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東京に住む龍 第十話 千客万来①

 龍神社の社務所で神主と巫女の、辰麿と小手毬は少々暇を持て余していた。お守り売り場を開けているのだが、小さな神社で近所の人や通りがかりの人がお参りに寄るだけで、社務所に用事のある人もない平日の昼下がりだった。普段は用事がないなら神社の後ろの幽世の龍御殿の自室で雅楽の楽器練習をしている。今朝は大学が無かったので、起き抜けに白い着物に赤い袴を穿き千早を引っ掛けた所為なのか、社務所で辰麿の隣にいる。

 神官の辰麿は社務所でもやることがあるようで、机の上のパソコンを立ち上げて、神社管理システムを開いている。電話機は営業電話が面倒くさいので無くして、氏子とのやり取りや。御祈祷の予約や七五三はメールで受け付けていた。反対にアナログにも社務所に親御さんが直接来て予約をして行った。

 小手毬との間で龍神社のwebサイトについて何度も話し合われていたが、コンテンツもないので作らないことにした。グーグルが勝手にグーグルプラスに住所と地図をのせているので、ネットで龍神社を探して来ることも出来る。不便はないはずだ。

 朝、社殿と境内の掃除をして、社務所のお守り売り場を開けると、辰麿はスマホでメールチェックをし出した。今日は急がなければいけないメールも無いようで、辰麿は欠伸をした。

「小手毬、今日は神社に居るの」

「大学がないから、手伝おうと思ったのよ。朝起きて大学に行かなくていいのだと、思ったから、巫女さんの着物を着たの。こんなに暇だったら、部屋に戻ろうかしら」

「少し話そうよ。術を解いて何日か経っているけれど、気分はどう」

「そうね、すっきりした。言いたいことが言えて爽快」    

「そう良かった!

 本当は僕のこと好きなんだよね」

「龍君のことは普通ね。嫌いじゃないわよ」 

 小手毬は三年生になった。辰麿が熱心に勧めた語学のラテン語の講義も、結構得意な数学の講義も、一般教養の単位が全て取れたので無くなり、篳篥の個人レッスンの時間が多くなり、雅楽の授業が多くなった。四年間で全単位をコンプリートすることもゲーム感覚でモチベーションが上がり楽しい、小手毬だった。

 氏子筆頭の馬場君のお祖父さんが寄ってくれた。四月の半ばに龍神社の境内に、鯉のぼりの棹を設置してくれるので、簡単な打ち合わせをしていった。馬場さんの先祖は本殿を明治元年に建てた宮大工で、今も東京をはじめとする関東地方の寺社建築をしていた。

 馬場さんが帰って行った午後、若い男性とその息子が訪ねて来た。厚手のセーターにダウンジャケットを手にした父親は、育ちが良さそうな優しい表情をしていた。北海道から辰麿を訪ねて来たそうだ。五歳位の元気な男の子は、放課後でわらわら集まり出した子供達に交ざって、境内で遊びはじめた。

 小手毬はこの二人は、少し“神”が入っているのではないかと感じた。結婚してから、人ならざる神・妖怪と亡者の区別が出来るようになった。元人間の亡者で天国での活動をしている特別な亡者で、何か良い活動をして神に成りはじめている亡者の様だった。

「御寮人様、はじめまして、相模三郎と申します」

「相模三郎さん。坂東太郎に似ている名前ね」

「坂東太郎とは利根川の事でしたね、それはたいそうな。式部太夫とも呼ばれています、もうかなり前から名乗りませんが。私は現世で人間だったのは遠い昔なので実名も半分忘れかけています。私の一族には相模三郎と呼ばれる者が多いのですが、気軽なのでこの名前で呼んでもらっています。

 息子の名は宝寿といいます。私の幼い時の名前をそのまま付けました」

 辰麿が込み入った話になるというので、龍御殿に移ることにした。人間の子供に交ざって、元気にドッジボールをする宝寿君のことを、社務所で何やら設計をしていた鈴木さんが、見ていて上げるからこのまま一緒に遊ばせてやろうと言ってくれたが、重要な話なので連れて行きたいたいと呼びに行った。人目につかぬように四人で社務所の脇から結界を超えて龍御殿の座敷に 移った。

 幽世なので二人は霊的に楽な恰好に変えた。お父さんは絹織物の直垂烏帽子姿で、上品で清々しい若い武士の姿に成った。小手毬は本物の武士が来たーと思った。血筋の良さと真面目で折りめ正しさをひしと感じた。息子の宝寿君は驚くことに、アイヌの民族衣装を着ていた。荒いの目の植物繊維に精緻なアイヌ模様の刺繍が施された、確かアッケッシと呼ばれていたアイヌ独特の表着を着ていた。

 武士とアイヌ少年の組み合わせに、小手毬びっくりして二人を交互に見てしまった。

「お父さんは鎌倉武士で、宝寿君は北海道何ですか?」

「御寮人様のお見立て通り、生きていた時私は鎌倉時代の武士でした。今でいう国のトップに近い政治家でした。昔ですから最高権力者の息子というだけで、日本の半分を治める仕事に十代で就きました。何にもできないお飾り何て言われたくないので、一所懸命仕事をしました。土地の有力者の土地争いの調停をしたり、宗教団体との面倒な付き合いもしたり。それでも民草の生活を良くしたい、戦など起こしたくないと、仕事してきた積りでした。

 私の年齢が若いことと、息子が子供であることで、御寮人様もお気づきだとおもいますが」

「まさか殺されたのですか」

「そうです、妻も私に尽くしてくれた家来達も、下働きの下男下女達までも、私が謀反を起こしたということで、無残にも殺されてしまったのです。反乱なんて起こす気はこれっぽちっもなくて、時の最高権力者のために真面目に仕えて来たのです。死んでから漸く気が付きましたが、私が徒党組めば政権を奪取するのに一番近い立場だったのです。私にその気が無くても誰かがお神輿に載せると危惧した、身内の人間により、粛清されてしまいました」

「それわー、残酷な」

「私にはやり残したことが沢山ありました。あの時は無念で無念で。地獄の十王庁は案外と話が分かって、私達を天国行きにしてくれた上に、幽霊ではありますが現世で仕事が出来るようにしてくれました」

「生きている人間にしか見えないのですが。幽霊なのですか」

「それは上手く化けてるという事です、お褒めいただきありがとうございます。私達親子は都合の良い所でしか現れませんですから。人間に比べると便利な存在ですよ」

辰麿が聞いて来た。

「ご家族は今も天国に住んでるのですか」

「はい、亡者ですから極楽の方に居ます。妻や妻の家族も一緒です。一緒に天国に来た下男など、今でも力仕事があると現世に来てもらって手伝って貰ってます」

 山吹さんがお菓子とお茶を運んで来た。子供が喜びそうなキャラクター付きのチョコ菓子だった。宝寿君は子供らしく菓子で一人遊びをはじめたが、父親たちの話にじっと耳を傾けていた。

「大きな権力を持って、政治的に世の中を良くしたいと思ってました。どうしたら良いか分からなくて、方法を探すため私達親子は現世に戻り、流浪の世捨て人に扮して日本中を回りました。華やかな都しか知りませんでしたから、鄙びた田舎はもの珍しく、親切にされた杣人につい私の身の上話をしたところ、日本中に私の幽霊が出没した話が広まってしまいました。私としては政策のリサーチで回っていたので、少し不本意でした。これを知った私の兄弟は罪悪感からか苦しんだようです。

 そうこうするうちに、本州で大きな戦いが起こりました。どうしたものかと思案していましたら、青龍様が蝦夷地のお寺に行くというので、私達親子も付いて行ったのです。そこで和人の修験道者やアイヌの人たちと出会い、一緒に暮すことにしました。

政治の力強い権力で世の中を良くするのは、簡単ではない、複雑でどうすれば良いか迷うことばかりです。私はよく戦の調停をします。例えばやらなければいけない戦はあります。それは攻めるも護もありますがやらねばならぬ戦はあるのです。それ以外の小競り合いは人によっては多い方が利になる者も、一切な無い方が利になる者もいます。そうなると何方に合わせた方がいいのか、見当も付かないのです。何百年経っても迷います」

「夏のお祭りの屋台の、焼き玉蜀黍とかじゃがバターとか焼きそばのお肉は、三郎さんから買っているんだよ」

「いつもお世話になっております。好評だと聞いて仲間たちのやる気になっています。

 結局、私は大したことが出来ないので、一緒に汗を流すことしか出来ないのです。それはそれで多くの人を喜ばせられるので、近頃では良しとすることにしました」

「幽霊になっても心が変わることがあるのですか」

 小手毬は三郎さんに質問した。妖怪なんて心の成長は無いと思っていたと続けた。

「人それぞれかな、でも数百年数千年、人間には到底及びつかない長い時間を生きるのです。変わっていくのでしょう。私は最近詰まらない境地になりました。

 楽しいことはきちんと楽しもう。

 災害や思わぬ不幸は防ぎきれません。死んで親しい人と別れることもあります。だから、楽しいことはいい意味できちんと楽しんで置こうと思うに至ったのです。

 この考え方を不老不死の神は、結構実践しているのです。それを今まで少し甘ちょろいなんて思っていたのですが、冥界に来て数百年、漸く理解できるになりました。私は現世の仲間と一緒に、楽しめることは楽しんで苦難に立ち向かいます」

 辰麿が

「楽しいことはじゃんじゃんやろう!」

 と言うと畳一枚分離れた所で、チョコのおまけで遊んでいた、宝寿君も一緒に、

「楽しいことはじゃんじゃんやろう!」

 言った、三郎さんも小手毬もつられて言うと、四人で大笑いしたのだった。

 

あとがき

 十話と次の十一話を書き上げました。十話は題名の通り色々なお客様が二人のもとに来ます。現世の人間のお友達と飲み会、幽世の妖怪と交流したり、天国地獄からのお客様も来ます。
 今回のお客様は、実は結構な有名人でした。
 一億歳の龍、青龍は人間では二十五歳の神社の神主です。八千万年もの間十歳児でしたので、子供っぽいのは筋金入りです。
 


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