絵日記の悪魔

 小学1年の息子に、最近は絵日記の宿題が出る。今年に入ってから3回は課されている。私的に絵日記はとても良い課題だと思っているので、適当に済ませたくない。だから絵日記は私との共同作業だ。
 はじめにホワイトボードを前にして、私がインタビューをする。息子はそれに答える形で、どんなことがあって、どんな気持ちで、その時どんな景色で、誰がどうだったかなど、五感を使った表現で振り返る。ただ単に面白かったではなくて、「何がどんな風に」を聞き取る。多少時間がかかるものの、一旦それらをホワイトボードにまとめると、何を1番伝えたいか、それを伝えるためにどんなエピソードを付け足すかが一目で判るように整理されるから、文章はあっという間に書き終える。確実に振り返る力と表現する力と情報を整理する力が付いてきた。
 だが、問題は絵だった。絵を描くとなると途端に悩みだす。書きたいことが決まっているから、どんな絵を描くかも決まっている。でも鉛筆は進まない。ざっくりとした下書きはすぐにできるけれども、描けない。悩む息子に色々聞いていくうちに、あることが判った。それは、頭の中にある「あの景色」を正確に描けない事だった。描きたい瞬間の映像の中心に自分がいる、そこから離れたところに友達がいる、さらに離れたところに違う友達がいる。一直線に並んでいるわけではない。その複雑な距離感を描くには相当な技術がいる。つまり写真に撮った通りに描きたいのだ。皆は絵日記を描けと言われたら、リアルにそのまま描くだろうか?都合の良い情報だけを並べて、メッセージが伝わるよう誇張したり削ったりした、デフォルメされた絵を描くのは、私だけではないはずだ。絵の良さはそこにあると言っても過言ではないと思っている。でも、息子にそれが通じない。思い出を言葉に当てはめれば、多少複雑な感情でも何かしらのフレームに当てはめられて文章は形作られる。でも、彼の映像処理にはそういうフレームがないのだろう。だから映った情景をそのまま描くしかない、必要のない情報でも描かないということが嘘をつくことになる。全てを正確に描こうとするけれど、そんな技術は持っていない。そして悩む。



 誤魔化して描いてもいいんだよ、と言うこともできるのだろうが、それでは根本的な悩みの解決にはならない。だから今は、下手くそでもいいからできる限り描いてみよう、と言ってみる。だから結構時間はかかるし、その割に端っこに豆粒くらいのサイズで友達が描かれていたりする。それでも今は良いと思おう。解決策は私もわからないのだから、一緒に悩んでみようと思う。そんな時間が私は楽しい。

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