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「家づくり」とはどういうことか、「住環境」とは、「住文化」とは、、、、、

私は約40年近く、この家づくりの仕事に従事しているが、未だに結論には至っていない。だからこそ挑戦しているのである。だからこそ愉しいのである。つまり大好きなのである。

仕事に誇りを持てること、家族を守りきれる住宅をつくりたい、そのような仕事に出会えたことに、全てはたくさんのお客様に出会えた事が支えになっているのである。だからこそ、いつも感謝の念は忘れない。

子どもの頃に友達の家におじゃまして、食事をご馳走になったことはないだろうか。昔は頻繁にあったような気がする。しかもとても美味しいのである。もちろん現代みたいに電子レンジなどが無い時代だから、丸ごとの材料から全てが手作りである。化学調味料とかも無い時代だ。でも、そこの家の味がきちんとある。カレーや肉じゃがなどは定番かも知れないが、まさにそこの家の味があるのである。そして、我が家もそうであるように。

ところが、いざ大人になって自分が作って見ると、家の味というか、おふくろの味には到底追い付かないというか再現できないというか、一流のシェフでも不可能と言っているようだ。これが「食文化」の原点になっているのであろう。単に味だけではなく、その環境下も味と記憶にあるからだそうだ。好き嫌いや独特な食べ方なども、たいがいが幼少期に決まると言われている。まさにその通りだと思う。

敷居を踏んではいけないという教えがあった。跨ぐことさえ気を配らなければならない。今でもずっと忘れられないし、体が覚えており実践している。リノベーションの現調に行くときには気を付けるし、神棚や仏壇があれば一礼は欠かさないようにしている。ふと周りを見ると、そんな仕草をしているのは私くらいなもんだ。若いスタッフや若い住人はキョトンとしている。たまに年配のお客様の場合、さりげなく一礼を返してくれるが。。。

師走の月になると天気の良い日は、どこの家庭でも障子の張替えや畳干しなどが煩累に行われていた。もちろん、湿気や虫取りだろうか畳の下に敷いている新聞紙も新しい紙に変える。むしろ風物詩でもあるかのような慣習例だ。

お盆や暮れや正月だけでなく、二十四節気や七十二節気という日ごとに色々と小さな催しものが家で起こる。お風呂に菖蒲の葉っぱやみかんが浮いていたりとか。クリスマスやハロウィンなんていうのは最近のことであろうか。実は私は余り興味が無いのである。いや余り知らないと言った方が、経験が無いと言った方が適切である。我が子が生まれた時に、自分も一緒に参加して覚えたと言った方が良い。。。

現代では当たり前のベッド文化も洋式だ。洋間というのは家に一間くらいしか無い。昔の家では床の間のある和室が一家の主が座る部屋であり、洋間というのは珍しいくらいだった。大半が畳の部屋であり、押入れから煎餅布団の出し入れを毎日行って寝起きするのである。お風呂と言えばユニットバスなんてない時代だ。タイル張りが大半であり、もちろんシャワーなども無い。銭湯だって同じことだ、ただ広くて大きいだけだった。

更に田舎のおばあちゃんの家に行くと、キッチンは土間にあった。炭で燃やした灰、練炭(珪藻土)のくずなどは、その土間に埋め込まれた。だからこそ、夏は調湿効果を発揮し防虫にも効果があった。また冬場は調理の熱射と日射の蓄熱効果もあり輻射熱となって暖かったのである。しかも、昔の小作人など丁稚奉公などは、この土間に寝ていた時代もあったことから、暖の取り方に知恵があったのだ。部屋で寝る時は蚊帳の中で、窓は防犯など関係なく全開だ。そもそも玄関や窓にも鍵らしいものは見当たらない。泥棒などの概念が無いのであろう。

今では、その都度「ノーマル」という言葉で片づけられてしまうが、文化というのは生活様式の一定の定着化であることから、常に進化しているものだ。

家を作るという事は、そこに住まう人の「時間」を作ることであり人生の大半の記憶を作ることでもある。子供達からすればゆくゆくは「実家」となり、両親は子息の子供達を孫として迎え、おじいちゃんおばあちゃんの家になるのである。

現代の家を批判や否定するつもりも無い。むしろ性能や機能が優れていて申し分が無い。しかしながら、時代の洗礼された人が住まうので、大半が洋式になってしまい、畳の部屋などが珍しくなってしまい、仮に設けたとしても井草の本畳ではなく発砲系の化繊畳である。

そして何よりも近所付き合いというのが皆無だという事だ。近所ではなくむしろ保育園や幼稚園などのママ友と言われるコミュニティ形成である。一戸建てになると町内会があり回覧板など、定期的に巡回して来るゴミ当番や良くわからない役員などもあるが、形式だけの付き合いであり腹の中は真っ黒である。私みたいな古い人間にとっては、ある意味で心地よいのだが、若い人にとっては苦痛の何物でもないようだ。このご近所のコミュニティが強い地域ほど、実は犯罪が少ないのである。隣近所はもちろんのこと、配達に来る郵便局員や宅配の配達員の顔まで知っていることから、知らない人がウロウロすると噂になってしまう。しかも年寄りがいる地域では、散歩だなんだかんだで近所を徘徊しているから、良い意味で外で遊んでいる子供達の見張り番になっているのである。

我々は家づくりのプロであるが、住文化を育てるのは住まい手であり住み手なのだ。少なくとも数十年は住み続ける事になるので、ご家族の人生に係わる事であり一番大きな記憶になる「家」を作る大仕事だ。

「暮らしやすい」とか、「住みやすい」とか「過ごし方」というのはどういう事だろうか?

「モノ」と「コト」だけで家づくりを行っていませんか?。家づくりにおいては、必ず「時間=トキ」を見据えてもらいたい。この「トキ」の中には、家族それぞれの人生がある。夢を見るだろう。追いかけるだろう。挫折や葛藤もあるだろう。楽しいことばかりではない。ペットを飼っても早く別れる事も必然だろう。もしかしたら何かしら予期せぬ不幸に遭遇する可能性だってある。災害に見舞われる可能性だってあるのだ。これも全て家族の歴史となり記置きに刻まれ、良い悪いに関係無く風土や文化が生まれるのである。我々住宅従事者は少なからずとも、片隅にこのような意識を持って、住み手を守らなければならないのである。

日本古来の家づくりには少なくとも、そういう慣習が家づくりにあった。家を建てることがわかると、近所の人達や親戚中が町の中でもひときわ何らかの関心を集め、時には総出で祝うこともしばしばであった。今でも上棟式の日に餅まきやお金をまくという風習は田舎方面にはあるようだ。由来としては散餅銭の儀?だったろうか。。。神事の催しものと記憶にあるが、365個の紅白餅、5円(ご縁)、50円(先通しが良い)など、おひねりとして半紙に包んだり穴に通し結びをしてまくのである。私も幼少期に何度か経験したことがあるが、大きな子供達なんかは隣町まで自転車で恩恵をもらいに行っていたほどである。家を建てる職人さんと言えば、大半が地元の工務店や棟梁含めた地域密着の有力者である。棟梁とは普段から家族ぐるみの付き合いが多く、家族構成なども良く知っているので予算も含めお任せ状態だった。この頃の子供達の将来になりたい職業のランキングでは「大工」さんが上位に居たものだ。「大工」さんという職業は「家」を建てるというスゴイ人であり、尊敬されているものだった。今では家はモノと化してしまい、工場で作られていることが多く、車みたいに買うハコになってしまった。誰が建てたか、どんな職人さんや大工さんさえ分からないのである。

今また感染症問題で社会基盤全体が全世界中で一斉にアップデートされる段階に突入している。つい2~3年前の生活環境にさえ戻ることが出来ないくらいの課題が山積みである。もちろん、家づくりにおいても同様で、デジタル化を中心とした生活環境にならざるを得ない。また、土地を選定するにしても、地球温暖化気候も深刻な問題であることから、災害なども多く生じている事で容易に決定できることではない。

これからの住宅というのはどう変化して行くのだろうか。社会がデジタル化して家というハコは住み継ぐというよりは、資産形成の形態としてライフステージによって住み手がコロコロ変わって行くことであろう。恐らく住宅というか暮らしの拠点は都心部ではないだろう。一戸建てであれば子育て期間の家族が住み、店舗集合型の集合住宅などは高齢者などが住んでいるかも知れない。ようするに自分や家族のステージによって、住み方を自由に選択できる家が好まれるのであろう。「実家」の定義が進化するのだろうか。

これから生まれる「住文化」というのは紛れもなく「デジタル」が中心になっているだろう。コンビニもスーパーも人が居ない自動精算、車も自動運転、本も電子化、健康状態も電子化、会話や会議もデジタルだ。スポーツ観戦や映画もコンサートもデジタル映像で、いつでも好きな時に観賞できるのである。学校教育も働くこともデジタルだ。そういう意味では、家から余り出ない生活が待っているかも知れない。っという事は世の中がデジタル化しても、家族コミュニティの生活文化は育まれる時間が多くあるという事だ。

習わしや文化ということを人の行動による進化で積み上げて来た。つまりはアナログだったのだ。アナログであるが故に、人が人を見守ってきたのである。

住文化では無く個々の家族による「生活文化」が、家づくりの指標になるかも知れない。

リノベーションで言われるキーワードは、この「生活文化」の再構築なのである。

20210920