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弔辞

あなたとの別れが、こんなにも突然に、こんなにも早く、
 あんな形でやってくるなんて、
 今でもまだ、信じられません。
 
あなたとの出会いは鴉町のバーだったでしょうか。わたしはその頃まだ定職にもつかず、拙い小説なんかを書きながら、ふらふらと毎晩飲み歩いていました。毎日の酒を飲むことだけを目標に小銭をかき集め、一杯の酒をちびちびと舐め、けちくさく、バーの一席を占拠し、マスターに嫌われていました。そんな時です。あなたが現れたのは。
 
あなたはいつも一人だったけれど、明るくて、いつも笑顔で、誰にでも優しく、話も上手く、輝いていました。わたしのようなものにも、わけ隔てなく、声をかけてくれました。バーの常連客たち皆に愛されていました。
 
わたしたちはたくさんの話をしました。わたしのつまらない小説の話も、真剣に聞いてくれました。あなたがする夢の話や、全ての言葉は、わたしの小説のヒントになりました。
 そして情けないことに、わたしはあなたにいつも酒を一杯奢ってもらっていました。「あなたは必ず、有名になる人。その時にわたしに、何か美味しいもの、ご馳走してよね」と、ふざけたように笑いました。おかげでわたしは、いつも二杯の酒を、飲むことができるようになりました。
 
わたしはあなたにとっては、ただの知り合いのうちの一人だったかもしれません。だけど、わたしにとってあなたは、今思うと、太陽のような、神様のような存在だったのです。心から感謝しているのに、もう、あなたに何か美味しいものをご馳走することが叶わないじゃないですか。
 
あれからわたしの小説は運よく賞を獲り、今は書くことで飯が食えます。あなたは「生意気」と言うでしょう、あのバーでも酒を五杯も飲むんですよ。笑ってください。あの、顔をくしゃくしゃにして、無邪気に笑う、あなたが、どうしてあんなふうにして、自ら命を絶たなくてはならなかったのでしょうか。
 
思い出せば、あなたは何か隠しているようでした。明るく、いつも元気に、いつも幸せだと言って、あなたの中にある本当の苦しみを、上手に覆い隠していました。わたしたちはその光に目がくらんで、あなたの中にうずまく闇を、見つけることができなかったのです。わたしは、あのバーの薄暗がりの中にいる笑顔のあなたしか、知らなかったのです。あなたは人を驚かせるのが好きでしたから、今頃「してやったり」と舌を出しているのかもしれません。
 
だから、誰もが驚いたでしょう。あなたの部屋から、あなたが殺したであろう猫の死体が何匹も出てきたこと。
 そして、あなたが自分の頭にペンを突き立てて、胸にナイフを刺して血まみれになって、目を見開いたまま死んでいたということ。
 
あなたは狂ってしまったのでしょうか、それともずっと、狂っていたのでしょうか。
 それにわたしが早く気づいていたなら、あなたの笑顔を本当のものにできたのでしょうか。出会ったときにもう、手遅れだったのでしょうか。
 今何を言っても、あなたはもう血まみれで、あのバーでもう一度酒を酌み交わすことは不可能ですから、潔く、さようならとだけ言えばいいのでしょうか。わたしにはわからないです。
 
あなたは、皆に愛されていた。満たされているように見えた。わたしみたいな、何もない男から見たら、本当にまぶしく見えた。だけど、きっと、あなたは何かが足りなかったんですね。ずっと、不具合が出ない程度に、部品が何か欠けていたんでしょう。毎日嘘の笑顔で、明るい光を出すエネルギーを使うことで、その足りない部分に尋常ではない負荷がかかっていたんじゃないでしょうか。そして崩壊は、突然にやってきた。
 
もう楽にしていますか?肩の力を抜いてください。泣いてください。思い切り、泣いてください。笑わないでください。そちらに行ったら、わたしからウイスキーを奢ります。
 
わたしは、あなたのことが好きでした。このことを、もっと早く伝えていたら、あなたと、猫たちの命を救えたのでしょうか。
 
合掌。

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