🎥シネマ歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒（かごつるべさとのえいざめ）』を観ました

2023年5月7日　
　　　　ＭＯＶＩＸ柏の葉　にて

豪華共演

2010年（平成22）2月に歌舞伎座で上演、十七代目中村勘三郎さんの
追善公演（二十三回忌）でもあり、歌舞伎座のさよなら公演でも
あったそうです。

十八世中村勘三郎、坂東玉三郎、片岡仁左衛門の豪華共演にワクワク。
あでやかで、面白うて、やがて悲しき…と、悲哀はあっても、スッキリした幕切れを想像して観ていました。けれど・・・。

そもそもは江戸時代に実際に起こった、「吉原百人斬り」殺人事件をもとに作られた狂言で、『見初め』『愛想尽かし』『殺し』の三場面を中心にお話が展開していきます。
『殺し』がラストですからね、スッキリというわけにはいきません。

見初め

商用の帰り、桜満開の吉原へ話のタネにと遊びに来ていた次郎左衛門は、
吉原一の花魁、八ツ橋に遭遇します。

玉三郎さんの八ツ橋！
その美しさは言うに及ばず、
表情、仕草、どこを切り取っても気品にあふれ、
豪華なかつら・帯・着物を我がものとして練り歩くそのお姿に
スクリーン越しでも感動しました。　

そして、あの口を開けて見とれている次郎左衛門に見せる
艶然とした八ツ橋の笑み。
私にとってはここが一番の見どころでした。　　

文献によりますと、御贔屓の客がいる茶屋に向かって微笑んで挨拶するのが花魁道中での習わしだそうで、たまたま偶然、次郎左衛門がそこに居合わせたばかりに後の悲劇につながるのだ…ということです。

が、しかし、玉三郎さんの笑みを見ていると、たしかに自分に心酔しきっている粗末な男に自分の魅力を魅せつけている風情を感じます。
その何とも言えない表情、
これが見れたらあとはいいやと思うくらい鳥肌物の場面です。

また、高下駄をはいて所々で花魁独特の“外八文字”を描く歩き方を披露しますが、着物の後方にたくさんの細い紐を引きずっていて下駄に絡まりはしないかとハラハラもしました。
後ろの傘もちの男役の方が太夫の裾の紐を踏まない様に視線を落としていたりして、さもあらんと思いましたよ。
太夫に肩を貸す男衆は、息が合わないと歩くときにバランスを崩してしまうので大役ですが、坂東功一さんが務めていらっしゃいます。
玉三郎さんの後見として信頼の厚い、
ハンサムな方なのでこの方も印象に残ります。

「もう…宿に帰りたくなくなった…」と、すっかり八ツ橋のとりこになってしまう次郎左衛門。
あばた顔で冴えない風情の次郎左衛門ですが、
実はお金もちの良客で人柄も誠実という設定にちょっとびっくり。
なので、江戸に来るごとに八ツ橋一筋に入れあげて、
遊郭「立花屋」ではすっかり二人は“良い仲”となって、
身請け話にまで進展していきます。

愛想尽かし

しかし、話はそううまくはいきません。
まず、釣鐘権八登場。
そして、八ツ橋の恋人の茂山栄之丞。

このお話は本来八幕ある長いお話で、
本作品で披露されていない部分なのですが、
実は八ツ橋は武家の出であること、
そして茂山栄之丞はその時からの恋人なのです。
そして今の関係は間夫というか、ひも男ですね。
陰で八ツ橋は栄之丞に尽くしています。

一方、釣鐘権八は八ツ橋の父親に仕えていた家臣、
両親亡き後、養父とは名ばかりで八ツ橋の勤める「立花屋」に借金を重ねる遊び人です。

借金を繰り返そうとする権八の図々しさに
「立花屋」の女将おきつはキッパリ引導を突き付けてやります。

『人情噺文七元結』お駒役の秀太郎さん

このおきつ役の片岡秀太郎（二代目）さんがまた秀逸でした。
「立花屋」の主人がしつこい権八に手を焼いていると、
奥から何気ない風に現れた女将おきつですが、
ただそれだけでこの遊び人の何枚も上をいく風情を醸し出している。

丸っこい顔立ちの、小さなふくよかな様子ですけど、
どうしてどうして、この道にかけては海千山千、
主人を助けて権八を追い返してしまいます。

二代目　片岡秀太郎さん

そんなおきつの存在感が忘れがたく、調べましたが、
残念なことに人間国宝である二代目片岡秀太郎さんは
2021年5月23日にご逝去されておりました。
79歳ということでした。

シネマ歌舞伎では十八世中村勘三郎もしかり、
在りし日の名演技をスクリーンに残すことができて、
貴重なものとなります。

勘三郎さんの二人の息子さんたち、
中村勘九郎さんや中村七之助さんがまだお若くて、
お父様と一緒に舞台に立っていることなどにも感慨を覚えます。

さて、追い返された権八、腹いせに、
身請け話の件を八ツ橋の“心変わり”だと
茂山栄之丞のもとに告げ口に行きます。
金づるである八ツ橋が身請けされてしまうと都合も悪いですしね。
　
話を伝え聞くうちに、腹が立ってきた栄之丞、
八ツ橋が送り届けてくれた新しい着物をポイと打ち捨て、
違う着物に袖を通し、帯を締め、羽織の紐を結びます。

この一連の所作を演技中に自らでササッをやり終えてしまう所なども
日常の中に和装がしみ込んでいることが見て取れて感心します。

栄之丞だって、恋人が身を落としている所がどういう場所なのか分っていて、間夫か何かは知らないが、裏切られたといえる立場ではないでしょうに、まんまと権八の口車に乗ってしまいます。

「立花屋」に乗り込んだ栄之丞は、
八ツ橋に次郎左衛門と縁を切らないとこちらの縁を切ると迫り…こうして、八ツ橋が次郎左衛門に愛想尽かしをする場面へと展開していきます。

その縁切りがえげつない。
次郎左衛門は仕事仲間二人を伴っての有頂天のさ中、
不機嫌に現れた八ツ橋に
　「気分に障ることがひとつある」
　「ぬしと口をきくと病が起こる」
　「身請けをされるのはもともと嫌でありんすから、お断り申します。　
　　どうぞこの後私のところに遊びに来て下さすんな」
などと手ひどい言い様と態度である。

何が起こっているのか、青天の霹靂状態の次郎左衛門、
戸の隙間に中の様子を伺う、情夫栄之丞の姿を見て、
ハッとすべてを理解します。

みんなの面前で大恥をかく羽目になり、面目丸つぶれ、傷心の次郎左衛門。

二人の仕事仲間は「そんなことだろう思ったよ。
縁起が悪いから他の部屋へ移るよ。」と部屋を後にする。
酔っているとはいえ、この二人の言い様もひどい！
唯一、下男の治六だけが主人の無念に滂沱の涙と鼻水である。

ここでの「そりゃあんまり袖なかろうぜぇ」という、
八ツ橋に対する次郎左衛門のふりしぼるようなこの台詞が
有名な見せ場となっています。

さて、八ツ橋の心の中はどうだったのでしょうか。
栄之丞との縁を切りたくない思いが、
次郎左衛門への不義理に対する申し訳無さに勝ってしまった
成り行きというのでしょうか。
座敷に残っていた花魁九重が引き留めようとするのを振り切って、
『九重さん、堪忍して下さんしゃんせ』という言葉と
共に戸を急くように押し閉めて去っていきます。

やはりこれは八ツ橋が望んでいるような展開ではなかったのでしょう。
八ツ橋は花魁としてでなく、
一人の人間として好きになってしまった栄之丞を断ち切ることが
できなくて、トップ・ザ・花魁の立場があるからこそできた、
このような荒業をやってしまったんだと思います。

九重は八ツ橋に続く人気の花魁、すっかり肩を落としている次郎左衛門に
そっと羽織をかけてあげます。
その様子を見ているとよほどこのお二人のほうが双方幸せになれるような
気もするのですけど、うまくいきませんね。
八ツ橋への思いがあまりに一途であったゆえ、可愛さ余って何とやら、
次郎左衛門という人間は闇に落ちていきます。

『振られて帰る果報者とはわしらのことでございましょう』
と八ツ橋とのことを諦めて傷心ながらも故郷に帰って行く姿の中に、
一瞬何やら暗いひらめきを宿す表情を見せますが、
周囲の者はもちろんわかるはずもありません。

国周（くにちか） 浮世絵

殺し

この作品名の中の“籠釣瓶”とは何でしょう。
それは籠で作った釣瓶（手桶）のように「水も漏らさぬ」切れ味の意味を持つ妖刀を指します。
すなわち、あの有名な「村雨」、
一度鞘から抜くと血を見ないではおかないという…。

これも作品中では語られていない部分になりますが、
実は次郎左衛門はこの妖刀の持ち主なのでした。
金を奪われそうになった浪人を助けた過去があり、
お礼にと運命的に授けられたものです。

さて、故郷にもどって、その四か月後、
次郎左衛門は再び立花屋を訪れます。
すっかり元の穏やかな調子で、
新規の客のつもりでまたよろしく頼むよということで、
店のみんなも大喜び。

顔も合わせられないという思いの八ツ橋でしたが、
次郎左衛門の様子に胸をなでおろし酒宴の場となります。

そこで少しの間の人払いを求める次郎左衛門（イヤーな予感）、
八ツ橋と二人きりになったところで、
床の間に置いていた長物の箱から、やおら妖刀を抜き出して
八ツ橋に切りつけ、暗闇に明かりを持ってきた女中をも
続けざまに切り殺します。

そもそも4か月の間、何をしていたかというと
殺人計画のために家業や身辺整理していたようで、
激情に駆られての衝動的な犯行よりはるかに怖い感じがします。

時間の経過とともに少しは冷静になれなかったものかと考えるにつけても、異様なほどの恨みの強さですね。
『籠釣瓶は切れるなぁ』とつぶやき、不気味な笑みを浮かべる次郎左衛門、まるで妖刀に憑かれてしまったかのように。
恨みの深さが闇を呼ぶ、なんとも恐ろしい修羅場で幕を閉じるのでした。

人の心

この後、上演はないですが話の筋では、
立花屋大屋根での立ち廻りの場で栄之丞や権八をも切り殺すそうです。
それは次郎左衛門の凄みのある笑みの前では
蛇足な場面なのかもしれません。

妖刀を妖刀たらしめるのは、やはり人の心のなせる業、
次郎左衛門の恨みは八ツ橋だけに向けられたものというより、
自分というものがないがしろにした世間に向けられていたとしたほうがわかりやすい。

このような狂気沙汰はどの時代においても起こりうる現実でもあります。

1888年（明治21年）の初演より長い時を経て、
今なお人気の演目であり続けるのは、
それを支えるすばらしい力量の役者さんたちがいて、
代々様々な技術や心根を継承し続けてくださるから。

豪華であでやかな花魁道中や花街の活気が舞台の上で再現され、
それを堪能できる魅力に満ちているから。

そして、センセーショナルな事件の背後に隠された人の心の揺れ動きに、
自分たちと共通の普遍性を感じるからだと思います。

1888年明治21年初演　国立劇場

溪斎英泉の「新吉原夜桜之光景」