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死んだ犬と浜栲

 先日、まっしろに老けて死んだ愛犬が、まだ油でも塗ったみたいにピカピカの毛並みだった仔犬時代から、溌剌とした成犬時代を経て、足腰が弱って遠くまで歩きたがらなくなるまで一緒に通った、少し離れたところにある公園まで、久しぶりに足を伸ばしてみた。ちょっとした砂浜になっているあたりも、私がまだティーンエイジャーだったころには、よく波打ちぎわまで近寄ってみたものだったけれど、すっかりご無沙汰になっていたから、いい気分だったし、空は高かったし、お日さまは温かったし、ちょうど草臥れかけのスニーカーを履いていたし、泡のしたで水底の砂利が躍っているのが見えるところまで行って、そのまま歩いてみることにした。昔、犬と一緒に歩いたのと、同じコースで。

 私のシツケが行き届かなかったせいで、犬は拾い食いがやめられないままだった。小石のあいだから、草の根っこだとか、魚の骨だとか、朽ち木の切れ端だとか、なにかの種子みたいなものだとかを見つけ出しては、それを齧った「ぽり」っていう音を聞きつけた私との喧嘩になって、私が勝ってそういうものを吐かせることができたり、犬が勝って私の手に歯形がついたりした。なんでも噛み砕く、顎の強い犬だった。その気になれば私の指くらい血だらけにできたのに、ろくな飼い主じゃなかった私の手がまだ無事なのは、きっと犬が犬なりに加減をしてくれていたからだと思う。
 私は犬のことを私の犬だと思っていたけれど、犬は私のことを犬の人間だと認識して、ちゃんとケアしてやらなきゃいけないって、責任感を持っているような素振りをさえ見せた。聡明な茶色の瞳に、頼りない二本足の小娘がちゃんとついて来られているか、疲れてしまっていないか、瑞々しい気遣いを浮かべて見上げてきたときの慈愛の表情を忘れない。私にはもったいないような、賢くて優しい犬だった。お互いに若くて血気盛んだったころは、よく喧嘩もしたけれど、私がおとなになって、犬が老いてしまうと、思いやりだけが残された。犬が歩く速さが、私の歩く速さに追いつけなくなっていった日々の心細さといったらなかった。次第に柔らかい砂を踏ませることはなくなって、伸びた爪がアスファルトのうえで「ちゃりちゃり」と擦れる音が、犬の足音として耳に慣れていった。
 若いころ、散歩のとき、どんな足音を聞いていたのか、私はもう思い出せない。犬の足音も、私の足音も、もっとずっと勢いがあったはずだけど、耳に届いちゃいなかった。なにをしでかすか分からない犬と、頼りがいのない人間のことを、お互いに見張りあわなきゃならなかったのもあるけど、気が向けば走ったり、気になることがあればしゃがんだり、私たちの散歩はとても忙しかったから、最後の日々の散歩みたいに、しみじみと足音に聞き入るような余裕なんてなかった。
 久しぶりに歩く波打ちぎわで、ひとり分の足が荒い砂を踏みつぶしていく音を聞くのは、想像していたよりもセンチメンタルな行為にはならなかった。犬がしょっちゅう首を突っ込んでいた草むらだとか、犬がよくニオイを嗅いでいた岩だとかを眺めたら、もっとしみじみとした気持ちになるかと思っていたけれど、草むらのなかにはちょこんと咲いた待宵草のイエローが冴えていたし、岩の横っちょにはシーグラスが転がっていた。犬を見張るのでせいいっぱいだったときには気が付かなかったものがたくさん見つかって、愉快なくらいだった。

 それでも、ひとつ胸に迫ったのはハマゴウの茂みだった。
 砂地に生える低木で、蛇が這うみたいにして地面に幹を這わせて広がって、枝と葉は空に向かって伸ばす。いくつかパープルの花が咲き残っていたから、興味を惹かれて近寄ってみて、その場所から周りを見回してみて、その茂みが犬のお気に入りだったヒョロヒョロの植物が成長した姿だって気づいた。かつては管理をしている団体がロープで囲って、立て看板をして守ってあげても、意地の悪いやつに踏みつけにされていたものだったのに、今ではすっかり大きな茂みになっていて、とても足を突っ込もうなんて気にはならないほどの迫力を会得していた。
 うちの犬、埋もれちゃうな。
 死んだ犬の背丈でハマゴウの茂みを測って、身も世もない気持ちになった。まだペットロスは続いているのかも知れないなって思うと、犬に心配をかけたくない気持ちになったけど、もう犬は死んでるので、誰も心配なんてしてくれない。
 種子をいっぱいにつけていたから、たぶんハマゴウはもう守ってくれる人がいなくても大丈夫。誰にも踏まれないだろうし、仲間を増やして、もっと大きく広がって、きっと来年も上品な花を咲かせる。私はその花を見に来られるかどうか、ちょっと怯えてる。記憶なんて頼りない。来年の今頃にはこんな植物が群生していたことなんてすっかり忘れてしまっている自分のことを、容易に想像できる。同じように、犬の足音も、私の犬がどんなに私を愛してくれたのかも、私たちがどんな風に喧嘩したのかも、私がどんなに犬を愛していたのかも忘れて、ただぼんやり寂しい気持ちだけ手元に残して、いつかは私もいなくなってしまってしまうんだなって思うと、咲き残っていた花の色までもが、なんだかものを思わせる。

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