ノア・スミス「習近平 vs. マクロ経済学」(2024年9月15日)
マクロ嘲るべからず,でございます閣下
ここしばらく,中国経済について書いてなかった.〔アメリカの〕選挙ネタばかりひっきりなしに書きつづけるのをいったん中断して,そっちの話もしようか.
このところ,英語圏メディアで中国経済に関して議論されてることは,たいてい,《第二次中国ショック》の話だ――中国製製品の輸入が洪水のようにおしよせてる件が,もっぱら議論の的になってる.でも,中国国内では,それとまるっきりちがう話がさかんになってる――長引く不況の議論だ.中国のオンライン応援団たちは,中国がいかにハイテクで現代的かって話や中国製品がいかにすばらしいかって話をまくしたてるかもしれないけれど,当の中国人たちは,自分たちの経済の有様にすごく不満をもっている:
中国の人たちが憤るのもムリはない――ピッカピカの新型電気自動車やら配送ロボットやらはすばらしいけれど,中国経済は全体としてうまくいっていない.近頃,中国経済に関する良質のデータは手に入れにくいし,公式の数字はおそらく通例よりもさらにあやしい.それでも,ぼくらに知りうるかぎりでは,どうも冴えない:
各所から出ている中国経済成長の予想は,少し悪化しつつある.政府から聞こえる発言も,以前ほど自信ある言い方をしなくなってきている.(公式の経済成長の数字は大幅に誇張されている場合がある点に留意しよう.とくに,経済が不調なときはそのおそれがある.) すでに,若年失業率は酷すぎるあまりに中国政府が手法を変えて低めの数字が出るようになっていたのに,再び 21% にまで上昇してしまっている.
一方,中国の株式市場はすごく低迷している:
将来の経済活動を予測するのに,株式は最良の予測材料ではないけれど,もっと信頼できる経済データが政府から出てきていない現状では,これは有用な代理指標だ.
さて,中国経済のどこがマズイんだろう? 中国に住んでいない人たちからは,こんな声もあるかもしれない:「どうでもいいでしょ?」 でも,いままさに中国が抱えているような問題群の原因とその治療法について考えるのは面白くもあるし重要でもあると思う.それに,中国のマクロ経済がいま弱いことは,世界中の市場でいま安価な製品が投げ売りされている理由でもある.
ともあれ,本題に入ろう.まずは,景気後退が起こる理由に関する根本的にちがった2つの理論をとりあげて,それから,習近平がおそらく間違った理論に飛びついてしまっている理由について語ろう.
いま中国経済がひどいことになってる理由の,2つの説
もうみんな周知のとおり,中国経済の低迷をもたらした根本的な要因は,2021年いらいの不動産バブル崩壊だ.
「でも,どうして不動産バブル崩壊で経済全体がひどくなるの? この問題に関する報道では,巨大ゴーストタウンやら売れ残り住宅の大量在庫やらが伝えられるよね.でも,どうして,売れ残りの住宅があると経済活動が減ってしまうの? GDP は,いまの経済活動の指標であって,過去につくられたモノの指標じゃない.売れ残り住宅があるからって,労働者や企業が今日・明日になにかを作れなくなったりはしないでしょ.そんなのしらんぷりして,とにかく別のモノをつくればいいじゃない.」
これがどういう仕組みになっているのかについては,基本的に2つの筋書きがあって,それぞれ,「マクロ経済」とはなんのことなのかに関する2つ別々の理解に対応している.この2つのマクロ経済理解は,百年ほどずっと基本的に戦争状態にある.
一つ目の筋書きでは,「マクロ経済」なんてものはないと考える.いろんな産業はある――自動車,不動産,食品などなど.そういういろんな産業は,それぞれに,供給と需要があって,それぞれの各種コストやテクノロジーや生産性水準などなどがある.経済は,とにかくそういういろんな産業が生産できるものの総体をつくりだし,人々はそれになんらかの対価を払って買う.
「経済がそういう仕組みになっているんだったら,どうして,不動産業界の問題で経済の他の部分が打撃を受けるの?」 そうだね,ひとつの可能性は,フリードリヒ・ハイエクやルートヴィヒ・フォン・ミーゼスといった「オーストリア学派」の経済学者たちが提案したやつだ.その考えによると,いろんなリソースを一方の産業から他方の産業へ再配分するにはなんらかの現実的なコストがかかる.もし不動産がどこぞの経済の 29% を占めているとしようか.「いや,そんなに住宅はいらないでしょ」と思った? そこの経済に暮らす人たちも同じく「こんなにいらないな」と考えたとして,労働者や資本を製造業に移すには時間とお金がかかる.そういうコストは十分に大きいので,経済の減速となって現れてくる,という寸法だ.
二つ目の可能性は,エド・プレスコットをはじめとする「リアルビジネスサイクル」理論を唱えた人たちが提案したやつで,これによると,不動産で生じた減速は,経済全体の「生産性ショック」の一部であり,このショックでテクノロジーやいろんな制度で進む改善・向上の速度が落ちたり,さらには悪化すら始まってしまったりする.中国の場合だと,その原因としてすぐに思い浮かぶのは他でもない習近平その人だ.彼がスタートアップ産業をつぶし,不動産業界を取り締まり〔借り入れ規制〕,全般的に経済への国家の統制と介入をかなり強めた.
この手の説明を,「供給側」の理論と呼んでもよさそうではある(「供給側(サプライサイド)」という名前が,もっとひどく不真面目なものにとられてなかったなら).ただ,これはそれよりもちょっぴり深いとぼくは見てる.こういう理論は,ようするにこう言ってるわけだ――「マクロ経済そのものなんて,ない.」 つまり,たんにいろんな個別産業のミクロ経済のことを言っているにすぎないんだって言ってる.実際,有名な話だけれど,エド・プレスコットは「マクロ経済学」という単語を断固として使わず,「総計の経済学」と呼んでいた (”aggregate economics”).経済総体の水準で〔ミクロとちがう〕特別なことが起きてるわけじゃないという信念を表明するためだ.
ぼくの印象を言うと,習近平と彼に追随してる人たちは,こんな路線で考えてるようだ.経済成長の減速に習近平がとった対応は,現実の各種リソースを「ダメな」部門(不動産)から「よい」部門(製造業)に移すことだった.これはいまも続いている.『エコノミスト』誌の記事で,習近平がやろうとしていることがうまく記述されている:
中国が抱える経済問題が,ずばり,不動産のかわりになにをすべきかをつきとめられずにいることだったなら,まあ,習近平はそのジレンマを単純に解決するだろう.それには,電気自動車やドローンなどなどのハイテク工業製品の生産に励むようみんなに指図すればいい.問題が負の生産性ショックだとしたら,自分の産業政策が生産性を爆上げすると習近平は考えている.
フリードリヒ・ハイエクやエド・プレスコットが推奨しただろう政策は,これとちがう――彼らはリバタリアンで,中央計画に強く反対していた人物たちだ.でも,ハイエク流またはプレスコット流の景気後退の見立てを信じていて,しかも,中国共産党の知恵と先見の明を信じているなら,これこそがとるべき政策ってことになる.習近平の思想は――少なくとも,それを景気後退に当てはめた場合には――基本的に,オーストリア学派の経済診断に共産党なりの経済治療法を融合させたものだ.
でも,景気後退が起こる理由については,第二の理論もある.そして,習近平はそっちを完全に無視している.
もうひとつの理論とは,「ケインジアン」理論と呼んでいい理論だけれど,そこにはミルトン・フリードマンの「マネタリスト」のいろんなアイディアも取り込まれている [n.1].西洋の学術界や各種の政治業界では,おおむねこれが他をおさえて勝ち抜けている.かいつまんで言うと,この理論でこう考える――「1930年代の大恐慌や2009年の大不況といったとびきり大きな景気後退も含めて,多くの景気後退は,総需要不足で引き起こされた.」
「総需要」は,べつに景気後退が起こる理由の理論というわけじゃない――「総需要というなんらかの神秘的でいわくいいがたい力がはたらいておるのです」なんていって,自分でもわかってないことの説明に持ち出しているわけじゃないよ.総需要とは,たんに,経済のふるまいのひとつの有り様を記述したものだ.このあと説明するように,総需要が増えたり減ったりする原因についての理論が必要になる.ただ,総需要がどんな意味なのかをつかまえておくことがぜひとも必要なので,完結に解説してみよう.
あるモノの「需要」とは,「この値段ならみんなはこれくらいほしがる」「さらに,この値段ならこれくらい」という具合に,仮想のいろんな価格のそれぞれで,人々が買ってもいいと思うそのモノの数量だ [n.2].かりに,プレイステーションが1台100ドルならみんなが買おうとする台数が 1,000万台になり,200ドルなら500万台になるとしよう.それがプレイステーションの需要だ.
総需要とは,人々が買うありとあらゆるモノ――リンゴ・プレイステーション・保険・背中のマッサージ・肝臓移植手術などなど――をぜんぶひっくるめた数量のことだ.「じゃあ,その「なにもかも」のお値段ってなに?」 それをぼくらは「物価水準」または「物価指標」と呼ぶ.消費者物価指数 CPI) が測ろうとしてるのが,これだ.消費者物価指数は,経済全体で消費者たちが消費するありとあらゆるモノの価格だ.消費者物価指数が上がると「インフレ」と言い,下がると「デフレ」と言う.
あらゆるモノの価格は,どれか個別のモノの価格とちがう.そこのちがいが重要だ.読者のキミがお金を払ってプレステを買うとき,キミはお金を手放してる.でも,本当に手放してるのは,そのお金で買うことができた他のモノだ.個別のモノやサービスの価格は,他のモノやサービスの観点で表現できる.
でも,ありとあらゆるモノにお金を払うとき,そこで手放されてるのはなんだろう? もちろん,お金だ.でも,プレステを買うときとちがって,ありとあらゆるモノを買うときに手放したお金は,他のモノやサービスに使うこともできたお金ではない.だって,買えるモノやサービスは,すでに「あらゆるモノ」に含まれているからね.
ありとあらゆるモノを買うときに手放してるモノは,お金を貯めておくことの便益だ.箪笥の奥にしまっておいたり,預金口座に預けておいたり,株式などの金融資産に投資したりといった機会を,手放しているんだ.貯蓄すると,いろんな便益がある.将来,モノやサービスを買う選択肢をもたらしてくれるからだ.貯蓄があれば,流動性が手に入る(流動性とは,とても予測しやすい価格でモノをすぐに買える状態のことだ).安全も手に入るし(財産というクッションが生まれるから),時間をかけて財産を殖やす機会も手に入る.
さて,総需要が減ったときには,なにが起こるだろう? 総需要が減ったということは,みんなが同時にお金を貯め込もうとしているってことだ.それで問題ない場合もあるけれど,問題大ありの場合もある.総需要の急激な変化に合わせて経済が調整できなかったら――いろんなモノの価格や賃金が「硬直的」すぎて調整が進まなかったら,金利がゼロになっていてもう下げようがなかったら,などなど――よくない影響が生じる.産出が減少したり,人々が仕事をなくしてしまったりといったことが起こりうる.景気後退が起こりうる.
ケインジアン・マクロ経済学の基本的な考えは,これだ――「総需要が大きく急激に変化すると経済はそれに合わせてなかなか調整できない.」 1998年に,ポール・クルーグマンは,これがどんな風に起こりうるのかを解説する愉快な文章を書いた.経済を子守り協同組合に喩えた文章だ〔日本語版〕.子守り協同組合では,ヨソの夫婦の赤ちゃんを子守りすると,子守りクーポンがもらえる.このシステムからクーポンをいくらかなくし,出回る子守りクーポンの総数が少なくなりすぎると,みんなは子守りをしなくなる.なぜって,貴重な残りのクーポンをため込もうと必死になるからだ.こうしてシステムは崩壊する――お互いに,子守りをしてもいいと思っているけれど,誰も子守りをしなくなる.なぜって,システム内の「お金」が十分にないからだ
ケインジアン経済学では,景気後退は基本的にこうやって起こる.なんらかのよくない事象が起きて――信用が失われたり,銀行制度が支障を起こしたり,などなどがあって――いきなり大勢の人たちがいっせいに現金を手元におこうとしはじめる.すると,みんながモノを買うのをやめてしまい,企業の儲けが減る.企業は従業員をクビにし,失業した人たちもモノを買うのをやめてしまい,それでさらにクビになる人たちが増える.モノやサービスを生み出せるのに,工場はシャッターを下ろし,労働者たちは暇を持て余す.なぜそうなってるかと言えば,経済全体での調整問題のせいだ.
ケインジアン景気後退の基本的な得失は,デフレだ(あるいは,デフレではないまでも低インフレ)[n.3].供給と需要の曲線を描いて,総需要が下がったときにどうなるか眺めれば,これはわかる:
さて,中国に目を向けると,なにが見てとれるだろう? インフレ率は下がってる.広く使われてる指標のうち,少なくとも一つでは,ここ数ヶ月,中国はデフレに陥っている:
さらに,中国の名目国債利回りも下落している.このことは,おそらく,予想経済成長率の低下と予想インフレ率の低下を示している:
このとおり,いまの中国の状況は古典的なケインジアン景気後退らしく見える.
ただ,さっき言ったように,中国でいきなり総需要が激減している理由について,なんらかの理論が必要だ.実のところ,不動産バブル崩壊こそ,いくつかの理由から負の需要ショックを生じさせる要因に他ならない.
中国の総需要がガタ落ちしている理由と,中国の不動産バブル崩壊を復活させる方法は,2008年のアメリカ経済に起きたことや1992年の日本経済に起きたことといくらか類似している点がある.ただ,制度上の細かい部分は,大きくちがう.中国・アメリカ・日本の3つの事例すべてで,土地価格は下がらないと想定して多くの企業がお金を借り入れていた.そして,いざその土地価格が下がったときには,返済できない不良債務が大量に生まれてしまった.アメリカの場合には,主犯の容疑者は,不透明な債券に住宅ローンを入れてパッケージにしたことだった.日本では,最大の問題は,土地を担保にして銀行から融資を受けて,その融資でさらに土地を購入していたことだった.
ところが,中国では,最大の容疑者は「地方融資平台(金融装置)」だった〔もとの中国語名称は「地方政府融资平台」で,日本語の報道でもこのまま使われている;英語で “local government financing vehicles” または “LGFV” と呼ぶ〕――地方政府が企業を立ち上げて,インフラ整備や公共サービスの資金にあてるために,そうした企業を使っていろんな企業に土地を売りやすくしたすえに,そうした企業はあやしげなコングロマリットに変化を遂げていった.ぼくの知るかぎり,この地方政府の融資平台に関する最良の要約は,ジョナサン・サインの長文記事だ.この記事には,いい論文へのリンクがたくさん貼られている.
地方融資平台の大半(あるいはもしかするとぜんぶ)は「ゾンビ」企業だ――操業のためのお金が足りていなくて,絶え間なく借り入れ続けることでしか存続できない.下記のちょっと信じがたいグラフは,不動産バブル崩壊が始まる前のものだ:
銀行は――とくに中国の地方政府によって設立されたより小さな銀行は――地方融資平台に深く関わっている.そうした銀行は,地方融資平台に多額のお金を融資している.また,銀行は中国の一般市民が融資平台に多くのお金を貸すのも助けた.その際に利用されたのが,「理財商品」をはじめとするいろんな金融スキームだった.
不動産価格が上がり続けているかぎりは,これにはなんの問題もなかった.地方融資平台の債務で担保になっているのは,地方政府が所有する土地だ.もしも地方融資平台がその債務で不履行をやったとしても,貸し手(銀行または「理財商品」企業またはデベロッパーなどなど)は担保の土地を手に入れることになる.その価値は,当初にその貸し手が貸し付けた金額をおそらく上回っているはずだ.でも,土地価格が下がると,地方融資平台への融資はすごく高リスクに一変してしまう.
こうして,中国の地方銀行はでかい問題にはまりこんだ.融資の大半とは言わないまでも多くを受けていた地方融資平台か関連企業は,不動産価格を当てにしていた.そして,そういう融資の大半ではなくとも多くはもう返済されそうになくなってる.バランスシートにそういう不良債権があると,銀行としては,破綻しないように現金を手元に置いておく必要がある――しかたなく,銀行は消費者や製造業者にどんどん融資をするのをしぶりはじめる.融資が減れば,総需要は減る.(経済学の)業界用語で,これを「流動性選好ショック」という.
こういう説を唱える人たちもいる(中国アゲの人たちは心からこの説を歓迎してる)――「政府が銀行システムを完全に支配している国では,銀行の不良債権なんて問題にならない.」 この説は,ときに「単一国家」理論とも呼ばれる.でも,中国の銀行や地方政府は,べつに,習近平に「やれ」と言われたとおりにいつでもふるまうわけじゃない――たとえば,習近平に「やれ」と言われているのに,売れ残り住宅の在庫を彼らは買い上げていない.
その一方で,資産効果も総需要を押し下げている.中国の消費者たち個々人は,眼前で自分の資産が蒸発していく危機に瀕している.債券市場は人為的に金利を抑制され株式市場は低迷しているなかで,これまでのところ,大半の中国人にとって退職資金を貯める最重要の方法は不動産だ.住宅価格が下がれば,彼らはいきなりガクンと貧しくなる――「住宅価格はずっと上がり続ける」という考えが崩れて,彼らは将来の自分の資産についても以前よりはるかに楽観的でなくなっている.
中国人の多くは,理財商品やその類いにも貯蓄を投資していた.これらは,ようするに不動産会社と地方融資平台への融資だ.こうした商品の多くは,いまや債務不履行を起こしかねなく見えている.これもまた,中国の民間資産の崩壊に一役買ってしまう.そうした資産蒸発が起これば,中国の人たちはますます出かけたり買ったりする意欲を失うだろう.
それに加えて,デフレそのものが,中国の総需要にとって巨大な問題をつくりだしてしまう.なぜって,デフレは債務問題をいっそう悪化させるからだ.たとえば,キミが10万ドルを利子 4% で借りたとしよう.キミは毎月 740ドルを支払っている.さて,ここでデフレが到来する――キミの給料は下がり,物価も下がる.キミの月々の支払いはあいかわらず 740ドルのままだけれど,いまや,その 740ドルという金額は前よりもずっと重たくなっている.
債務負担の悪化に直面すると,多くの企業や消費者は支出を切り詰めて対応する.でも,そうするとなおさらデフレが酷くなる.すると,債務の負担はますます重くなる.で,これがループする.この悪しきサイクルを「債務デフレ」という.この考えを1世紀前に発案したのはアーヴィング・フィッシャーだ.ケインジアン景気後退の経済学に関するポール・クルーグマンの有名な論文(ゴーティ・エガートソンとの共著)の土台になっているのも,これだ〔クルーグマンによるVoxEU論説の日本語版〕.
さて,これらが原因の有力候補だとしたら,中国が総需要を復活させるにはどんな手があるだろう? ほぼ誰も彼もが,消費刺激の大型パッケージを打つように求めている.でも,中国の中央政府はその考えを採用する用意をしつつあるように見えるものの,地方政府は緊縮にいそしんでいる:
中央政府は,緊縮を捨てるよう地方政府に強制することもできるし,あるいは,ものすごく大きな刺激策を打って地方政府による緊縮を圧倒することもできる.でも,これまでのところ,中央はそのどちらも選んでいない.
中国政府にできるもうひとつのことは,需要を低くしている原因の一部を取り除くことだ.それには,銀行や地方融資平台の救済措置をとらないといけない.そうすれば,バランスシートから不良債権の山がなくなり,融資を再開できる.ただ,ここでも,中国の指導者たちは救済措置にすごく後ろ向きのようだ.
刺激策も救済措置も,2008年以後の「失われた十年」をアメリカが逃れた方法だっただろう点に注意しよう(量的緩和による隠れた救済措置もある).当時,多くの人たちはこう考えていた.「おそらくアメリカはこれから日本と同様の長引く停滞に苦しむだろう」「ことによると新たな大恐慌が起きるかもしれない.」 ところが,2012年までにアメリカは安定した経済成長に復帰を遂げて,労働市場も回復しつつあった.
中国政府ができそうなことは他にもある.財政刺激を唱える人たちの間では,投資よりも消費を刺激する方法に大きな関心が集まっている:
伝統的なケインジアン経済学では,実のところ,これは問題にならない――あらゆる支出はよい支出だ.伝統的なケインジアン刺激策では,インフラをたくさん建設したり政策を使って住宅建設を刺激したりといったやり方もとられる――まさしく,中国が2000年代の後半や2010年代に採用して,大不況その他の経済ショックを回避する助けにしたやり方だ.また,伝統的なケインジアン経済学では,企業による投資を刺激するのもよしとされる.なぜなら,投資支出はいずれ回り回って労働者のポケットに入るから,それで消費にもお金が回ると想定されているからだ.
でも,現実には,投資支出と消費支出は完璧に置き換え可能とはかぎらない〔どちらをやっても実質は同じこととはかぎらない〕.直接に消費を後押しするのに比べると,生産の増強はそれほどインフレを加速させないかもしれない.(この理論が,「インフレ抑制法」にその名がついている理由だったりする.) だから,中国が債務デフレのサイクルを打破するには,産業助成から消費助成への転換が役立つかもしれない.
ともあれ,ここでの主な問題は,習近平が根本的にオーストリア学派的な見解かリアルビジネスサイクル理論的な見解を中国経済の減速にとっている点のように思える.自分が見ているのはミクロ経済問題だと習近平は思ってる.でも,西洋でケインジアン経済学が景気後退の主流理論になったのには理由がある――長く苦しい経験を経て,「経済不況は純粋にミクロ経済の問題だ」と考えるのでは不十分だと学んだんだ.
中国が権威主義体制をとっているせいで,こういう教訓を同じくらい迅速に学べないのかもしれない.想像してみよう.もしもハーバート・フーバーがえんえんと自分の任期を伸ばせていたら,どうなっていただろう.アメリカにとっていい方に転がっただろうとは,ぼくは思わない.習近平びいきの人たちは,彼があらゆる問題を細々と差配して解決できると信じている.その心情に劣らない強さで,ぼくの直観は,「ケインジアン問題にはケインジアン解決法が必要だ」と告げている.
マクロ嘲るべからず.
註
[n.1] アメリカの学術業界や各国の中央銀行で主流のマクロ経済モデルになっているいわゆる「ニューケインジアン」モデルは,実のところ,ケインズよりもフリードマンの考えによく似ている.
[n.2] 別の言い方をすると,需要とは,あるモノのしかじかの量に人々が支払ってもいいと考える価格のことだ.実は,この2つの定義は同じことを言っている.需要とは,価格と数量の仮想的な関係なんだ.
[n.3] 景気後退は生産性の低下だと考える理論はいろいろとあるけれど,経済の効率が下がったのに反応してモノが安くなる理由をうまく説明できない.突如として経済がモノを生産するのが下手くそになったときには,モノはもっと高くつくようになるだろうって思わないかな.
[Noah Smith, "Xi Jinping vs. macroeconomics", Noahpinion, September 15, 2024]
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