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摂食障害を治すことも、今のままでいるのも、どちらも苦しい。では、希望の光はどこ?

食べることから逃れられない苦しみ

摂食障害は「依存症」と
例えられることが多いけど、
他の依存症との違いって

「食べることは、生きる上でやめられない」

ってこと。



薬物や、買い物や、お酒は
完全にやめても生きていける。


でも、食べ物だけは、やめられない。


だから、完全に断つこともできない。
でも、ちょうど良くも食べられない。


いざ治すために病院に行っても、具体的に何したらいいかもわからず。

だから、「克服するなんて無理!」と、摂食障害に悩んでいた当時の私はどうしたらいいか途方に暮れていたんですよね。

治す苦しみ

そして、15年経った今カウンセラーをしていて、
克服するためには

「自信がない自分」
「対人関係が苦手な自分」
「トラウマを抱えたまま生きる自分」
「家族に対して怒りを抱えたままの自分」
「理想的な生き方ができない自分」

に向き合って、

課題を解決したり、
受け入れ難い自分を受け入れていくことが大切だと知りました。

でも、それって苦しいんですよね。

自分の心の傷に向き合うって、できたら避けたいことでもあります。
それに、向き合ったところで、自分を受け入れていくためには、年単位で時間がかかったりします。

だから治すことを諦める

だから、摂食障害を治すことを諦める人も多いし

当時の私も

「別に生理なくてもいいじゃん」

「過食を楽しむ生き方でもいいじゃん」

「過食嘔吐してても、働けていればいいじゃん」

と思っていました。

摂食障害をひとつの個性として、
自分の一部にして生きていこう
としました。


どちらも苦しいけど、どっちの苦しみを選ぶ?

でも、やっぱりそんな自分も苦しかった。

毎日、過食嘔吐していることも。
体は標準体型なのに、心は拒食のままでいることも
外食ができず孤立していくことも。
野菜ばかり食べて、本当に食べたいものを我慢することも。
摂食障害を自分の個性のように感じて生きていくことも。



「摂食障害を克服するために
 自分に向き合うことは苦しい」

だけど、

「過食や拒食をくりかえす自分は、もっと苦しい」

と思いました。


そして、

同じ苦しみを取るなら、治したいと思いました。


どんな自分でもいいから、食べることから解放されたいって思いました。

痩せる行動より、幸せを感じられる行動を優先させていきたい。

その一心で、行動を重ねてきた結果、治った自分、今の自分に会うことができました。

病気は個性かもしれないけど、症状は個性ではない

うん、あらためて考えると
摂食障害は「病気」であり、
「個性そのもの」ではないんだよね。


食べすぎる
食べられない
痩せ体型に執着する
吐いてしまう
炭水化物を避ける

とか、こういう摂食障害的な食行動や思考は、
すべて病気ゆえに引き起こされていて
本来生まれ持った素質ではないんだよね。


摂食障害になると
ダイエット100%の生活になるから
自分の個性すらわからなくなる。

でも、自分の個性って、
きっと摂食障害になる前にヒントがあるはず。

摂食障害になる前、どんな生活をしていましたか?
どんな音楽が好きでしたか?
休日は何をして過ごしていましたか?
何を食べると幸せを感じましたか?


きっと、そこに
病気の考えに支配されない、
純粋なあなたの素質が隠れているんじゃないかな。

それを思い出して、磨いていくことが
痩せた体のいらない生活になっていかないかな。

マイルールを手放していけば、
運動や食事に支配される時間が減り、
心から幸せを感じて生きる瞬間が増えないかな。


正直、摂食障害を治すも治さないも自由だし、
痩せ体型も一つの美の基準だったりする。

でも、摂食障害は治すことができるし
痩せ体型じゃなくても
幸せを感じる手段はたくさんある。


拒食や過食を手放さなくてもいい。

でも、

症状がありながらも、
少しずつ食事や痩せること以外で
自分を満たせる時間をつくっていくことが
今の苦しみから抜け出す一歩に
繋がるんじゃないいかな〜と思ってます。


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