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今日も東京は晴れ。

プロローグ

2030年5月11日土曜日、東京は朝から五月晴れである。

ヨーグルトにマヌカハニーをたっぷり入れる。ドライフルーツとナッツの入ったグラノラとアボカド、免疫力を高めるマルチビタミン・ミネラルのサプリ。これが私の朝の定番メニューだ。免疫力を高めておくことはとても重要である。

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H. R. Higginsの紅茶を飲みながら、アプリを起動して朝7時のニュースクリップを大画面モニターで再生する。

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NHKプラスの今朝のトップニュースで、ニューヨークで新種のコロナウイルスの感染が広がっていると伝えている。また日本にも来そうだな。

連休明けの今週は特に忙しかった。リモートワークが定着してから仕事量が増えている気がする。会社に入りたてのころのように、満員電車で出勤して夜10時過ぎまで残業なんてことが無くなったことは嬉しいのだが、その分も働かされている気がする。

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もっとも、コロナショックをきっかけに、ほぼ在宅勤務の毎日で、平日朝夕に電車に乗ることが殆どなくなった。従って、朝夕の電車が今でも満員電車なのかどうかよくわからない。


1.繁華街の消えた街

この10年で世の中はいろいろかわった。

2020年、世界中がパンデミックの洗礼を受ける前まで、銀座には中国人観光客が溢れていた。渋谷のスクランブル交差点は外国人観光客に人気だった。ニセコはオーストラリア人で賑わっていた。僕らも気軽に海外旅行へ行ったり、会社の送別会で大勢で食事をしたり、忘年会の二次会のカラオケボックスで歌いまくっていたりしていた。

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あのあと、そんな浮ついた雰囲気はなくなった。

そもそも外食にいく機会がなくなった。

2020年の外出自粛は、当初4月7日から5月の連休明けまでの1か月程度で済むと皆考えていた。しかしさらに1か月延長され、一旦終息した後も再び感染拡大が起きてしまった。2020年は結局、7~8月の第二波、11~12月の第三波と断続的に3度の大きな感染の波に見舞われ、一時は期待された政府による旅行・外食キャンペーンによるテコ入れも尻すぼみに終わってしまった。外食業・旅行業は大きなダメージを受けた。

そして、年明け後、オリンピックの無期延期(実質的な中止)が発表されたことで、世間の雰囲気は「もはや以前の状態に戻ることはあり得ない」に変わった。

繁華街は外食キャンペーンの中断後、客足が戻らなかった。いわゆる『新しい生活様式』が定着したのだ。銀座や新橋の飲み屋街、新宿の歌舞伎町、渋谷センター街などは一日中ひと気のないまるで地方のシャッター商店街のような有様となった。辛うじて生き残った専門店や飲食店も商売にならず、2年ぐらいのうちに密集度の低い郊外へ移転していった。

空きテナントが増え、雑居ビルが取り壊されて更地か駐車場になった。テナントが居なくなって放置されていた老朽化ビルが倒壊する事故もあった。渋谷のセンター街や歌舞伎町にはホームレスが溢れた。

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外食業には別の逆風も吹いた。経済テコ入れを優先させたい政府に対して真っ向勝負を挑む格好で、都知事が「コロナ撲滅」「ウイルスフリー社会の実現」を強力に推進した。都内にある従業員1000人以上の事業所は従業員の9割のリモートワーク化が義務付けられた。都内の小中学校及び都立高校ではITを活用したリモート教育環境の100%普及をめざし全員にタブレットPCが無償配布された。

飲食業に対しては「座席間隔条例」を打ち出した。当初は揉めたが、区部の飲食店に限定して「客と客との間隔を2メートル以上確保する」という所謂「ソーシャルディスタンス条例」で、最終的には間隔1.5メートルとして飲食業界の反対を押し切る形で導入された。これだけの広いスペースを確保できる飲食店は限られた。それに、客足がいつまでたっても戻ってこない。

結局、持ち帰り専業に転換する飲食店が続出し、都心部では店内に着席して食事ができる手頃な飲食店は殆ど無くなった。大阪や名古屋など他の主要都市も過密区域において東京と同様の取り組みを進めた。ちなみにカラオケボックスは、厚労省が改正した新「感染症防止特別措置法」で定めるところの「忌避業態」とされ、風俗店同様、三密の象徴として全国で厳しく営業を規制されるようになり、事業撤退が相次いだ。

昼に約束がある。そろそろ自転車で出かけるとするか。

(続く)


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