「正しさ」というのは抽象的で信仰的なものなんですね。神への信仰でなくても何かしらへの畏怖が「正しい」と思うことを生むのではないかと。自分の良心や自尊心、モラルというものへの畏怖によって「正しさ」が生まれ、常識や普通と呼ばれるのかな。難しいな。

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