不登校と他人

俺は小学生くらいの時不登校だったんだ。

別に虐められてたから不登校になったって訳でもないんだけど、朝起こしてくれる親も早く仕事に出ちまうから甘えて寝る みたいな生活が続いて、学校に行くのも今更後ろめたい みたいな状態になってたんだな。

この時にネックだったのが、学校に行く面倒くささよりも、周りの人間からの 「今までなんで学校来なかったの?」みたいな意識と質問だったんだな。

それが嫌で学校に行ってなかったんだけど、親父が「誰も他人のことなんて気にしちゃいない みんな自分の事が1番大事」と俺に言ったから、小学生の俺はそんなもんかーと思いちょっとずつ学校に通い出すことが出来たんだよな。

まあ実際はそんなことはなく俺の事はちゃんとキワモノとして扱っていたんだが。

だけど俺に対して命や進退を賭して加害してくる連中はどこにもいなく、逆に心配してくれる人も学校にはいなかった訳だ。 

だから正確には、他人が自分の事をどう思っていようが、自分の行動を妨げる程気を揉まなくて良い というのが正解だと思う。

そっからは休んだり行ったりを繰り返して、最終的には不登校は切り上げて小学校を卒業できたんだ。

俺が何を言いたいかといえば、要は赤の他人に気を取られて自らの選択をねじ曲げるような事はしなくて良いということだ。

後は、小学生の頃たまたま学校に行った日が校外学習だったんだ。

俺は別にその日を狙って行った訳じゃないから、授業受けなくてラッキー だなんて思っていた訳だが、他の生徒に「お前校外学習来るなら普段の授業もこいよ」なんて言われた訳だ。

まあそりゃそうなんだけど。

だけど俺が校外学習に来ようが来まいがそいつには何の不都合も利益もないんだよな。

俺が来て欲しくないって点の不都合はあるかも知れんけど。

そいつは恐らく、普段の授業は来ずに楽しい日だけ来るのはずるい って思っているんだろうな。

こういう感じで、他人が自分には何の不都合も与えない場面であるにも関わらず、利益を被っているのが許せないって人間は大人になってもいるんだよな。

自衛隊員が災害救助で赤飯を食っている!こんな場で赤飯とはどういう了見だ!みたいな奴とかね。

自衛隊の方が赤飯食おうが何食おうが、お腹いっぱいで目の前でゲロ吐かれるとかでもない限り、そいつには何の不都合が無いにも関わらず、人の利益が許せないんだろうなと予想出来るよな。

隣の人間がルール違反をしているのが許せず、どうして自分は守っているのにあいつだけ!みたいになっちゃうってもあるよな。

ここで自分が不利益を被っているなら許せないのはまあ分かるけど、大抵この場合ってルール違反をしているのを見た怒りこそが被っている不利益になっていがちなんだよな。

もしこんな感じの怒りを覚えてしまったら、まあ俺にはデメリットないし と気軽に流したいよな。

周りの目が気になって引きこもりになった俺も、校外学習にしか来ない俺を咎めた同級生も、どちらも他人が気になりすぎているんだよな。

他人が気になりすぎる人生は確実に生きづらいから、他人を意識するんじゃなくて、自分と大切な人の利益と不利益がどうなるかを中心に生きるってのもアリかもしれないな。

他人が自分の事をどう思っていようが、自分の行動を妨げる程気を揉まなくて良い 
っていうのは明日から使える考え方だと思うから、参考にしてみてな。

だいたいそんな感じ。

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