家庭環境に関係なくいろんな子どもがアクセスできますよね。とは言え、公教育はどうしても新しい取り組みの生まれづらさがあるなと感じます。

筧:都市と地方の公立学校を比べたら、何か新しいことを起こせる確率が高いのは地方の公立学校だと思います。自治体の規模が小さく、関係者が少ないからです。大都市の公立学校で何か面白いことをやって、それを市内全域に広げようと思うと、10年くらいかかる。飛騨市であれば1、2年で変えられると思いますよ。

ーー 地方の強みに目を向け、改めて、飛騨市での事業展開に可能性を感じる関口。Zoomのチャットには「地方の学校は、生産に関わる資源、現場、美しい自然、実践者に現場で会えるメリットがある」という意見も寄せられました。

関口:僕らは地方の教育に人とお金を当てて、重点的に投資する必要があるんじゃないかなと思って、飛騨市の教育や社会づくりに絞って事業を進めているんです。筧さんのお話を聞いて、そのアプローチは間違っていなかったなと思いました。

筧:地方の優位性は、加速度的に高まっていると思いますよ。『持続可能な地域のつくり方』にも、“新しい豊かさは地域にしかない”と書いています。そのことに気づいている日本人はまだ少数ですが、徐々に増えてきていると感じますね。

多様性を受け入れる土壌をつくり、住み続けたいと思える地域に

ーー 持続可能な社会と教育をテーマに、感性の磨き方や地域でできることにまで話題が広がった本イベント。まもなく終盤に差し掛かり、改めて今回のイベントのメインとなる問いが投げかけられます。

盤所:最後に、今回のテーマとなっている「持続可能な社会に、教育はなぜ必要なのか」についてお2人の意見を伺いたいと思います。持続可能な社会とは、そもそもどんな社会なのでしょう?そして、そんな社会をつくっていくために教育分野からできることは何でしょうか?

関口:持続可能な社会とは、「これからも住み続けたい」と思える場所であること。そんな場所にしていくために、地域にどんな人が増えたらいいのか?ということをずっと考えていました。今日話題にあがった、「面白い」「美しい」と感じることは、人が幸せに暮らしていくために必要な感性なんだと思います。

その感性を磨いていくことが、人間の本来の機能を高めることに繋がる。そのために、大人も子どもも心が動くことを追求していく。そんなことをしていけるといいのかなと思います。いいヒントをくださり、ありがとうございました。

筧:多様な面白さを需要できる風土や土壌がある地域は、基本的には持続可能なんだろうなと思っています。そういう人たちが集まり、連鎖していく土壌をどうつくるのか?それは、小さな地域であればあるほど容易だと思います。やはり人の影響力が大きいなと。

「面白い」「美しい」と思える感性は、自分で言語化して説明することで磨かれていくんです。論理的に説明できないことがわかれば、もう少し面白いと思えるものを探していけばいい。自分の中の論理と感性の往復運動を繰り返していくといいんだと思います。

大きな問いの答えを、自分の半径5mから考える

「持続可能な社会をつくるために、どんな教育が必要なのか?」

このとてつもなく大きな問いに、一体どこから考えていけば良いのかと思考が止まってしまいそうにもなります。「社会」や「教育」というワードを聞くと、自分とは少し離れたところで起こっている問題のような、そんな感覚を抱くこともあるかもしれません。

ですが、私たち一人ひとりが持っている感性こそが、持続可能な社会をつくっていくことに繋がる。その感性を磨いていくために、大人も子どもも、それぞれが身近なところで「面白い」「美しい」と感じるものに触れる機会を増やしていくことが必要なのだと思います。

(文:建石尚子

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