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子育てに対する親の姿勢 - 【識字率世界一:その4】


胎教から始まる父親に対しての教育

江戸時代には既に『胎教』の概念がありました。胎教は元々古代中国の書物の中で説かれたもので、1640年代にはその考えが日本に入ってきていました。

当時の胎教は妊娠中に出来るだけ善良なものに触れることが重要だと説かれていて、妊婦の心身の状態が胎児に重大な影響を与えると考えられていました。

江戸時代の子育ての特徴として、男性を主体に語るという点が挙げられます。1786年に書かれた『父兄論』では「胎教の道を女子に教えるのは父兄の役目である」と述べられており、父親が妊娠中の子育てに細心の注意を払うべきだとされていました。

また、1829年に書かれた『妊娠心得記』では、夫が童子に有益な『往来物』を読むべきだと諭しています。往来者についてはこちらの記事をご参照ください。

その他にも様々な書物に「子どもの善悪邪正は、1割は生まれつきもあるが、9割は父兄の教えにある」だとか「世の父親は性交して子どもを生む業は知っていても、子どもを教える道を知らない」だとか父親への注意喚起と見て取れる記述が多く、出産前から父親としての心構えを持たせるプロセスが確立されていたように思えます。


親に求められた責任

また、子育てにおいて、子どもが素行悪く育ったり、不幸になったりする原因は、親に帰着すると説いた子育て書が非常に多いという点も興味深いです。

「人の生まれつきに馬鹿はなきものなり」

「子孫に馬鹿者ができるのは親の意思による。親が気侭(きまま)なときは、その子は馬鹿者か悪人になるものだ。この味わいをよく心得て、親みずからが気侭心の内容に常に注意せよ」

「不幸な子を持つのは子が悪いのではなく、皆、親が不幸にさせるのである。実は親が気侭で道楽者で嫉妬深く、また、浮気するようでは決して孝子を持つことはできない」

これらの記述からも『子育て』自体が社会的に大きな責任とプライオリティーを持っており、その責任は親にあることを強調していることが見て取れると思います。


豊富な子育てのケーススタディ

こうした社会的にプライオリティーの高い『子育て』に関して、多くの体系立ったケーススタディが書物として存在していた様です。

例えば、1836年に大原幽学という農村指導者によって書かれた書物では、もっとも指導しがたい愚かな人間、現代でいうグレた子どもの指導法を説いています。

まず「礼」を口にしてはならない。
たとえば師匠に対して弟子の無礼があった場合でも、「失礼だ。お前は、師弟の礼儀を知らない」などと諌めてはならない。
心が邪道に染まって孝を忘れ、礼を失った者は、もとより言葉の戒めが通じる相手ではないから、ますます感情的になり、暴力に訴えかねない。
だから、一つ教える前に一つ良い所を誉めてやり、相手が話を聞こうとする気持ちにさせてから教えなくてはならない。そして、これを根気よく繰り返せば、少しずつ善に移り、師弟の心が通うようになる。
そうなったら初めて父母の恩の有難いことを問いかけながら話し、それを本人が腹の底から理解し、ついには落涙するまでに至らせよ。

また、こうした指導を行うためには、指導者自身の姿勢を正すことが重要だと言っており、

指導者自身が親の恩を感じながら、その恩の深いことをじっくりと説くべきで、このような心の発露が下愚の心を開く。したがって指導者は心にもないことを言ったり、口先だけで説くようなことがあってはならない。

と説かれていました。

一方で、非常に愚かなものに礼を教えるには、はじめから3年も10年もかかるという気構えで取り組む必要があるとしており、厳しく戒めても弟子がかえって感謝するようになって、はじめて「人に物を教える道を極めた師」ということができると説いていました。


子を区別しない教育

大原幽学が提唱したユニークな子育て法が、『換え子教育』でした。自分の子どもに養育料をつけて、一定期間、他の家に預けて教育してもらうというもので、一軒に1、2年ずつ預けるのを数年間続けるものだったそうです。

幽学は村の中で実践することで理想的な子育てと村づくりを進めたのでした。

幽学はその説話集の中で、「どんな子どもでも我が子は可愛いもので、子を思う気持ちに自他の区別はないはずである。だから自分の子、他人の子という区別をして『この子は鼻が垂れている。あの子はシラミがついている』といって嫌ってはならい」と換え子教育の基本姿勢を説いていました。

また、『子供仕込み心得の掟』として以下の20箇条を掲げて、その実践を促していました。以下はその一部を抜粋しています。

一、預かった子を家中の者が可愛いと思うようになり、人目を忍んで落涙する程の愛情をかけよ。
一、男は15歳、女は13歳までに何事も一人前にできるようにならないと生涯の恥なので、十分に心がけさせよ。ただし、これは口で教えると口で覚えるので、とにかく行いを示して教えよ。
一、食事について意地汚くならないように心がけよ。
一、子どもが人の悪口などを話すときは、家内中挨拶もせず知らぬふりをするが良い。
一、人に呼ばれたときは、必ず返事をしっかりとさせるべきである。

このような実践目標を掲げ、最後に「ただ情の深いのが極上である」と結びました。

あくまでも預かった子どもに自他の区別のない愛情を注ぐことを大切にしていたことが伺えます。


まとめ

今回は江戸における子どもを育てる側、つまり『親』に対する当時の世間の見方を中心に纏めました。

まず子育てについては父親の責任が重いことがその当時の社会的なスタンダードだったと考えて問題なさそうです。

逆に、多くの書物に『父親の責任』である点が強調されていた事実から見ると、父親というものはそれだけ注意喚起をしておかないと育児や子どもの教育に関心を示さないもの、というのがファクトなのかもしれません。

現代ではイクメンや男性の育児休暇取得的な話が流行りですが、元々関心を示さないものをファクトとして捉えると、この様な制度はそもそも前提が間違っていて、『育児休暇を取得しない男性は人として終わってる』くらいの打ち出し方をしないと社会は変化しなさそうです。

また、様々なケーススタディが用意されている点は非常に興味深かったです。グレた子どもに対処する方法が体系的に纏まっているというのはやはり江戸時代が『アウトプット』と『共有』に優れた時代だったと捉えて間違いなさそうです。

こうした文化を意図的に作り出す、ということが自分自身のテーマの一つの様な気がしています。

最後に、自分の子どもと他人の子どもを区別しないという点も非常に面白く、ここでも『親は自分の子どもをどうしても可愛く思ってしまう』というファクトに基づいた施策を取られていた点と、親ではなく『子どものために最も良い環境は?』という目的が徹底されていてブレてない点が秀逸だと感じました。

これもまた自分の信頼のおけるコミュニティーの中で実施すると何か違った気づきや価値観が生まれそうな気がします。

本日はこの辺で。

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