真ん中になること。緊張。

こんなに緊張しなくてもいいじゃないか。
たった一瞬、その時間さえ終われば良いのだから。

私は緊張が体調に出てしまう。それは年々出やすくなって、前日から心臓の辺りだけが温かく、それ以外の部分が冷たいような感覚に陥ってしまい、その度に、こんなことになるのなら何もしたくないなぁと思ってしまう。

そもそも、私がなぜ緊張してしまうのかという根本の理由は明確で、「完璧」を目指してしまうからだろうと思っている。何もしたくないなと本気で思っていても、正義みたいな、ど直球の性格が道をまっすぐ進むように歩ませようとする。本当は歩きたいのに走ったり、本当はダラダラしたいのにキビキビ動いたり。周りからは見えない、嘘のファイトで背中を押してキャパオーバーを起こしながら、最後までやり通してしまう。

でも、そんな自分に嘘のファイトをつき続けた結果が案外良かったりする。
けれど、その後必ず思ってしまうのは、
私は無理しないと結果を出せないのかな?
毎回怯えるように完璧を目指していくのかな?
やっぱり緊張し続けるのかな?
という自らに対する疑問ばかりだ。

自分を頑張ろうと奮い立たせているのではなく、全力疾走を止めた時の自分の力の小ささに恐れているから、それから逃げようと必死になっている。私の為に必死になっているというよりも、いつの間にか誰かにどう見られるかを気にするようになっている。

そんなことをしていたら、私は「頑張る」が分からなくなってしまった。
「頑張った」と言えるラインが消えて、どこで自分を自分で肯定するのかを見つけられなくなってしまった。

結果が良いから「頑張った」と言えるのか、
結果がまだ出ていない途中でさえも「頑張ってる」と言えるのか。

私には分からないので、その基準は他人の言葉に移動して、
「頑張ったね」と言われてようやく自分の行動が「頑張った」ものだと認識する。

他人の評価はありがたい。けれど、それだとこれから先も私は自分自身を自ら肯定できないままで、とてつもない緊張に襲われ続けるのかもしれない。

こんな文章を書いたあとで、こんなことを書くのはなんだけれど、
本当はなんだっていいのである。どうあっても、これは悪い癖で、不安定な向上思考で、私の自分勝手さだ。誰もこうしようなんて言ってないのに、自分からこうなってしまったんだから、或る意味自由だ。と、開き直って進むしかない。

緊張は誰にでも起こる。
不安でいっぱいで、
そこに居るのはいつもの自分でないような気がしてくる。
誰のためなんだろうか、とその時思うなら、
もう、自分のためでいいんじゃない?と私は言ってあげたい。
頑張ってるかを気にせずに、これが終わったらアイス食べようかなって考えて本当にアイスを買いに行けばいい。

きっと、それだけで、いいのである。
本当に、それだけで。









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