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ポストコロナの世界観~変容する世界と社会3 変容する社会と個人

ニューノーマルの下で大きく変容する社会と個人

社会と個人は否応なしに変容を迫られていく。変わらないで済むのはほんの一握りのオンリーワンや人間国宝的な技術をもった人のみ。

今回、クラスター対策班の皆さんが訴えてこられた『行動変容』もしくは専門家会議が提言した『新しい生活様式』は、大筋でポストコロナ時代の先触れとなるような今後も継続するライフスタイルとなるだろう。そして「変化に適応したもののみが生き残る」。こうした大変化の時代は一つの変化が次の変化を生み出すような格好で今後10年ほどの間、段階的に進んでいくだろう。

予想される社会と個人の変容につき、列記してみる。尚、変容は必ずしも不幸なものとは限らない。

接触エコノミーの消滅
人と人が直接つながる/人が集まるオールドエコノミーのビジネスモデルは成立しにくくなる。
旅行・外食需要はほぼ全滅(9割減)。外食需要は中食・内食需要に転換。
スポーツ・演劇・エンターテインメントは直接的接触を回避するようなビジネスモデルへの変更が不可避(産業規模の縮小は確実)。
あらゆる国際イベントは存廃をかけて大幅見直し必須。オリンピックも例外ではない。

リモートエコノミーの大発展
企業・教育・公共サービス等において業務プロセスのICT化/AI化が一挙に進展する。企業部門においてはリモートワークがデフォルトとなる。ホワイトカラー層では「通勤」の概念がなくなるかもしれない。職場に毎日通うのは現場を抱える特定職種や公共サービスのみとなっていくのではないか。(医療関係とか警察とか。)
組織のあり方も大幅に見直される。ピラミッド型組織は階層の少ない組織に変更され、社内サービス的な業務はリモートワーク進展とともに切り離しが容易化し、最終的にはアウトソース化が実施されるだろう。学校教育もリモート授業/ネット試験が基本となる。公共サービスは窓口業務が消滅し、全てマイナンバーカードとポータルで完結する。

安全・安心・安定志向の強まり
新型コロナのさまざまなリスク(命・仕事・生活)に恐怖を覚えた人は多いだろう。安全・安心・安定志向が強まるだろう。
「命のリスク」については健康志向の高まりが挙げられる。これまでの健康志向はスマートな体形の維持等の切迫性に欠ける動機もあったと思われるが、これからの健康志向は「慢性疾患を抱えない」等のシリアスなものになっていく。
「仕事のリスク」については、まさにジョブセキュリティー、職業・収入の安定性と確実性である。公務員は安定志向で伝統的働き方を好む人々に人気職種となる。資格ビジネスも人気が高まるだろう。リモートワークの普及と並行して、主にネットを活用できるビジネスでの副収入を求める動きも活発化するだろう。
「生活のリスク」については、仕事のリスクに関連して共稼ぎや副業に代表される収入の多角化などもあるが、家に居る時間が増えることで、安らぎを求める傾向が強まるだろう。すでにペットが大人気だそうだが、これは心の安らぎやよりどころを求める動きなのだろう。同じコンテクストで独身者の結婚志向が高まるだろう。但し出会いの機会が激減するので婚活のハードルは高まる。

人のデジタルネットワーク
人と人が協働する際のアプローチややり方が変わる。リモートワーク化で、打ち合わせや会議がTeams会議やZoom会議として実施されているが、これらはあくまでも従来組織の「接触」会議をリモート会議に置き換えたものだ。今後は、リモートの特性を本格的に取り入れた本当の意味での『知の交流』に置き換えられていく。リモートでも創生・伝達可能な領域(中間知)が拡大する。すると組織のレイヤーはあいまいになり、組織の境界でさえ意識されないものとなっていく一方、事務連絡のためのリモート会議などは意味がないものとして無くなっていく。
ネットワーキングのあり方も変化していく。従来のネットワーキングといえば主に「人と人がface to faceで知り合い、その関係を維持し、都度協働する」ことであった。ここでの関係性のベースは、学閥であり、派閥であり、コネであった。ところがリモート社会ではもう一つの関係性が重要になってくる。「ネット・ネットワーキング」である。すでに、インターネット上のプレゼンス(YouTube、Facebook、インスタ、note等)をベースにネットワークやフォロワーを形成し、これをビジネスに活用する個人事業者が生まれている。人気ユーチューバーなどはその代表選手だ。今後はユーチューバー的な情報発信の取り組みが一般化していくだろう。一部はサービス提供や物販等を通じて収益化に成功するだろう。

裁量労働制への移行
加速企業の業務プロセスのICT化/AI化、リモートワークのデフォルト化は、リモートワーカーの個人事業主化を加速するだろう。即ち、リモートワーカーの勤務形態はたとえ労働契約や職務内容が成果主義を求められるものでなくても裁量労働制的な色彩を強める。これは当然の話で、勤労者と個人事業主化の境界が結果として曖昧化することを意味する。今は緊急避難的に実施されているリモートワークが長期化・常態化していくと、job description自体が変化していくだろう。
また、リモートワークがデフォルトとなると、企業雇用者のうちホワイトカラー/プロフェッショナルワーカーでは毎日顔を合わせることのない企業内同僚との結びつきが薄れていく。むしろ、ネットを通じて専門性を提供する企業外での同業者・同一職種とのネットワークが重要となってくるだろう。自身も専門性を会社外に提供していく機会もでてくるだろう。一般的に企業は副業を禁止しているので本来はダメなのだが、リモートワークの一般化に伴い、会社員の副業が水面下で増え、ネット上に専門知識をもつサービスプロバイダの市場を形成していくのであろう。
但し会社員で上記の動きについていけない人(組織遊泳術オンリーの人、愛されキャラだけで仕事できない人、自分の手が動かない中間管理職)は淘汰対象。

「家」という最終単位の重要性
社会的生活の単位が、会社や職場や学校から、家に回帰する。
リモートワークや学校休校で、狭い家の中で一日中家族全員と顔をつき合わせての生活となって、ストレスを感じている方も少なくないかもしれない。しかし、リモートワークや遠隔教育が一気に定着するため、今後は、家族全員が家の中でずっと一緒にいることがデフォルトとなる可能性が高い。早く慣れたほうが良い。
考えてみれば、人類の長い歴史のなかで、家族が長い時間、家で一緒に過ごすというのがフツーの姿だったのである。ひょんなことから原点回帰になったという訳だ。
勿論、家で快適に過ごす・仕事する・勉強するための環境整備は重要だ。まず、リモートエコノミー対応として、家族全員が同時に利用して問題のおこらない広帯域で堅牢な通信環境が必要となる。また、家庭内紛争(domestic conflict)の原因を予め除去するという観点から、特定のメンバーに負担が集中しないよう家事分業の取り決め、もしくは、食洗器・ルンバ等の導入による家事省力化も必要となろう。

(続く)


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