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役に立たない文章を、今日も今日とて書いているのだ

「創作は役に立たない」

なんていう言葉は、もう僕が生まれる何十年も何百年も前から言われていることで。まあ、きっとその言葉は正しかったりするんだと思うんだけれど。

2022年には高校国語で小説や随筆、詩、短歌などいわゆる「文学」の授業が選択科目になる、だなんていつかのニュースでちらりと見た。他の選択科目との優先度(授業における)を考えると、まず間違いなく多くの学校が「文学国語」の科目を棄てるだろうというのが大方の意見らしい。

その判断を正しいとするか間違っているとするか、その辺りの鑑識眼を僕は持ち合わせていないので、そこの議論は避けるけれど。


創作家。と、自分でそう名乗るのはまったくおこがましいとは思いつつ、じゃあ自分を何かの枠組みに当てはめるとすればそれ以外は当てはまりにくいなあ……という思考に、小さじ一杯の"そうありたい"という想いを混ぜて、僕は創作家を名乗っている。

しかしまあ、読み返してみると毎日のように「役に立たない」文章をよくもここまで書き続けているものだと、我ながら感心してしまう。

いや。いや。

僕の文章は決して「創作」を代表するような大層なシロモノではないので、これをもって「創作は役に立たない」という命題における議論に参加するのは、ひのきの棒とおなべのふたで魔王に戦いを挑むというか、転生してもレベル1無能力の村人だったというか。(?)


noteにはたくさんの「役に立つ」文章が、"情報"があふれている。
それは、SNSでフォロワーを増やす方法といったネット活動へのノウハウだったり、株やFXなどお金を稼ぐ方法だったり、より上手く、面白く文章を書けるようになるテクニックだったり。

かたや創作は、そういう情報のように「読んで何らかのスキルがアップする」ような属性は持っていな……いや、ちょっと怖いから、情報と比べて薄いって言っておこう……。
まあ。とにかく。創作は。
恋愛ものを読んで素晴らしい恋ができたり、冒険活劇を読んで無人島でサバイバルが出来るようになったり、推理小説を読んで探偵や完全犯罪者になれたりはしないのだ。(最後のは、なれてしまったら困るけれど)

いや。いや。

何十年何百年、ありとあらゆる人がしてきた話を今更なんだという話だ。


唐突に。僕の友達との話をし始める。

その日は日差しの強い夏で…いや、吹雪の吹き荒れる冬で…いや、天気は良かったけれど寒い冬だったか……とにかく最近である。
と、なぜかこの一文だけ文体をガラッと変えつつ、僕と友達は札幌駅の地下で買ったクッキーを手に提げながら、お茶を飲むために僕の家へと向かっていた。

「お茶するためにクッキー持って歩いているなんて、童話みたいだ」
ふと、僕はそう呟いた。ほんの思い付きの言葉だった。友人は僕の呟きに
「バスケットにティーポットをいれて」
と返してきた。
いやいや、友達の家にお茶しに行くんだからティーポットはそいつの家にあるやつ使えばいいじゃん。なんてツッコミつつ、その話は"メルヘン童話あるある"の言い合いへと発展。
やれ「森を抜けたら開けた草原に出る」だの「そこで大きなサンドイッチを食べる」だの「うさぎやリスもお茶会に誘う」だの。

けらけら笑い合いながら、そんなあるあるをひとしきり出し切ったころ。ふと、気付いたことがあった。
「これ、原体験どれだ?」
お互いの共通認識としてメルヘンあるあるを出していながら、その元ネタというか、原風景のようなものが一切思い当たらない。いや、多分不思議の国のアリスとかなんだろうけど……でも、僕読んだことないし……うーん……となりながら、二人ともなんともふわふわした気持ちで家へと向かった。

後で思ったことだけれど、それらはもう、本で読んだ知識から僕の中の一部へと消化吸収されてしまったんだろう。タイトルや作者といった情報はその過程で抜け落ちてしまったのだ。
きっと、今まで読んだ物語や、観た映画、アニメ、絵も写真も……いろんな創作が僕を構成する一部になっているんだろう。僕の気付かないうちにそうなっている物だってあるだろう。

や、単純に忘れただけかもしれないな。


なんてまあ、僕も書いていながら何の話だか訳が分からなくなりながら、この文章はまったくもって「創作の重要性」を説くものではないということは、ここまで読んで下さった方なら理解してくれていると思う。

けれど。やっぱり、これも何十年何百年、ありとあらゆる人がしてきた話だけれど。

こういう、後になって「いや、結局何の話だったんだ」って思いながらふっと吹き出してしまうような経験って、きっと自分で思っているよりも大切なんだろうなと、やっぱり思うのだ。

「虎になる」で山月記の李徴がぱっと出てきたり、「つまりきみはそんなやつなんだな」と言われたら「いや、エーミールじゃねぇんだから」なんてツッコミを返したり、色んな例えを四方八方から出して元ネタが行方不明になってしまったり。

「役に立つ情報だけしかない世界なんて、寂しいよね」なんていう、お気持ちだけの言葉を言いたいわけではなくて。

そういう思い出を作る一つのピースとして、創作が、物語があるのならば、それは充分人の為になっている、役に立っているってことなのだろうな、と。


1,000文字くらいでまとめようと思っていたら長々と書いてしまった。

そもそもなぜ、こんな文章を書こうと思ったのか。

お礼です。

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1,000回のスキ、ありがとう。

僕の文章を、好きでいてくれてありがとう。

これからも、役に立たない文章を、誰かの一部になれたらいいなって思いながら書いていきます。


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n*****************mさんによる写真ACからの写真

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