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【猫や猫⑪】そして春 猫は心で丸くなる

通夜をしなかった。
気がついたのは大分後になってからである。
2022年12月19日の昼、猫めがみまかり、午後には市役所のペット火葬に遺体を引き渡していた。
(ちなみに費用は4,400円である)

普通ペットが亡くなったら一晩ぐらい共に過ごすのではないか?
そこはかとなく自分を責めてみたりした。
だがあの時、私の頭にあったのは「年末進行!」ただそれだけだった。
それはそれで少しおかしくなっていたのかも知れない。
猫の姿が消えると怒涛の勢いで後片付けを始めた。

翌日は燃えるゴミの日である。
毛布も布団もクッションも全てゴミ袋へ。
猫おもちゃもブラシも全て処分処分処分!
猫めが最期に排泄をしたトイレや猫砂さえ、翌日には燃えるゴミに出していた。
どこかでこれが残されるのを願いつつ。
〝これは燃えないゴミです〟
という注意書きと共に残して行ってくれるのでは?
と期待したが、清掃員さんはきれいさっぱり持ち去ってくれた。
何やら恨めしく思う。
ならば捨てるなという話なのだが。

キャットタワーも分解して燃えるゴミに出した。
猫ベッドの籐籠は毛や汚れを取り除き、私のバッグ入れに戻した。
新しい棚を買って組み立てて猫トイレのあった場所に据えた。
とりあえず猫のいた痕跡を消していく。

大名古屋らくご祭会場 名古屋市公会堂
※レトロな建物でした

そして12月23日には大名古屋らくご祭に出かけていた。
四十九日も過ぎぬのに祭である。

ここ数年恒例の遠征だったが今年はチケットを取らなかった。
猫めが生きるか死ぬかわからない状況に諦めたのだ。
だが直前にチケットを譲りたいという人が現れた。
即座に新幹線で名古屋に駆けつけ引き取った。
ビジネスホテルに一泊して二日間落語を楽しんで帰宅した。

これがきっかけとなった。
私は次から次へと落語会のチケットをとりホテルを予約した。
後顧の憂いがなくなったのだ。
行ってやるどこへでも。何なら初の海外旅行だって。ザマアミロ!
何だかもうヤケクソである。

大晦日は国技館で迎えた。
「さだまさしカウントダウンin国技館」である。
ゲストの柳家三三が披露する「芝浜」を聞きたかったのだ。
落語家の背中を見ながら「芝浜」を聞く珍しい体験。
揚句の果てにペンライトを振ってのカウントダウン。
これも初体験である。

【もふもふが足りない帰ってもいない】

これを書いている2023年3月現在、毎日のように落語会に通っている。
あの時ヤケクソで取りまくったチケットが今やラッシュ状態で、疲労を覚える今日この頃である。
これも一種のペットロスだろうか。

今にして思う。
【猫や猫①】で私は安易に「闘病」「介護」という言葉を使った。
けれど実は違うのだ。
猫めは「闘病」などしなかった。

日々変わって行く身体に合わせて生きていただけである。
顎が痛ければ、痛くない食べ方を工夫する。
もっと楽に食べられる物を探してガス台の上にも飛び乗る。
人間が与える薬で痛みが和らぐと知れば、シリンジでの投薬も我慢する。
あんなに嫌いな病院も何度も通ううちあまり怯えなくなった。
ここに来れば痛みがましになると学んだのか。

六月末の手術後、七月に下顎の骨が折れて十二月に亡くなるまで約五か月間。
上下の顎が少しずつずれて二本の牙をなぎ倒し、しまいには舌が二つ折りになっていた。
その苦痛はどれ程のものだったろう。
猫にしてみれば永遠に続く痛みだったろう。
けれどただ耐え、その時点の自分に出来ることをしていた。
やがて動けなくなれば、掛布団の間に挟まってひたすら眠った。

何度も書くが、排泄は最後の最期まで猫トイレで行った。
全て獣としての本能である。
出来ることをして出来ないことはしないで、ただ日常を続けた。
それだけのことである。
人間ごときが「闘病」などと讃えることではない。
ケダモノはもっとフレキシブルなのである。

私はといえば、獣医に駆け込んでは投薬し点滴をした。
ペットショップを巡っては猫めが食べられるフードを探し、ネット検索をしまくった。
毛布や雑巾が血と涎に汚れれば毎日洗濯しまくった。
早い話がただひたすらに、うろたえていたのである。
これを「介護」と言っていいのかわからない。

ケダモノと暮らした十六年間。
実はコロナ禍になって間もなく私は会社を辞めた。
別にコロナのせいではないが、ずっと辞めたい仕事だったからいいきっかけではあった。
その会社に勤めていたのも十六年間だった。
偶然だろうか?

私が生まれてからの十六年間は、家庭内でよってたかって駄目人間と思い込まされた年数だった。
やがて実家を出て成人しても、その思い込みは消えず信念と化した。
自分が何をどう感じればいいのかわからない。
一挙手一投足、何が正しいのか見当もつかない。

専門家の助けを経て多少はましになったはずなのに。
猫めを拾って私は元に戻ったかのようだった。

何をどうすればいいのかわからず、ただひたすら怯えていた。
ペット禁止アパートだからだけではない。
私ごときに生き物を飼育する資格があるとは思えなかったのだ。
里親を探したのはそのせいもある。

ペット可アパートに引っ越してからも、その思いは変わらなかった。
そしてついに看取って、少しばかり自分を許す気になっている。

ああ……でも私は通夜をしなかった。
ああああ……駄目な私……。

いや、いいのだ!
何せ奴は単なるケダモノなのだ。
私もただのケダモノで、生きる資格も育てる資格もクソもない。
ただフレキシブルに生き続ければいいだけなのだ。

ぐーちゃん。
お前のお陰で楽になったよ。
と、ちょっといい話風に言ってみる。

そうか!
※やっと覚えた写真挿入方法

驚くべきことに、【猫や猫】最終話になってやっとnoteでの写真挿入方法を知る私である。
とりあえず猫めの写真を並べて終わろう。

実はイカ耳
※写真は嫌いだった。撮られていると気づくとこの顔である
飯はまだか⁉ 
2022年12月19日
帰ってきた藤の籠

今日は2023年3月19日。
あれから三か月たちました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

〈追記〉
合間に挟んだ五七五は俳句ではなく現代川柳です。
俳句から季語を抜いたら現代川柳になる、と私は勝手に思っています。
正確にお知りになりたい方は、ググってみてください。












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