ターゲットは誰だ!?
櫻井みけ子久美さんのこの記事を読んで思い出した。
一体誰をターゲットに書くのか?
実は迷ったことがある。
いや、過去形ではない。
今もまだ迷いの渦中にあるのだ。
noteを始めたのは自己紹介にも書いたように、亡き猫の思い出を綴るためである。
それが終わってみれば、やれ温泉の遠征の落語のと、その時々で書きたいことが出て来る。
ほとんど自分の思い出の記録だから、
「どなたがお読みになってもよろしくてよ。おほほほほ」
なんて鷹揚な気分だった。
偉そうとも言うが。
そして落語について書き込むにつれ、はたと立ち止まった。
これまでツイッター(X)では落語好きのフォロワーさんばかりだった。
落語村とも言うべき場所で発信していたのだ。
そこでなら唐突に何を言っても理解される。
「コロッケそば」
「天どん」
「ごはんつぶ」
と並べても、食事の話ではないとわかってもらえる。
けれど、noteでこの言葉を並べるなら、落語をご存知ない方々に解説が必要となるだろう。
「コロッケそば」
とは柳家喬太郎のマクラで……
いや〝マクラ〟とは夜寝る時に頭をのせる物でない。
落語に入る前の軽い漫談のことをマクラという。
これから始める落語の前振りにもなっている。
喬太郎師匠は「時そば」のマクラに「コロッケそば」という漫談を使うことが多い。
けれど時に期待を裏切って違う噺に入ることもあり……云々。
と、説明はとめどなく長くなる。
「天どん」とは三遊亭天どんのこと。
「ごはんつぶ」とはその弟子の三遊亭ごはんつぶのこと。
ええと……それ以上は各自ググってください。
この時点で読者は離れるな。
そんな面倒臭いことをしてまで読まなくていいや……と。
少なくとも私が読む側ならそう思う。
けれど私は、縁あって読んでくださった方々に落語を知ってもらいたい。
その楽しさをわかってもらいたいのだ!
それって、とんでもない高望み?
時に世の人々の落語に対する認識に絶望することがある。
世の大多数は「笑点」イコール「落語」だと思っているらしい。
コロナ禍前のことだった。
池袋演芸場前で人気興行に行列した時である。
たまたま私の後ろに居た人の知り合いが通りかかったらしい。
「何してるの?」
と訊かれて、
「落語を聞くのに並んでるんだ」
と答えていた。
すると相手は、
「ああ、笑点ね」
と、当然のように言ったのだ。
「いや、笑点じゃなく落語だよ」
「だから、笑点でしょう?」
という不毛な会話が繰り返されて。
結局その人は相手に「落語は笑点ではない」と理解させることを諦めた。
実にもう同病相憐れむという気分であった。
それほど世間は落語を知らない。
私がつい解説したくなるのも無理はなかろう。
あっと……念のために付け加えると。
「笑点」とは日本テレビ系列で日曜日の夕方に放送しているテレビ番組である。
なんてことは周知の事実?
ただ、あれは〝大喜利〟という余興である。
寄席ではごくまれにオマケでやることもあるけれど。
落語とはまるで異なるものである。
落語家がよく嘆いている。
一般人が主催する落語会に行くと、舞台に何枚もの座布団が横並びになっていたりする。
落語と大喜利は違うのに……と。
とまれ。
noteで落語について発信する場合、どこまで解説すべきだろう?
などと散々迷って、以前「芝浜」や「文七元結」のあらすじをつけたことがある。
これである。
有名な古典落語なのだから、わざわざあらすじをつける必要はない。
いや有名なのは落語村の住民にとってだけかも知れない。
というせめぎ合いの結果である。
その迷いが今も続いている。
これがよかったのか、余計なお世話だったのか。
冒頭で書いた〝迷いの渦中〟とはこれである。
日々のよしなしごとは、思いついたままに書いている。
これまでも、これからも。
わからない人にはわからなくてもいい。
わかる人だけに共感してもらえればいい。
「どなたがお読みになってもよろしくてよ。おほおほほ」
とういうスタンスに変わりはない。
もしかしたら、落語に関してもそうなのかな?
……うん。
そうかも知れないね。
世に落語の楽しさを知らしめたい!!
とか大望を抱かなくてもいいや。
落語についても勝手に語ろう。
もし少しでも落語に興味が生まれれば検索して欲しい。
落語会や寄席に行って欲しい。
映画や演劇に行くのと少しも違いがないのだから。
ということで。
ターゲットは君だ!!
なんてな。
どっとはらい。
※冒頭写真は立川志の輔2024年PARCO公演のプログラム等
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