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江戸の子育て論、“徳育・しつけ” - 【識字率世界一:その6】


早婚が招く未熟な親の増加

江戸時代前期に書かれた『女重宝記』では、当時男子は16、7歳、女子は13、4歳で結婚するケースが多く、上流階級ほど早婚の傾向が顕著だったと書かれています。

これは子どもが密通をしないうちに、また気鬱や肺結核などの病気を患わないうちにと親たちが結婚を急かせたからだと言われています。

ただし、本書には

早婚の結果、若すぎる父は子どもに教える術を知らず、若すぎる母は子育ての仕方が分からない。
さらに若夫婦の生殖能力が未熟である内に妊娠・出産するため子どもは病気がちで短命である。
その結果、跡取りが絶え、先祖からの家系が断絶したらこの上ない不幸だ。

と著されており、早婚による未熟な親の増加に警鐘を鳴らしています。

『未熟な親』というトピックで言えば、現代と変わらず江戸時代も似た問題意識が持たれていたようです。

未熟な親に対する危惧は、江戸後期の子育て論にもみられます。江戸後期に書かれた『待問雑記』では、

今の世の中は子を持つことと嫁を迎えることを急ぐが、あまりに早く迎えると父親の身持ちも修まらないうちに産んだ子どもが成長して、父の行いが正しくないことを見聞きするため、自然と親を軽視して、その子もまた身持ちを崩すものだ。

と述べられており、男子は25、6歳、女子は18、9歳がしっかりと家庭を治めうる結婚適齢期とされ、30代にできた子は親子の道に良くかなう、と親の身を修めてから子どもを作ることを奨励する風潮があったようです。


『甘やかし』も『スパルタ』も有害

江戸中期に著された『父兄訓』では、親の未熟さを徹底して批判する論調を展開しています。

特に父親の姿勢として、『道を知らざる父』という2つの例が挙げられています。

一つは、その子の善悪・邪正を少しも気にせず、ただ溺愛する父で、子どもをわがまま一杯に育て、ついには悪に染まって手に負えなくなり、子どもを捨ててしまう父として例示されています。

もう一つは、折檻して叱り叩く事ばかりを子育ての道と心得て、物事のたびに叱り罵って打ち叩く父で、父に叱られて子どもがべそを書いている間はいいが、子どもが10歳以上になって自我意識が芽生えると、叱れば恨み、叩けば怒って、父子の間に確執が生じ、不孝の所業も起こって、ついには子どもを捨ててしまう父として例示されています。

いずれにせよ、このように子どもを捨てるのは、父が子育ての道を知らないからで、これほど悲しく、これほど恥ずべきこともない、と著されています。

道を踏まえない『甘やかし教育』も『スパルタ教育』も、結果不幸な結果を招くと言うのが江戸の子育て論の土台にあったようです。


叱り方、諭し方のメソッド

甘やかしもスパルタもよくないとされていた江戸の教育では、叱り方、諭し方に対する方法論の記述があり、その要諦は『冷静かつ厳格に道理を諭す』というものでした。

『世わたり草』という書は、若くして妻に先立たれた作者が、家業のかたわら二人の子どもの育児をしながら著した書で、そんな子育て経験に裏付けられた子育て論が展開されています。その中で、

親の教育がおろそかだと子孫繁栄が心許ないが、かといって、親の教育が厳しすぎると子どもの心は背くため、ただ静かに道理を教えるのが良い。

と述べられています。

そして

親が短気になって叱り罵ると、子どもはかえって心がねじけ、素直な心も歪む。
人生経験の豊富な親の目に、子どものする事なす事が不満足に映るのは当然だ。

と親の反省を求める立ち位置をとっていました。

また、厳格な教育よりも温和な教育の方がまさるという主張は、江戸後期の書物の中にもみられます。

「幼稚の者を育てるには厳しくするのが良い」と主張する人もいる。これも一理あるもっともなことだが、やはり温和な教育には及ばないと思う。
というのは、子どもは知恵がないので、親があまりに厳しいと、恐れて親しむことなく、良し悪しともに隠すようになり、ただこわがるばかりで心服しないからである。
何事もとにかく柔らかに言って聞かせ、十分理解し、心服するように、十分温和に育て上げるのが良いであろう。

また、その著者は、

子どもの善行をよく誉めれば幼心にも嬉しく、「また誉められたい」と思って自然と善事を好むようになるが、逆に悪事に対して折檻ばかりしていると、子どもは決して親に心服せず、ただ折檻を恐れて悪事を隠すようになり、この隠す習慣が大悪に繋がる。

と述べていました。


厳格な教育と体罰は別物

蘭医の名門桂川家の生まれの今泉みねは『名ごりの夢』の中で、体罰がなくても厳格だった武家の教育について述べています。

むかしの婦人は普段ごくやさしくて、事があるとまるで人が違ったようになりました。誰それの娘、誰それの家に嫁して妻となる、こう言うことを重んじているからでございましょう。
そして武士という考えが強くて、小言をいうときにもすぐおまえは誰それの家の娘ではないかと言います。
めったにしおきということはしません。お母さんの一言が聞けることは非常なもので、いけませんというとブルブルする、この味わいは何ともいえません。子どもが大人の品物を勝手にいじるとか、外に移すとか言うことはやかましいのでございます。

江戸時代の子育て論は、基本的に体罰否定論に立っていますが、江戸後期に書かれた『勧農教訓録』にも

骨が固まらないうちに、決して子どもを打擲してはならない。
それは親みずからが子どもの持病の種を与えるようなものであるから、必ず慎まなくてはならない。

と戒めています。


まとめ

今回は江戸時代のしつけ、徳育といった観点から話を纏めてみました。

これまで纏めてきた教育論と変わらず、厳格な親の姿勢を求める点は相変わらずで、今回は『未熟な親』という概念が登場しました。

現代に生きる私の個人的な感想では、何歳になっても親になる用意なんて出来ない、的なスタンスだったのですが、江戸時代には『身を修める』という概念があったため、人々の意識の中で明確に子どもの時代と大人の時代の線引きがなされていたのかなと感じました。

大人は当然身を修めていて、身を修めるというのは具体的に〇〇のような行動を取れる人、善悪の判断ができる人、的な評価のフレームワークがあったのかと。その軸があるが故に人は迷うことなく、子どもに善悪・邪正を諭す事が出来たのかなと、感じました。

体罰ではなく、道理を冷静に諭すというのは、確かにその子どもが行った事が何故正しいのか、間違っているのかその根本理由を理解していないと無理な話で、非常に高いレベルのアウトプットを求められていることと同義のような気がします。

親自身が常に考え、善悪の判断を物事の道理から理解しようと日々努めていないと成せない技なのかなと思いました。

情報へのタッチポイントが増え、価値観が多様化している現代で画一的なフレームワークを確立するのは並大抵の事ではないと思いますが、どの時代にも普遍的な教育原理はあるのだろうなとも思いますので、引き続きその辺りについて深掘りできればなと思います。

今日はこの辺で。


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