推しがいない男

この頃、よく聞く「推し」という言葉。「推しができた」だ「推しが尊い」だいたるところでこのワードを聞く機会が増えた。推し、もしくは推すっていう言葉はちょっと前まではもっと「オススメ」みたいなニュアンスだったのにいつのまにか「好き」「応援している人」みたいなニュアンスに変わってた。もうみんな忘れてたんじゃない?俺も危うく前のニュアンスを忘れるところだった。こういう風に言葉って変わるんだなって実感したわ。

ところで、この「推し」という存在、俺には全くと言っていいほどいない。いや、いてたまるかこんな茶番。付き合ってられるか。
いろんなメディアや実際生活していて若いやつらがこぞって「推し」がどうたらくだらねぇ愚鈍なことぬかしやがる。
は?推し?いねーわそんなもん。
つらつらつらつらとよー、うるせーんだよ!推しだぁ???おいおい、ふざけんな。俺にそんなつまんねーこと言わすな。なーにが推し活だよ。テメーらの活動なんて排泄と愛想笑いだけで十分だろーが。ニコニコしながらうんちブリブリしてろよカスナメクジどもが。
だいたいな、俺みたいに自分の人生を一生懸命生きてるやつは他の誰かを応援する必要なんてねーんだわ。お前らはもっと自分の人生に向き合いやがれ。40,50の歳で言うならまだわかるが、10代20代でこんなこと言ってるやつ、お前らは人を応援する立場じゃねーだろ。なーにを偉そうに自分のターンは終わりですの顔してんだよ。「推しのために生きてる」「推しが生きがい」バカーーー!!!!ナメクジ!!!!ナメクジすぎる!!!人応援する前にオメぇが頑張れや!!!!!タンツボ!!!!!!
テメーらに人を応援する余裕なんてないはずだろ!!!お前らが主役のターンはどこにいった!!!!人に元気を与えてもらうんじゃない、お前が周りに元気を与えるような存在になれよ!!!!ただでさえウンコくせぇのによ、テメェらは自分のケツも自分で拭かんのかい。
いいか、さっきも言ったが40,50、まぁそれ以上のやつが言うのはまだいいんだ。彼らは自分が主役のターンは終わってきている。年齢は関係ないなんて言うが、俺は年齢で出来る幅というのは明らかに狭くなっていると思う。だが若いやつらはチガウ。お前らは今主役だろ。今が人生の最盛期だろ。人生は一回きりだぞ?お前らはその大事な一回を人を応援して終わりでいいのか???人を応援するために生まれてきたのか???自分で埋められない心のスキマを他人に埋めてもらうとするな!!!!立ち上がれよ!!!!自分の愛は自分で作らんかい!!!!

こういうことを平気で言う若いやつをみると、俺は虫唾が走る。こんなの俺から見れば自分の性器を晒してるようなもんだぜ。全員丸裸。まぁそれはそれでいいけども、裸ならそれはいいけど。でも残念ながら俺には性器を晒す趣味はない。なに?お前だって恥ずかしいって?俺は性器を見せてやってんだよ。一緒にするなトンビ。

いやまぁいいんだけどな、別に。人の自由だしなそこは。
いいけど腹が立つ。弱い人間に俺は腹が立つ。強い人間は推しなんていない。せめて、推されようとしてくれ。君らにはそれができる才能がある。
俺だって好きな人がいないわけではないし、憧れたことがないことはない。それは人間には当然なことだと思う。だが、そこに自分を見出したら終わりだ。憧れたなら超えるつもりでいろ。好きでいることに甘んじるな。他人以上に自分を好きになれ。自分と向き合え。周りに依存するな。

1人で立ち上がれバカ者。そうすれば本当の自分になれるさ。


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