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感動ポルノと自己プロデュース

佐村河内守氏騒動について、今でも「人は音楽に何を求めていて、何を消費しているか」を考える時に思い出します。

氏は感動ポルノを利用して人を騙した点と調子に乗って権威を悪用した点は罪であり悪ですが、プロデューサーとしてのスキルは高かった、と、考えています。

一方で、「障がい者だから」とい点で音楽を評価していた人々も、音楽を評価する者としては失格だし、エンタメとして楽しんでいた人も悪趣味だと私は思います。
そもそもマイノリティの作品だからマジョリティより評価する、というのがおかしな話なのです。

でも彼がたびたびメディアに取り上げられ、作品を評価されていたことは事実で、この件は、「人々は音楽作品の何を評価しているか」について、よくわかる事例となりました。

そういう意味では、誰とは言いませんが、「世界を回ってきた」というミュージシャンとかも、自己プロデュースが上手だな、と思います。
「音楽で世界の人々と繋がる・・・」みたいなのも感動ポルノだと思います。
正直、私とってその人の曲は、何も心に残らないけれど、その人がドームツアーをできるほど人気があったのは確かなのです。

また、MISIAさんが、いつかNHKで「音楽のあるところに戦争はない」みたいなことを言っていたことを覚えているのですが、それは事実と反します。
バッハはドイツが国家として強固とすることを目的に、民族主義を鼓舞するために利用されましたしは、ナチスもワーグナーを同じように利用しました。
そもそも、軍隊に音楽隊は大抵あるじゃないですか。
音楽と軍事は深く結びついているんですよ。
つまり、「音楽と平和・・・」というのもプロパガンダであり、自己プロデュースのための感動ポルノなのですよ。

私は自己プロデュースが苦手で、かっこいいこととか言いたくないのですが、それで損しているとは思います。
そういうのをちゃんとやれば、自分の作品をもっと聞いてもらえたかもな、とも思うのです。
でも感動ポルノは嫌いです。やりたくありません。
そういうことをする人は品性に欠けると感じるからです。
でもニーズがあるのは間違いありません。
だからそういう人が絶えることはないでしょう。


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