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雨にまぎれたい

屋根に当たる、雨音を聴きながら書いてる。

悲しいことがあった。
その知らせが飛び込んできたのも、雨の日だった。

おじいちゃんが亡くなった。
今でもまだ、信じられない。

奇しくも、おばあちゃんの誕生日の日だった。
知らせが来たのも、亡くなったのも。

おばあちゃんの意向で、お葬式には参列しなかった。行ったのは、息子ではある父親だけ。
お葬式に行ってないから、実感が無い。

生きていると錯覚する。
まだ、呼べばワンテンポ遅れて反応して、目線だけくれる気がする。
なんて思う。

今日は出かけようと思っていた。
昨日、天気予報を見たから雨だと言うことは分かっていたけれど。
やってみたかったサウナにでも、行こうかなとか、考えていた。

でも、私は今日、家にいる。
外には一歩も出ていない。

疲れたのだ。

知らせがあった翌日に京都の鴨川に行って、ぐるぐると反芻する宛のない気持ちをノートに書き殴って気づいたのは、思ったより弱っているということ。

それに気づいた翌日から、予定を埋めまくった。いつもは予定を入れすぎるとキャパオーバーするのでやらないのに。楽しい予定ややらなきゃ行けないことで余白を潰した。
昨日も友達と花見をした。空き時間があれば、無駄に瞑想したり、掃除したりで無になる時間をつくったり。

回復に向かうには、楽しいことをするのが1番だと思っていた。悲しいのはやるせないのは、私じゃなくて、妻であるおばあちゃんであり、息子である叔父さんと私のお父さんだと。

回復どころか、疲れた。
家という箱の中でやることもない自分がそれを自覚した時、心底嫌になった。

確かに、楽しいものは楽しい。でも、心の中の鉛は消えない。喉に小骨が詰まって、上手く歯車が回らない。

窓を開けた。
途端に雨音と雨の匂いが強くなる。
少し、気がまぎれる。

このままだと、体のむくみで雨に溶けそう。雨粒と同化するー。
雨の日の度に、思っていることをまた思う。

このnoteを書き終えれば、少し客観視できて楽になるかななんて、藁にもすがる思いで書き始めた。
本当は、こんな愚痴のような何の面白みもない、読んでいてマイナスな気持ちなんて書きたくない。

ここまで書いたけど、何も変わらん。
多分ずっとのたうち回るんだろう。
文字数と悩みだけが増えていく。

ただ、ひとことだけ。
この記事にも書いたけど、

やっぱり、雨が好きだ。

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